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連載企画

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第7回 亀ヶ岡石器時代遺跡のマツリ今昔 2019年2月14日

亀ヶ岡石器時代遺跡(以下、亀ヶ岡遺跡と略)は、装飾豊かで造形美に優れた土器や土偶が多く出土することで江戸時代から知られていました。天明・寛政年間の津軽地域の農事・年中行事・動植物・方言など庶民の暮らしに関わりの深い事がらを収録した『奥民図彙(おうみんずい)』の最後に、「亀岳陶器」と題して亀ヶ岡遺跡から発見された土器が3点紹介されています。これは、津軽に暮らす人々にとって、亀ヶ岡遺跡の土器がいかに身近な存在であったかを物語る証拠です。

土器・土偶の発見が驚きの目をもって迎え入れられた時代が過ぎ、考古学が学問として大きく発展する明治時代に入ると、土器や土偶が亀ヶ岡遺跡のどのような場所から出土するのか、そして、なぜその場所から出土するのかが問われるようになります。明治20年に始まる亀ヶ岡遺跡の継続的な発掘調査は、土器や土偶の多くが丘陵の南北に広がる低湿地から出土することを明らかにしました。この低湿地には植物の遺骸が堆積してできた泥炭層が広がり、居住に適さない地形です。今でこそ、低湿地から遺物が出土する遺跡は全国に類例がありますが、明治時代にあっては亀ヶ岡遺跡が唯一の存在でした。

沢根低湿地から出土した赤漆塗り土器など(青森県立郷土館蔵、画像の複製・転載等二次利用禁止)

考古学の性質上、「何が」「どこで」「どのように」出土したのかは発掘調査である程度明らかにしていくことができますが、「なぜ」そのように出土するのかという答えを出すことはとても困難です。しかし、これまでに亀ヶ岡遺跡を調査した多くの研究者は、「なぜ多くの土器や土偶が壊れないままにまとまり良く低湿地から出土するのか」という問いに果敢に挑戦し続けました。
ある研究者は、もともと丘陵上にあった遺物が津波で低地に押し流された結果と考えました。また、ある研究者は、遺物の埋もれていた丘陵地が地殻変動で沈み込んだ結果と解釈しました。戦後になり、低湿地は当時のゴミ捨て場とする新たな説が出されます。そのうえで、まとまって出土する赤漆塗りの土器や完全に近い形の土器については、何かしらのマツリの結果残されたと考えられるようになります。低湿地に隣り合う丘陵上には、縄文時代晩期の多数のお墓が広がることが確認されていますので、このマツリは死者への弔いと何か関係があるのでしょうか。低湿地から出土する遺物をめぐる「なぜ」は、これからも問い続けられていくことでしょう。

時は変わり、縄文時代晩期の暮らしから約1,700年後の現在、亀ヶ岡遺跡は新たなマツリの舞台になっています。NPO法人つがる縄文の会の皆様のご尽力により、平成21年より「JOMON亀ヶ岡まつり」が遺跡で毎年開催され、地元の木造高等学校生徒によるボランティアガイドやネブタ運行など盛りだくさんのイベントが行われています。
過去、現在、そして未来へ引き継がれようとしている亀ヶ岡遺跡のマツリ。将来のマツリの姿がどのようになっているのか、想像する楽しみは尽きません。

(羽石智治:つがる市教育委員会社会教育文化課)

JOMON亀ヶ岡まつり2018でのネブタ運行

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