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連載企画

みっちゃんのおどろ木、びっ栗、森のくらし

第8回 縄文人はな、な、な? 2018年1月12日

今回は縄文人のななな?です。何(なに)で縄(なわ)を綯(な)ったのか?というわけ。
「縄」といったら今の人たちはビニール紐、ナイロンザイル、プラスチック縄を思い浮かべるでしょう。私ら一世代前はこれはもう藁縄と麻縄。シュロ縄を挙げる人もいるでしょう。では縄文時代の縄は何でできている?となったら、ほとんどの人が「えっ?」と言葉に詰まるんではないでしょうか。
もちろん縄文時代にプラスチック系の縄があるわけがありません。稲藁は日本列島に稲作が入ってきた弥生時代以降であるのも明白です。ちなみにこれまで遺物として確認している稲藁製の縄は奈良の平城京遺跡から出土した縄塊(図1)が「最古」です。シュロ縄は?というと、私が知る限りでは至極新しくて、18世紀、江戸時代の新宿区の南元町遺跡から出土したものです(図2)。この遺跡からはシュロの製品は縄紐類、箒、束子、刷毛など多数出土していますが、私にとって一番面白かったのは「漆塗りと思われる下駄の鼻緒」でした。この下駄自体が黒漆塗りなのですが、漆関係者に聞いてみたところ、鼻緒自体に漆を塗ることは聞いたことがないとのことでした。どなたか、これについて御存知の方おられましたら是非お教え頂きたいものです。

図1.平城京遺跡から出土した奈良時代の稲藁製の縄塊(奈良文化財研究所2013).

 

図2.新宿区南元町遺跡から出土した江戸時代のシュロの縄紐

さて、ちょっと脱線しましたが、それより前は何で縄を?となったら、「麻縄」が一つの候補になりますね。アサの果実は殻が堅いので遺物として残りやすいらしく、北海道から九州の全国各地の縄文時代前期〜近代までの遺跡からの報告が400もあることが国立歴史民俗博物館のデータベース「日本の遺跡出土大型植物遺体」でわかります(石田他2016)。アサは中央アジア原産と言われますが縄文時代前期に既に日本列島に渡来していたことになります。アサは実が食料、全草が薬用(大麻)、そして茎から繊維が取れます。固い殻を持つ果実と違って繊維は腐りやすく、確実にアサといえる繊維製品の出土は青森県西目屋村の川原平(かわらたい)(1)遺跡の縄文時代晩期の漆漉し布のようで、縄文時代ではそれ以外に「アサ」であることをきちんと示した報告は無いようです。「アサ」が縄素材の候補に挙がるなら、やはり縄文時代から繊維植物として利用されてきたといわれるカラムシ、アカソ、イラクサなども候補になりますが、やはりこれらの「縄紐」の遺物は見つかっていません。
一方、それらとは別にヒノキの樹皮で綯った縄「檜縄」も候補に挙がりますね。植物種としてのヒノキという樹種だけではなく同じヒノキ属のサワラ、同じヒノキ科のアスナロ、スギなどの樹皮も候補に挙がります。こうやって他に可能性のある縄素材を検討したところでようやく本題です。

それでは実際に縄文遺跡から出土した「縄、紐類」は何でできていたのでしょうか?遺物を切って顕微鏡で覗いて植物の組織・細胞を観察して出てきた結果が表1です。これはこのシリーズに何度も登場している福井県若狭町の鳥浜貝塚から出土した縄文時代前期の縄紐類とその素材を調べた結果です。これを見て「おどろき!びっくり!」なんとリョウメンシダが半数を占めています。リョウメンシダとは縄文ポシェット顛末記(第4回)にちらっと出てきた、あのシダです。縄文人は何とこのシダの葉柄で縄を綯っていたのです。

表1.鳥浜貝塚から出土した縄紐類とその素材の植物種(鈴木三男2017)

最初このことに気づいたときは何とも腑に落ちませんでした。あんな堅い葉柄で縄が綯えるわけはないと思いました。案ずるより産むが易し、自分で実験してみました。
リョウメンシダは図3にありますように北海道〜九州の山林の林床にごく普通に生育するシダで、湿潤地を好み、日本海側に多い傾向にあります。葉は長さ1〜1.3mほどの長三角形で、株から数枚の葉が叢生し、スギ造林地など湿った林床に群生します(図4)。葉が非常に細かく切れ込み、裏も表も同じように見えるので「両面」シダの名があります。葉を引き抜き、先端近くを片方の手で持って、そこから根元の方へもう一方の手でしごくと羽片が綺麗に取れます(図5)。この葉柄(中軸)部分を敲いて割って多少とも柔軟にし、それを三つ編みにしてみました。堅い皮層の部分が折れてささくれ立ち、ずいぶんとガサガサした縄でしたが、強度は十分にありました。鳥浜貝塚の出土遺物を見るとささくれ立ちは多少あるものの表面がかなり滑らかにしっかりと編んであります(図6)。私のように力任せにたたき割って柔軟にするのではなく、煮るとか、水に長期間浸けるとか、何かうまい方法で軟化して綯いやすくしていたものと思います。

図3.リョウメンシダの分布図(倉田・中池1987)

 

図4.リョウメンシダの群生(山形県最上町)

 

図5.羽片を取り除いたリョウメンシダの葉柄(中軸)

図6. 鳥浜貝塚から出土した縄文時代前期の三つ組みの縄 (重要文化財/福井県立若狭歴史博物館所蔵)

さて、このリョウメンシダの縄、もちろん、鳥浜貝塚だけではありません。富山県富山市の小竹貝塚(縄文時代前期)、小矢部市の桜町遺跡(縄文時代中期)、それに三内丸山遺跡(縄文時代中期)からも出土しています。どうも縄文時代の本州日本海側では「リョウメンシダの縄」というのがメジャーだったように思われます。リョウメンシダ以外にどんな素材で縄を綯っていたかというと、表1の鳥浜貝塚では「シダ類」、「不明シダ類」というのがあります。前者は恐らくはリョウメンシダなのだろうけど小さな組織の破片しか観察できないのでリョウメンシダとは言い切れないもの、後者は組織はバッチリ観察できるものの鈴木三男の今の能力では植物種を同定できないものです。何時の日かこれは何なになにでしたと報告できるようになりたいものです。その他、かご編物に使われるツヅラフジの蔓、ヤマブドウ、サクラ属、シナノキの樹皮、「不明植物」(これも何時の日かなんでしたと報告できるようになりたい)などでした。

表2.縄文時代の縄紐類の素材植物(鈴木三男2017)

 

表2は鳥浜貝塚のデータも含めて全国の縄文遺跡から出土した縄紐類の素材植物です。シダ類の葉柄が最も多く実に6割になります。縄文時代早期の5点というのはやはりこのシリーズで何度も登場した佐賀市の東名遺跡ですが、ここでは「不明シダ類」やワラビの縄(図7)があります。縄自体のつくりは三つ組みのものが多く、鳥浜貝塚とつくりがそっくりです。「蕨縄」というと和風土壁つくりに今でも使われているのを御存知の方もおられるでしょうが、これは「葉柄」ではなく、ワラビの根茎を掘り採って敲きつぶしてワラビ澱粉を採ったあとの「カス」を縄に綯ったもので、縄文時代のワラビの葉柄の縄とは違います。ツヅラフジ、マタタビ属は柔軟な蔓を単独あるいは2、3本を撚って縄紐として使っているものです。ヤマブドウ(図8)、カバノキ属、サクラ属、シナノキ属はいずれも樹皮を撚って縄としているものです。その他アサ、カラムシ、アカソなどと思われる繊維植物の靭皮繊維を採りだして縄紐にしていた、というのが縄文人の「知恵」だったのでしょう。

図7.佐賀市東名遺跡から出土したシダの縄.同じようなサイズの三つ組みの縄10本ほどが一つに束ねられている。(佐賀市教育委員会2009)

 

図8. 鳥浜貝塚から出土したヤマブドウの樹皮製の縄塊.非常に丁寧に撚ってつくられた縄が綺麗な「直方体」になっている。 (福井県立若狭歴史博物館所蔵)

それにしてもシダの葉柄の縄というのは現代のみならず近世〜近代の民俗事例にも全く残っていないようです。いったいどの様につくり、そして利用していたのか是非とも知りたいものです。

引用文献
石田糸絵・工藤雄一郎・百原 新.2016.「日本の遺跡出土大型植物遺体データベース」.『植生史研究24』: 18–24.
倉田悟・中池敏之1987.『日本のシダ植物図鑑5』:502,東京大学出版会,東京
佐賀市教育委員会2009.  『東名遺跡群Ⅱ』(第5 分冊).
鈴木三男2017.「鳥浜貝塚から半世紀─さらにわかった! 縄文人の植物利用」.工藤雄一郎・国立歴史民俗博物館(編)『さらにわかった! 縄文人の植物利用』:182-201,新泉社,東京.
奈良文化財研究所2013.  左京三条一坊ー・二坪の調査-第488 ・491 ・495次.『奈良文化財研究所紀要2013』:158-159.
小林和貴・佐々木由香・ 能城修一・鈴木三男2017.南元町遺跡3 次調査出土繊維製品等の素材植物.国際文化財株式会社(編)『東京都新宿区南元町遺跡III』:248-254.

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プロフィール

みっちゃんのおどろ木、びっ栗、森のくらし

1947年福島県白河市生まれ
東北大学名誉教授


東京大学農学部助手、金沢大学教養部助教授、東北大学理学部助教授、東北大学教授(大学院理学研究科、植物園、学術資源研究公開センター)を歴任。

 専門は植物形態学、古植物学、植生史学、考古植物学。
 遺跡から出土した植物質遺物の形態、組織構造から植物種を同定し、昔の人びとの植物利用についての研究を展開。

 定年後は北海道の東の果てにある標津郡標津町にログハウスを建てて移住。研究を続けながらも大自然の中でトラウト&サーモンフィッシングと様々な北の国の植物や動物にふれる生活を満喫。釣りの腕前はいまひとつ。
 また、三内丸山遺跡発掘調査委員会委員をはじめ、(社)日本植物園協会会長、仙台市杜の都の環境をつくる審議会会長などをつとめ、現在も各地の遺跡調査指導委員会や文化財審議会委員等として活躍中。

 主な著書に、
『植物解剖学入門』(共訳/八坂書房1997)、
『日本人と木の文化』(八坂書房2002)、
『クリの木と縄文人』(同成社2016)、
『ここまでわかった!縄文人の植物利用』(共著/新泉社2014)、
『さらにわかった!縄文人の植物利用』(共著/新泉社2017) などがある。

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