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連載企画

縄文遊々学-岡田 康博-

第26回 遺跡を支える市民の力 2010年3月1日

冬の三内丸山遺跡には静かな日々が訪れています。昨年7月には、延べ見学者数が550万人を突破し、三内丸山遺跡が日本を代表する遺跡であることをあらためて認識するとともに、遺跡の保存や活用に携わる私達にとって、多くの方々に足を運んでいただいたことは大変ありがたいことで、心より感謝申し上げます。


仙台縄文塾(講師は辻誠一郎東大教授)

さて、遺跡ではたくさんの市民、県民の方々が活動しています。ボランティアガイド、草刈り隊等々、いろいろな場面で多くの皆様に支えられています。その方々抜きでは三内丸山遺跡はもはや成り立たないと言っても過言ではありません。その中で、最も遺跡に長く関わっている「NPO法人三内丸山縄文発信の会」を紹介したいと思います。

この縄文発信の会は、遺跡の保存が決まった翌年、平成7年に発足しました。企画集団ぷりずむの杉山陸子さんや当時NHK青森放送局に勤務していた菊池正浩さん(現在「縄文ファン」で執筆中)、そして元県出納長の藤川直迪さんらが中心となって、遺跡からの情報発信を行うことを目的に結成されたものです。遺跡に関わる団体としては、全国有数の規模を誇ります。

この会の発足については思い出があります。遺跡の保存が決まり、平成7年から一般公開に向けて短期整備を行うことになっていましたが、遺跡の整備や活用はもちろん、全国へ向けての情報発信など未知の仕事ばかりでしたので、全体の作業は遅れ気味でした。さらに、県の様々な部署が関わることになり、現場では混乱が生じ、私自身仕事への意欲が薄れる場面も何度となくありましたが、まずは情報発信をしっかりとやろうと思いました。


縄文ファイル

その時に杉山さんの顔が浮かびました。前年、遺跡が話題沸騰となっている際に、社員を引き連れ、最もじっくりと遺跡を見学していたのが企画集団ぷりずむの面々でした。そこで、杉山さんの所を訪ね、思い切って情報発信についてのアドバイスをもらおうと思っていたのです。この時の相談を機に、数ヶ月後、縄文発信の会が立ち上がることになります。

発信の会では、様々な事業を行っています。これまでに遺跡の図録(カタログ)の作成や出前講座である縄文塾などを開催しています。各地にも支部があり、東京、仙台、大阪、広島などでも縄文塾を開いています。そして、月一回、三内丸山遺跡や縄文遺跡に関する情報がふんだんに掲載されている「縄文ファイル」を発行しています。今年の2月で172号となりました。注目されるのは、英語の対訳付きでということです。海外にもこのファイルを楽しみにしている多くのファンがいるようです。縄文塾は、これまでに85回も開催されています。そして、北の縄文回廊づくり推進協議会の事務局、縄文大祭典の事務局など、縄文や三内丸山をテーマにしたイベントや企画では重要な役割を果たしています。

発信の会の会員や事務局の方々とお話すると、三内丸山に対する熱い思いをいつも感じます。発足して10年以上経ちますが、三内丸山を最も愛し、支えてきた団体であることは間違いありません。これからもそうあって欲しいと強く願っています。

なお、発信の会については、事務局017-773-3477までお問い合せください。

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プロフィール

岡田 康博

1957年弘前市生まれ
青森県教育庁文化財保護課長  
少年時代から、考古学者の叔父や歴史を教えていた教員の父親の影響を強く受け、考古学ファンとなる。

1981年弘前大学卒業後、青森県教育庁埋蔵文化財調査センターに入る。県内の遺跡調査の後、1992年から三内丸山遺跡の発掘調査責任者となり、 1995年1月新設された県教育庁文化課(現文化財保護課)三内丸山遺跡対策室に異動、特別史跡三内丸山遺跡の調査、研究、整備、活用を手がける。

2002年4月より、文化庁記念物課文化財調査官となり、2006年4月、県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡対策室長(現三内丸山遺跡保存活用推進室)として県に復帰、2009年4月より現職。

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