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連載企画

みっちゃんのおどろ木、びっ栗、森のくらし

第9回 縄文人は、ね、根、ネ! 驚愕の縄文人の植物利用 2018年2月1日

前回の「縄文人はな、な、な?」に続いて、今度は「縄文人は、ね、ね、ね」。根です。
多くの植物では根は貯蔵器官となりますので、イモ類、球根など食料、薬用資源としてとても重要なものですが、それ以外の根の利用は?と考えるとなかなか頭に浮かんできません。根は当り前のことですがほとんどの場合地中にあるため人の目につきません。掘ってみないとどんな形をしているのか、どこをどう這っているのかとんと見当がつかないものです。この「目の当たりにすることが極めて希な」根を利用しようというのはなかなか思いつかないことです。
私たちは全国の縄文遺跡から出土する植物遺体を調べて、縄文人はなんの目的で植物体のどの部分をどの様に利用していたのかを明らかにしようとしています。このシリーズで紹介している話はいわばその「成果」の一部で、縄文人の自然と植物に対する認識、それを利用する知恵と技術、そして利用によって成り立つ生活や社会、いわゆる「縄文人の植物利用文化」を理解することを目指しています。
植物利用として最も普遍的な食料、木材以外についてはこれまで資料の出土も少なく、また、出土遺物の保存や資料化が容易でないことからほとんど研究されてこなかったのが実情です。そうした中で編組製品や縄など、少しずつ明らかになってきたことを紹介してきたわけですが、そんな私たちを「仰天」させたのが「根の利用」です。

縄文人の根の利用ということを私たちがはっきり認識したのはつい最近、一昨年のことです。世界遺産の広大なブナ林が拡がる白神山地の北側に、岩木川源流の村、青森県西目屋(にしめや)村があります。この山奥の村で縄文時代晩期の川原平(かわらたい)(1)遺跡の発掘調査がなされました。
私たちは出土した木材や編みかご、樹皮製品などの分析を担当したのですが、その中に小さな編みかごの破片がありました(鈴木ほか2017a、図1)。小片なので元はどんな編みかごであったのかは分かりませんが、タテ材とヨコ材の間には隙間があるので、目の粗いザルのようなものではなかったかと考えています。タテ材はヒゴ状で素材はササ類の稈(茎)でした。ササ類の稈を使った編みカゴ類は全国の縄文遺跡から出土しており、編み材として最もポピュラーなものであったと言えます。ところがこのタテ材をもじって編んでいるヨコ材を顕微鏡で見て「びっくり仰天!」。なんとスギの根の木材だったのです。スギの根を太さ2mmくらいに割り裂いたもの2本をもじってタテ材を留めていたのです。

図1 青森県中津軽郡西目屋村川原平(1)遺跡から出土した縄文時代晩期の編みかごの破片(青森県埋蔵文化財調査センター蔵)とそのヨコ材の横断面の顕微鏡写真。遺物は炭化しており、真っ直ぐなタテ材を2本のヨコ材でもじって編んでいる。ヨコ材の横断面を見ると年輪幅が狭く、幅が不整な針葉樹材であることが分かる。放射断面、接線断面の観察もあわせてスギの根材であることがわかった(鈴木ほか2017)。

「編みかごの素材に根を使うなんて!」東北の各地の山村に残る民具をこれまでいろいろな地域の民俗資料館などで見てきましたが、根で編んだかごなんて見たことがありません。かごと言わずとも根でつくった民具というのも聞いたことがありません。この結果は最初は半信半疑でした。しかしこの結果を整理して報告原稿を書いているうちに「まてよ!あれもひょっとしたら」、というのが二つ思い浮かびました。一つは秋田県秋田市の戸平川(とびらがわ)遺跡から出土したやはり縄文時代晩期の目の粗い編みかごの破片で(図2)、これも川原平(1)遺跡と同じようにタテ材はササ類の稈のヒゴ材、ヨコ材はスギの根の割り裂き材の2本もじりと全く一緒です(鈴木ほか2017b)。

図2 秋田県秋田市戸平川遺跡から出土した縄文時代晩期の編みかごの破片(秋田県埋蔵文化財センター蔵)。図1と同じく真っ直ぐなササ類の稈のタテ材を2本のスギの根の割り裂き材をもじって編んでいる。

もうひとつの例は北陸金沢市の中屋サワ遺跡の出土品(図3)で、やはり縄文時代晩期です。このタテ材は上記の2例とは違ってマタタビ属の蔓の割り裂き材でした(能城ほか2009)。ヨコ材は2例と同じように2本のスギの根の割り裂き材のもじり編みです。

図3 石川県金沢市中屋サワ遺跡から出土した縄文時代晩期の編みかごの破片。図1、2と異なりタテ材はマタタビ属の割り裂き材だが、ヨコ材は同じく2本のスギの根の割り裂き材をもじって編んでいる。(金沢市2009)

このようにどうも、日本列島の東北〜北陸地方では、縄文時代晩期という時期にかご編物に針葉樹の根の割り裂き材を使う、という文化があったように思えます。根の材は枝材に較べて遥かに柔らかくまた柔軟性がありますので編み材としては適していると言えますが、難点は頻繁に枝分かれし、先に向かって細くなるので同じような太さで長い素材を得るのが難しいことにあるでしょう。実際にどのように根を採取し、どのように調整して編み素材としていたのかをいろいろ調べていましたら、太平洋を隔てた北米西海岸のインディアンの人たちがシーダー(ヒノキ科ネズコ属)やスプルース(マツ科トウヒ属)の根を掘りとり、裂いてかごや帽子などを編んでいることを知りました(Stewart1984)。Stewartの本に載っている魚を入れるかごの編み方は目の粗さは違いますが、戸平川の編みかごに全くと言って良いほど一致します。縄文時代と現代、シーダーとスギと、時代と樹種が違うとは言え、太平洋の東と西でモンゴロイドの末裔が同じような根の利用を計っていた、というのは何か運命的なものを感じてしまいます。

縄文の根の利用で更にびっくり仰天の事例に出くわしました。福岡県久留米市の正福寺(しょうふくじ)遺跡から出土した縄文時代後期の小型の編みかご(図4)です。その素材は当初は「ブドウ科のウドカズラの茎(蔓)」とされていました。

図4 福岡県久留米市正福寺遺跡から出土した縄文時代後期の小型かごとその底部の拡大(右)
(久留米市教育委員会蔵)。

ウドカズラは紀伊半島以西の四国・九州の温暖な地に生える大形の蔓性籐本で、2-4対羽状に複生する大きな葉をつけます。このかごを復元製作しようということになり、樹種同定の結果を受けて九州の山中でウドカズラを探して採集しました。採集している時にこの植物は蔓の途中から多数の気根を出すことに気づきましたのでついでにこれも採集しました(図5、図6)。

図5 ウドカズラの蔓(茎)から出ている気根。気根は分枝をあまりせず、断面は円形、真っ直ぐに下垂する。非序に柔軟である(能城修一氏提供)。

 

図6 九州の山中で採集されたウドカズラの蔓と気根(気根は右上の赤矢印の一巻きだけ)

 

図7の左側の写真が「ウドカズラの茎」と同定された編みかご素材の顕微鏡写真です。中央に大きな髄があり、その外側に環状に二次木部があり二次木部には大きな道管が散在し、放射状に10本ほどの大きな放射組織が走っています。一見したところアケビやサルナシなどと同様に「典型的なツル植物の茎(蔓)」と言える構造です。

図7 正福寺遺跡の小型かごの素材の横断面の顕微鏡写真。2本とも直径は約1.7mmとほぼ同じ太さだが「髄」の大きさがずいぶんと違う。

ということで、ウドカズラの蔓を採集して復元製作実験に取りかかったのですが、いざ作業を開始してみると、どうにも採集してきた蔓が太すぎます。太い茎を割り裂いて使うことはよくあることですが、遺物をよく見ても素材は皆「丸材」で、どうも割り裂き材で編んでいるようには見えません(図4右)。一般に葉の大きな植物は当年枝も太いものです。ウドカズラの一番細い当年枝でも遺物の素材の直径2mm弱を遙かに超えてしまいます。ウーン、これはどうしたことかと遺物の切片のプレパラートを改めて見直しました。すると「髄」の大きな茎では髄の外周に同心円上に「一次木部」が等間隔に存在し(図7左)、しかもその一次木部は原生木部が外側方向にある「外原型」ではないですか。「髄」が小さな「茎」(図7右)を見てみると、なんと、一次木部が「星形」になっています!これは「茎」ではなくて「根」なのです。そこで、「ついでに採集してきた」気根と較べてみると、なんとぴたり一致。そうです、この編みかごはウドカズラの蔓ではなく、ウドカズラの「気根」でできていたのです。「気根を編みかごに使うなんて!」これ以上のびっくりはありません。そうしてできた復元品が図8です(本間2017)。

図8 復元された正福寺の小型かご。本邦唯一の「気根のかご」。部分により編み方を変えて装飾性を持たせているのがよく分かる。

ここまで書いてきて私の発想がぴょんと跳んでしまいました。余計な付け足しになりますが、それは、九州南部、琉球列島、そして熱帯アジアに広く分布するアコウ、ガジュマルの仲間(クワ科のイチジク属)は横に拡がった太い枝から長い気根をたくさん下垂することです。ウドカズラの気根を編みかごに使うなら、このガジュマルなどの気根を使わない手はないのではないか?琉球列島の縄文人はこの根を使って編みかごを編んでいたのではないだろうか?というわけです。また、現在も熱帯アジアでの利用の民俗例があるんではないだろうか?調べてみる必要がありそうです。

図9 ガジュマルの気根(沖縄県八重山郡西表島)

こうして私たちが知ることができた縄文人の根の利用、まだ事例はわずかですが、今の私たちからは全く失われてしまった発想が見て取れます。これら以外にも未解決の根の利用例がいくつかあり、更に調べを進めていくと、どうも驚き、びっくりの連続になりそうです。

引用文献
金沢市.2009.石川県金沢市中屋サワ遺跡IV, 下福増遺跡Ⅱ, 横江荘遺跡Ⅱ.260pp.金沢市文化財センター.
能城修一・佐々木由香・山本直人.2009.中屋サワ遺跡出土木材の樹種.『石川県金沢市中屋サワ遺跡IV, 下福増遺跡Ⅱ, 横江荘遺跡Ⅱ』(金沢市編):178-190.金沢市文化財センター.
Stewart, H. 1985. Cedar. 192pp. McIntyre (2013) Ltd., Madeira Park, BC, Canada.
鈴木三男・能城修一・小林和貴・佐々木由香.2017a.木質遺物・繊維製品の素材植物同定.『川原平(1)遺跡Ⅷ』(青森県埋蔵文化財調査センター編), 第1分冊:124-148.青森県教育委員会.
鈴木三男・小林和貴・佐々木由香・能城修一.2017b.縄文時代の「根」の利用.日本植生史学会第32回大会講演要旨集,16-17,日本植生史学会.
本間一恵.2017. 下宅部遺跡と正福寺遺跡のかごを復元する.工藤雄一郎・国立歴史民俗博物館(編)『さらにわかった!縄文人の植物利用』:150-169. 新泉社.

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プロフィール

みっちゃんのおどろ木、びっ栗、森のくらし

1947年福島県白河市生まれ
東北大学名誉教授


東京大学農学部助手、金沢大学教養部助教授、東北大学理学部助教授、東北大学教授(大学院理学研究科、植物園、学術資源研究公開センター)を歴任。

 専門は植物形態学、古植物学、植生史学、考古植物学。
 遺跡から出土した植物質遺物の形態、組織構造から植物種を同定し、昔の人びとの植物利用についての研究を展開。

 定年後は北海道の東の果てにある標津郡標津町にログハウスを建てて移住。研究を続けながらも大自然の中でトラウト&サーモンフィッシングと様々な北の国の植物や動物にふれる生活を満喫。釣りの腕前はいまひとつ。
 また、三内丸山遺跡発掘調査委員会委員をはじめ、(社)日本植物園協会会長、仙台市杜の都の環境をつくる審議会会長などをつとめ、現在も各地の遺跡調査指導委員会や文化財審議会委員等として活躍中。

 主な著書に、
『植物解剖学入門』(共訳/八坂書房1997)、
『日本人と木の文化』(八坂書房2002)、
『クリの木と縄文人』(同成社2016)、
『ここまでわかった!縄文人の植物利用』(共著/新泉社2014)、
『さらにわかった!縄文人の植物利用』(共著/新泉社2017) などがある。

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