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―大森勝山遺跡の整備現場から―

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連載企画

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第12回 「令和の環状列石」をつくる
―大森勝山遺跡の整備現場から― 2019年11月21日

弘前市の大森勝山遺跡は、青森県内最高峰岩木山の北東麓、標高約140mに位置する、今から約3,000年前(縄文時代晩期)の環状列石を有する遺跡です。
遺跡は、昭和30年代に計画された山麓の大規模開発に伴い、昭和34年(1959)から昭和36年(1961)にかけて発掘調査されました。この調査により、3,000年を経ても埋まりきらなかった大型の竪穴建物跡や、長径約50mの環状列石が確認されたことで、保存状態の良い、非常に価値の高い遺跡であることが判明します。
この成果を受け、遺跡は昭和36年度に公有地化され、さらに調査終了後、埋め戻され、現状保存されることとなりました。平成18年(2006)から平成20年(2008)に行われた再調査でも、この埋め戻しによる地下保存の方針は踏襲され、ほぼ全体が再検出された環状列石も、調査後全て埋め戻されています。

平成24年(2012)9月の史跡指定、さらに同年12月の「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産への追加を経て、市では平成26年度に「大森勝山遺跡の価値の保存管理方針」を定めた「保存管理計画」を策定します。この計画の中では、環状列石について、これまでの調査で採用された地下保存の方針を継続することとし、遺跡来訪者へは、現地での範囲表示などのほか、VR(仮想現実)・AR(拡張現実)技術での整備による情報提供も検討することが示されました。
現在、「縄文遺跡群」の構成資産を含めて、国内の環状列石については、その多くが当時の石材をそのまま現地で展示する「露出展示」が行われており、現地で「ほんもの」を見ることができます。よって、現地で「ほんもの」を見ることのできない大森勝山遺跡は、少数派と言えます。
平成26年度以降、毎年8月最初の週末に開催されている「大森勝山じょうもん祭り」では、原寸大のシートによる「当日限りの環状列石」復元を行い、来場された皆さんに、その大きさを体感いただいています。大半の皆さんは、遺跡の景観の良さには感心と理解を示されますが、「なぜ環状列石の「ほんもの」を見ることができないのか」についての説明に対しては、反応が分かれるところです。半数近い方は「この環境があれば、そのままでも良い」と一定の理解を示されるものの、「何か大きさがわかるものが欲しい」という方も多く、中には「もう一度全て掘り返してほしい」と要望される方もいます。
我々、市担当者は、良好な遺跡景観の中で当時に思いを馳せ、さらに、環状列石についても想像してみてほしい、と来場者に解説し、ご理解を求めてきましたが、同時に、我々も「環(わ)の大きさ」くらいは体感したい、という多くの意見を受け止め、「環状列石の整備の在り方」について検討を深める必要性を痛感しました。

そんな中、遺跡の両側を流れる大石川・大森川の上流部である赤倉沢で、林野庁による治山ダム改修工事が計画されていることがわかりました。これは、平成25年度豪雨で赤倉沢上部に大規模な崩落が発生し、この治山ダムに大量の土砂が流入していることから、ダムの改修が必要となったものです。
我々としては、この何百万と流入・堆積した岩石の中からならば、「縄文の環状列石」に使用された石材と、かなり似た石材を探し出し、もう一度「環状列石をつくる」ことができるのでは、と考え、平成27年度以降、関係機関と協議を進めました。そして今秋、ダム改修工事の開始とともに、石材の調査、入手作業の着手にこぎつけることができました。

「縄文の環状列石」は約1200個の石材を使用しており、そのうち約1000個は、大石川・大森川流域から採取された石材です。「令和の環状列石」づくりでは、その両河川の上流部である赤倉沢などから今年中に3000個以上の類似石材を選別・採集します。そして、来年の夏までに「縄文の環状列石」直上の保護層(厚さ約40cm)上に、一石ずつ並べていく予定です。今年の類似石材の採集作業は、この秋が「勝負の時」であり、我々、市担当者もその「一石」を探し出すため、日々一面の「石の海」を漂っています。
来年8月の「大森勝山じょうもん祭り」では、原寸大シートではなく、「本物と同じ石質」で「本物と似た形状・風合い」の自然石材による「令和の環状列石」を、自信をもって皆さんにお披露目できるよう、今後も地道な作業を進めていく予定です。

(岩井浩介:弘前市教育委員会文化財課)

赤倉沢の治山ダム改修工事現場
(標高約800m、令和元年(2019)8月)

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