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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第94回 ヒガンバナのある風景 2019年10月15日

秋はヒガンバナ。彼岸に入ると私の住んでいる奈良市の郊外では田んぼの畔がヒガンバナで赤く筋状にそまり、川筋の土手や墓場、地蔵さんの祠のまわりなどにもぽつぽつと小さな群落がある。 (さらに…)

第93回 世界遺産登録への道-梅棹忠夫の語ったこと 2019年9月12日

北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産登録に推薦されることが決まった。 (さらに…)

第92回 イタリアの古本屋:旅と情報 2019年8月14日

『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(2018方丈社)は大変おもしろかった。 (さらに…)

第91回 車を悪い妖精に取られそうになった話 2019年7月8日

貝取りに行った女たちを迎えにいこうと浜辺を走っていて、車を砂に取られてしまった。 (さらに…)

第90回 どこからきたのか、何者か、どこへ行くのか:
ゴーギャンの絵から
2019年6月7日

若い頃は画家になりたかった。 (さらに…)

第89回 考古学の時間の捉え方:
歴博の決断、相対年代から絶対年代へ
2019年5月14日

この3月に国立歴史民俗博物館(歴博)の先史・古代の常設展示(第1展示室)新しいウィンドウが開きますが全面リニューアルされた。 (さらに…)

第88回 王殺し―縄文学のミライを考える 2019年3月6日

梅棹さん(民族学者、初代国立民族学博物館長)は民博の館長をやめるとき、これは「王殺し」であると言った。 (さらに…)

第87回 豪雪と円筒土器文化 2019年2月21日

この冬の天気図は北日本の日本海側が雪、西日本は晴れというパターンが多かった。それが円筒土器文化圏とほぼ重なるのが気になる。円筒土器文化の隆盛は雪と密接にかかわっていたのかどうか。
瀬戸内海沿岸の温暖な気候の地で育った私には、寒くて冷たい、動きにくい雪に悩まされる環境にはほとんど実感がなく、今でもそんな感じが抜けきっていない。カリフォルニア大学(デイビス校)で縄文時代の人口について博士論文を書こうとしたとき、主任教授のバウムホフ博士からどんな見通しを持っているのかと聞かれて暖かい西日本が中心になるでしょうと答えた覚えがある。ところが、予想とは逆にピーク期の縄文時代中期には、雪深い中部山岳部と東北に人口が集中する結果になって驚いた。西日本に人口が増えるのは稲作がはじまった弥生時代以降のことであった。

雪の生活と言えば鈴木牧之(すずきぼくし:江戸時代後期の文人・商家)の『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』が頭に浮かぶ。牧之は豪雪地帯(新潟県魚沼郡)の人で、「暖国の人は雪を愛でるがそんなことはない」と言う。まず田畑が雪に覆われるので農業は9月までにすべて終わらねばならないのが痛い。その後は雪中生活8か月、建物の補強や水路の確保など準備が大変だ。真冬になると家の窓は雪でふさがれ一日中暗く、屋根や道の雪除けに忙しい。それでも、なだれや雪中洪水などに襲われ危険がいっぱいだ。シカやイノシシまで逃げ出してしまうので飢えたオオカミに襲われる家族のことなどの悲劇を事細かに書き出し、その生活の苦しさは暖国の100倍以上だと述べている。ところが一方で「(出稼ぎで)町に出た人も10人に7人は帰ってくる」と言う。そんなに大変なら逃げ出せばいいのにと、暖国の人は思うのだが、雪に適応した文化が栄え過疎地になることもなかったのである。

現在の青森は日本屈指の豪雪地帯にある。円筒土器文化期の中心部に位置していた。なかでも三内丸山遺跡には、人口が集中し都市的な様相を帯びていた。円筒土器文化は気候の温暖化とともに栄えるのだが、そのピーク期の気温は現在より2℃ほど高かったとされている。温暖化が針葉樹林を落葉樹林に変え、海面の上昇によって海が近くなるなど環境の豊かさがもたらしたことは明らかである。しかし、積雪量はどうだったのか。出土品を見るかぎり「豪雪」にかかわるものはほとんど見当たらない(遺構としては掘立柱建物群や貯蔵穴の多さがそれだと考えてよいかもしれないが)。近い将来、辻誠一郎さんを中心に気象学者を入れて天気図の時代変化をシミュレーションしてもらいたいと思う。

考古学からは社会的な要因を考えるべきだろう。寒冷化がすすむ縄文時代後期から縄文社会の様相が変わった。三内丸山のような大遺跡はなくなり小ぶりなものに変わっていく。それにともない土器も小型化し精巧なものがつくられるようになった。後・晩期の村の全体像はまだはっきりとはしないが、その在り方は豪雪に対応できるような人力による生活に変わっていったのだと思う。環状列石などの墓制があらわれるのは一度拡大化した社会が連帯を保つために作った冬以外の季節に祭りを行う場だったと私は考えている。

左)2019年2月1日の天気図(気象庁ホームページより)
西高東低がはっきりしている
右)円筒土器出土遺跡図(三内丸山遺跡年報19(青森県教育委員会2016)を加工)
遺跡が集中している道南と北東北のエリアが円筒土器文化圏

 

2月の年平均最深積雪(cm)
(メッシュ平年値図:気象庁ホームページより)

第86回 火山ガラス 2019年1月29日

夜中になったので、もう寝ようと片付けていたらコップを落とし破片が台所一面に散らばった。 (さらに…)

第85回 縄文の医療を考える 2018年12月13日

高熱を発して病院に担ぎ込まれた。肺炎だというので即入院、2週間を要すと。はじめの三日間はベッドに釘付けで点滴針につながれ、食事、排せつなどすべて人任せ、四日目からようやく普通に近くなった。 (さらに…)

第84回 虫を食べる 2018年11月20日

縄文人は昆虫を食べたに違いない。 (さらに…)

第83回 「黄金のヴィナス」 2018年10月19日

東京国立博物館の特別展「縄文―1万年の美の鼓動」は大変な人気を呼んだ。 (さらに…)

第82回 日本列島に来た人はどこから? DNA人類学の視点 2018年9月18日

ヒトはいつ、どのように現れたのか。聖書には天地創造の時カミがつくったとあるように、それはどの民族の神話にもみられることである。 (さらに…)

第81回 酷暑の夏 2018年8月9日

何なんだろう、この暑さは。連日40℃近い温度になり、夜も30℃を切らない日が続く。 (さらに…)

第80回 物質文化と精神文化―アボリジニの親族組織から考える 2018年7月5日

私がオーストラリアの調査に行ったのは縄文人(のような人たち)と暮らしてみたかったからだ。 (さらに…)

第79回 縄文食に帰る 2018年6月8日

アルタミラ(スペイン)やラスコー(フランス)の洞窟に描かれたマンモスやバイソンなど大型獣の壁画に見るとおり、旧石器時代は肉食だったというイメージが強い。 (さらに…)

第78回 オオムギさん 2018年5月10日

文化人類学者はフィールド調査ではムラの人と「目線」を合わせることが大切である、客観的であろうとして見下ろすようではいいものはできないと教えられたものだ。 (さらに…)

第77回 『枕草子』のイヌとネコ 2018年3月8日

日本のイヌとネコのことを調べていて、『枕草子』を思い出した。ネコを脅したためにあやうく命を落としそうになった翁丸というイヌの話である。 (さらに…)

第76回 縄文イヌと弥生ネコ 2018年2月9日

イヌは縄文時代の初めからいたことはたくさんの発掘例が示している。 (さらに…)

第75回 地方創生と在来知 2018年1月18日

在来知とは、ある集団がその環境のなかで生きるために持っている知恵と工夫、あるいは地域に根差した小規模な経済活動のことをさす。 (さらに…)

第74回 縄文人の言葉 2017年12月13日

1990年代の中頃はしょっちゅう青森に行っていた。委員会、講演会、イベントがいっぱいあったからだ。 (さらに…)

第73回 縄文時代に暦(こよみ)はあったか 2017年11月15日

これまで縄文時代とは狩猟採集の段階で、自然のなかの小さなムラに住んでいたと考えていた。 (さらに…)

第72回 縄文女子力 2017年10月16日

「最近は縄文シーンに女性の活躍が目立つね」と考古学者の友人が言った。「たしかに」と答えて跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)という言葉が浮かんできた。 (さらに…)

第71回 アートとしての縄文土器 2017年9月22日

土器は縄文時代を特徴づける道具、その利用の始まりは世界的にみても古い。壊れやすいが、作りやすく量産がきき、熱に強いので、煮炊き、貯蔵、食器など、単純な狩猟採集段階から脱した縄文社会の生活のかたちを決定した。 (さらに…)

第70回 土器の文様は文字なのか 2017年8月31日

『最古の文字なのか?』(J.V.ペッツインガー、文藝春秋2016)の書評をFace Bookにのせたら、大きな反響があった。「日本でもこういう研究がもっとあってほしい」というコメントが多かった。(注) (さらに…)

第69回 縄文里山ガイド 2017年7月7日

ひさしぶりに青森に行った。今回は三内丸山遺跡で自然を観察しながらゆっくり時間を過ごすことにした。 (さらに…)

第68回 イノシシの語ること 2017年6月12日

この間テレビで見たこと。福島原発の避難指示が解除になったので帰ってみるとイノシシが子供を連れて悠々と歩いている。あまりにでかいので危なくて近よれない。 (さらに…)

第67回 ビーズ展-つなぐ 2017年4月21日

国立民族学博物館 開館40周年記念特別展「ビーズ-つなぐ・かざる・みせる」 (さらに…)

第66回 倭食と和食 日本食文化の2つの層 2017年3月14日

青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡は鳥取市にある弥生時代の大集落である。 (さらに…)

第65回 文化の伝播について 2017年2月20日

私は考古学を文化人類学の一分野である物質文化研究だと考えている。ふつう、文化と言えば、道具、言葉、神話、儀礼などが広く含まれるのだが、なにしろ扱うものが土器、石器、食料などのモノが中心であり、それも実体のごく一部でしかないのだから。 (さらに…)

第64回 ジャガイモかクワイか 2017年1月12日

「3800年前のジャガイモ発見、カナダの先住民が栽培か」という記事がYahoo!ニュース(AFP=時事)でネットに入ってきた。 (さらに…)

第63回 地方文化を育て発信する遺跡ミュージアム 2016年12月7日

日本人ほど歴史が好きな国民は世界的にみて珍しい。異民族の侵入や移住が少なかったので時間的変容がたどりやすいからだろうか。 (さらに…)

第62回 カボチャ(初期縄文の栽培植物について) 2016年11月9日

5600年前(C14年代測定による)のカボチャの種が山形県遊佐町の小山崎遺跡から出たというニュースをみた。 (さらに…)

第61回 風土病(地方病) 2016年10月5日

高校の同窓会誌を送ってきたのでパラパラ見ていたら、神原廣二さん*の自伝的なエッセイが目にとまった。 (さらに…)

第60回 カミのすがた 2016年9月7日

縄文人はカミをどう考え、イメージしていたかを考えてみたい。 (さらに…)

第59回 縄文の祭り(2)-ねぶたを手がかりに 2016年8月2日

夏は祭りの季節。最近、感じることはどの地域でも祭りの装置が年々大きくなり、衣装も華やかになっていることだ。 (さらに…)

第58回 縄文の祭り―御柱祭りを手がかりに 2016年7月11日

岡本太郎は御柱祭を縄文の祭りだと喝破した。木落しの難所で乗ると言って聞かないので、みんなで引きずりおろしたというエピソードがあるそうだ。 (さらに…)

第57回 野菜ぎらい 2016年6月10日

「野菜を食べましょう、健康のために」という言葉が風潮となって、最近は食卓に野菜(葉菜)が出るようになり、洋風レストランなどではふつうに野菜サラダがついてくるようになった。 (さらに…)

第56回 縄文時代の災害 2016年5月10日

熊本地震は4月14日、震度7の激烈なものからはじまり、その後中央構造線に沿うように大分県にまで広がって、人命はもちろん多くの家屋が倒壊しました。 (さらに…)

第55回 鳥と縄文人 2016年3月31日
カササギガン猟 1982年 アーネムランドにて(小山修三撮影)

カササギガン猟 1982年 アーネムランドにて
(小山修三撮影)

カササギガン猟 1982年 アーネムランドにて(小山修三撮影)

カササギガン猟 1982年 アーネムランドにて
(小山修三撮影)

縄文人にとってトリは重要な食料だったはずだ。なかでも重要なのは渡り鳥で、三内丸山遺跡ではカモ・ガン類が80%をこえているとある。しかし、縄文時代のトリに関するこれまでの研究はやや手薄だったような気がする。 (さらに…)

第54回 縄文人はネコジタだった? 2016年3月2日

縄文人がどのようにして食事を摂っていたのか、とくに具体的な食卓の光景がどうしてもイメージできないで困っている。 (さらに…)

第53回 縄文ロマン – 土偶だいすき女子との対話 2016年1月20日

土偶に熱中するのは女の子が多いように思う。 (さらに…)

第52回 縄文人はチーズを食べたか? 2015年12月16日

岡山県で牧場を経営している吉田全作さんとこんな話をした。 (さらに…)

第51回 異常気象と水 2015年11月13日

集中豪雨、最高温度、竜巻、旱魃、洪水など最近の気象の荒々しさは不気味でさえある。それは日本だけでなく、世界各地でおこっていることだ。 (さらに…)

第50回 縄文人の食事:ルーツはおでん?芋煮? 2015年10月19日

発掘技術の飛躍的進歩によって縄文人の食に関する情報がずいぶん充実してきた。しかし、彼らが何をどう料理し、どう食べていたかの具体的なイメージがはっきり浮かんでこない。 (さらに…)

第49回 見えない遺物を探す:くすり 2015年9月12日

【アボリジニのムラで】
はじめてオーストラリア中央砂漠に資料収集に行ったときのこと。 (さらに…)

第48回 縄文人は海藻をたべたか? 2015年8月19日

「考古学者は見つかってないもの=0とするんやな」、「それが大前提ですからね」、「幾何で補助線というのを習ったやろ、仮定の線を一本引けば答えがでる。もっと工夫がいるのやないか」。 (さらに…)

第47回 オオカミと縄文時代 2015年7月21日

オオカミはオーストラリア大陸などを除けば世界各地にいた。 (さらに…)

第46回 オオカミと山火事 ―イエローストーン国立公園で考えたこと 2015年6月10日

5月に世界遺産であるイエローストーン国立公園を訪れた。 (さらに…)

第45回 縄文少年のころ 2015年5月1日

私のふるさと香川県観音寺市は、瀬戸内海の沿岸にあるちいさな町だ。 (さらに…)

プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

執筆者一覧

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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