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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第76回 縄文イヌと弥生ネコ 2018年2月9日

イヌは縄文時代の初めからいたことはたくさんの発掘例が示している。そして、そのDNAは柴犬、北海道犬などの日本犬に今も引き継がれているという。時期的には旧石器時代に大陸からヒトとともにやってきた。狩猟には欠かせぬ道具だったからだ。また、丁寧に埋葬された例も多いので、ペット的な愛着をもっていたことがうかがえる。これに対してネコは弥生時代からで、長崎県壱岐市のカラカミ遺跡から発掘されたものが今のところ一番古い。ネコは穀物庫を荒らすネズミ退治に役立つが、文献としては古事記、日本書紀には現れないので、奈良時代から宮廷中心にペットとして珍重されるようになったらしい。それが庶民層にまでいきわたるのはもっと後になってからである。
しばしば問題にされるのはイヌを食べたかどうか。弥生以降は骨に残る傷やこげ痕があるので解体して食用にした例が多く、それは中国、朝鮮から東南アジアに広がる稲作地帯にひろがる食文化の一端として理解できるだろう。これに対して、縄文時代には例がほとんどないのだが、なかったとは言えないと私は考えている。

ヒトとペットとの関係を考えてみよう。オーストラリアのアボリジニのムラで、狩りに出かけた時、叢(くさむら)を黄色い閃光が走った。「あ、ディンゴ」とみんな色めき立つ。「あれを食うのか」と若者頭のサムに聞いたら「いよいよとなった時」と答えた。ディンゴとは野生の犬で、そういうこともあるらしいが、飼い犬には手を出さないようだ。
アボリジニの村では名前まで付けてかわいがっているイヌもいるが、ほかにもたくさんいて、見知らぬ人が来ると群になって吠えたてる。だから、ムラの入り口で車を止めて、迎えが来るまで待たねばならない。その意味では番犬の役を果たしている。とくに餌をやるわけではなく、時には石を投げるなどしてまことに手荒い扱いなので、野生状態にしているのかと思っていた。ところが、そんなイヌをひき殺すと、「毛布2枚」を支払うという決まりがあるそうだ。イヌと寝るとあったかいからだという。もう1つは村の外で野生化するのを妨げないこと。そこでディンゴとの交配がおこるのは、縄文時代のイヌとオオカミ、ヤマイヌとの関係を思わせる。

現在の日本では鑑賞や愛玩のために多種の動物が飼育されている。そのうちイヌは60%。ネコ29%とあり、50%近い世帯が犬を飼っているという統計をネットで見た。イヌやネコは、時に、人を襲ったり、伝染病の媒介者となったりなどの問題も多いが、いまや、愛玩というより共生するものとなっている。散歩に出かける公園で見るのはイヌを鎖でつなぎ、糞処理の袋を持ち、時には衣装を着せて抱いて歩いている人さえある。そしてほとんどが小型犬である。これが都市化した日本のあり方であることはわかるが、本来の「職」を奪われた挙句の姿だとすると、こちらの都合ばかり押し付けてあまりにも窮屈そう、なんだか彼らに悪いような気がする。野山を駆けるイヌやネコの姿をみたいのは私だけだろうか。

イヌと一緒に生活しているアボリジニ

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プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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