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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第77回 『枕草子』のイヌとネコ 2018年3月8日

日本のイヌとネコのことを調べていて、『枕草子』を思い出した。ネコを脅したためにあやうく命を落としそうになった翁丸というイヌの話である。

一条天皇はネコを「命婦の貴婦人(みょうぶのおとど)」と名づけ官位をあたえ、飼育係までおいてかわいがっていた。ところがこのネコは縁側にでて居眠りするので「(お姫様らしくなく)はしたない」と飼育係が翁丸をけしかける。ネコはおびえて御簾(みす)のなかに入って騒ぐ。驚いたみかどはネコを懐にいれ、蔵人をよびつけ「打ち懲らしめて島流にせよ」と宣う。翁丸は滝口の武士に打擲され追い払われたらしい。ところが3、4日たった昼頃、イヌのひどく鳴く声がし、ほかのイヌもまわりにあつまって騒ぐ声がする。蔵人たちは島流しの罪人が返ってきたと打擲しているらしいので、お願いしてやめてもらった。そして翌朝、イヌが部屋の柱のかげにすわっているのを見つける。かわいそうにと言葉をかけると、ぶるぶる体を震わせ涙を流すのだが、顔も体もひどくはれ上がっているので正体分からなかった。翁丸だと見破ったのは清少納言だった。結局、翁丸は許されてもとのようになるが、今でもその話をするとひどく鳴くとある。

清少納言のイヌに関する描写は生き生きとしている。翁丸は事件の前は天皇の食事の時はおとなしく控えていて余りを与えられるのを待っていたとか、祭りのときは柳や桃の花で飾られて、得意そうにあるいていたことなど。別の段でも夜忍んで来る男に吠えかかるイヌは殺したくなるとか、昼間のイヌの遠吠えはすざましい、など当時の社会におけるイヌとの密接なかかわりをうかがわせ、ネコの記述は(背中が黒く、あとは白いのがよい、ぐらいで)、ごく少ないのとは対照的である。

それは人との付き合いの長さを示すものだろう。イヌは縄文時代から土製品や丁寧な埋葬例があり、弥生時代以降も(銅鐸の)絵や埴輪があるが、ネコはない。手がかりは文献になるが『古事記』、『日本書紀』には出てこない。ようやく奈良時代になって『日本霊異記(にほんりょういき)』(上巻第30縁/705年).宇多天皇『寛平御記(かんぴょうぎょき)』(889年)にみられるようになる。それをみると、ネコはまずペットとして日本に登場する。平安時代の宮廷はファッションセンターであり、ネコは時代の流行の先端をいく高価な輸入ブランド品だった。そんな様子は『源氏物語(若菜)』や『更級日記』などに書かれていることからもわかるが、貧乏貴族の清少納言が自ら飼うには高価にすぎたようである。そのため、綱でつないだり屋内に閉じ込めたりなど過剰保護になってうまく繁殖できなかったようだ。

ネコが野に放たれて人と共存するきっかけになったのは慶長7年(1602)に出された洛中のネコの綱を解き放つことを命じた高札(『時慶記』)で、これはかなりの効果があったとされている。これによってネコにはネズミ退治という本来の任務が強化され、イヌと同じく人間と共生する今日的状況が生まれたと考えられるのである。

メキシコの民芸雑貨・アレブリヘの木彫りのネコ
(国立民族学博物館ミュージアム・ショップ)

 

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プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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