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連載企画

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第6回 大森勝山遺跡の冬 2019年1月15日

突然ですが、弘前市の大森勝山遺跡は、司馬遼太郎の著作で触れられたことがあります。
『「ストーン・サークル(環状列石)もあります。」バスのなかで、鈴木克彦氏が、教えてくれた。環状列石(ストーン・サークル)というふしぎな遺跡もまた、青森県(もしくは東北地方)を、他の平均的な日本から特徴づけている。・・・「いまは、ストーン・サークルも、雪の下でしょうね」岩木山は、木や草や雪で古代人のささやきを守りつづけた。「ええ、この雪のために」残念だが現場に行けない、という旨を、鈴木さんはうなずくことで示した。』(司馬遼太郎『街道をゆく41 北のまほろば』朝日文庫[新装版第2刷]2011年)
これは、青森県埋蔵文化財調査センター(当時)の鈴木克彦さんの案内で、司馬遼太郎さんが鯵ヶ沢町へ向かう車中での会話で、大森勝山遺跡が触れられた一節です。
司馬遼太郎さんはこの本の中で、当時大きな話題となっていた三内丸山遺跡を取り上げており、このことが現在の縄文遺跡群の世界遺産登録推進への大きな「うねり」を生み出す契機の一つともなりました。

大森勝山遺跡は今から約3,000年前、縄文時代晩期の環状列石を有する遺跡です。青森県内最高峰岩木山の北東麓、標高約140mの高所に位置しており、その積雪は2mを超える時もあります。縄文時代晩期は現在よりやや冷涼な気候であったと考えられていますが、当時も冬には雪が降り、環状列石もその雪の下に埋もれていたことでしょう。
そんな大森勝山遺跡ですが、実は12月の下旬、北半球で昼が最も短い日である「冬至の日」に特別なイベントが起こります。この日に、環状列石のある台地の上に立つと、岩木山山頂に夕日が沈む、「ダイヤモンド富士」ならぬ「ダイヤモンド岩木山」を見ることができるのです。遺跡からの岩木山は、端正な三角形の姿を示すため、ひと際山頂が目立ちますが、この山頂に夕日が沈む風景はとても神秘的であり、荘厳ですらあります。地球の地軸の動きなど、やや不確定な部分もありますが、おそらく縄文の人々が環状列石を作る場としてこの地を選んだ決め手の一つが、冬至の日にこの特別な日没風景を望むことができる、ということだったのでしょう。
さて、この冬至の日(実はこの頃は、夕日の沈む位置の変化が小さいため、前後数日くらいは見ることが出来るようです)の特別な風景ですが、なかなか見ることが難しい風景でもあります。津軽地方にお住まいの方はご存知かと思いますが、この頃、夕日が沈む山際まで青空が見えている日はほとんどありません。
市職員も、ここ6年ほどチャレンジしていますが、まず遺跡へ至る道路が除雪されない区間のため遺跡にたどり着けずに「門前払い」となることも多く、また、運よく遺跡にたどり着けたとしても曇天、場合によっては吹雪と天候に恵まれないことも多いほか、日中は晴れていたとしても、いざ日没時には山際に雲がたなびき夕日が隠れる、といった感じで、なかなかお目にかかることができない風景となっています。
昼が最も短い日、ということは、次の日には昼が長くなっていく、ということを意味します。この特別な日の日没風景を、環状列石を構築した特別な場で見ることを目指し、当時の縄文の人々も何度もチャレンジしたのでしょうか?そして、運よくお目にかかれた年は、盛大なお祝いをしたのでしょうか?
ここから先は、ぜひ皆さんでご想像いただければと思います。

※遺跡への道路は未除雪区間であるため、基本的には遺跡は冬季閉鎖となっています。冬季に遺跡へおいでになりたい方は、くれぐれもお気をつけいただき、申し訳ありませんが自己責任でお願いいたします。

(岩井浩介:弘前市教育委員会文化財課)

大森勝山遺跡から見た冬至の日没
(平成28(2016)年12月21日撮影)

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