ホーム > 連載企画 > 第37回 特別史跡指定10周年

このページの本文

連載企画

縄文遊々学-岡田 康博-

第37回 特別史跡指定10周年 2010年10月29日

三内丸山遺跡が特別史跡に指定されて今年で10年が経過します。平成4年に新県営野球場建設に伴い発掘調査が始まり、平成6年には、全国的に注目された直径1mのクリの木柱を使った大型掘立柱建物跡が発見され、それを契機として最終的には遺跡が保存されることになりました。

平成7年からは、竪穴建物の復元や展示室の整備などを行い、遺跡を公開してきました。平成14年には、縄文時遊館がオープンし、今年、縄文時遊館内に「さんまるミュージアム」がオープンしました。平成9年には、国の史跡となり、平成12年には、国の特別史跡に指定されました。また、平成16年には、出土品の一部1,958点が国の重要文化財に指定されています。

文化財保護法では、史跡の中で特に重要なものを特別史跡に指定することができるとしています。まさに我が国の歴史と文化の成り立ちを知る上で欠かすことのできない重要な遺跡が指定されるわけです。

有形文化財に例えると国宝に相当するといったところでしょうか。現在のところ、史跡は全国で1,661カ所ですが、特別史跡はわずか61カ所です(平成22年5月現在)。有名なところでは、弥生時代の大規模遺跡である佐賀県吉野ヶ里遺跡や遷都1300年祭で賑わう奈良県の平城宮跡などがあります。

縄文遺跡では、長野県の尖石(とがりいし)遺跡、秋田県の大湯環状列石、そして本県の三内丸山遺跡と3ヵ所しかありません。実に44年振りの特別史跡指定ということでも大変話題になりましたが、その後も縄文遺跡の特別史跡指定はありませんので、50年に一度あるかないかという極めて稀な例であったわけです。

当時、特別史跡の指定はまったく想像もしていませんので、文化庁と最初に打ち合わせをするまでは、正直半信半疑でしたし、特別史跡になるには世界遺産になるよりも難しいと思っていたほどです。その後も特別史跡の指定はありませんので、ハードルはものすごく高いことは変わっていないようです。

史跡で発掘調査を行うためには、文化庁の許可が必要になります。

史跡は国民にとって貴重な文化財ですが、発掘調査とはいえ遺跡そのものを解体することには変わりはありませんので、文化庁での審査は厳しく行われます。したがって不必要な発掘調査が史跡内で行われることはないわけです。三内丸山遺跡では、史跡指定後も発掘調査の目的や方法、地点などの検討を行い『発掘調査計画』を策定し、これに基づいて厳しい規制と管理のもとに必要最低限の発掘調査が行われています。

遺跡の全体像解明を着実に進めてきた結果が特別史跡指定につながったものと考えられます。また、そのような成果をより早く、わかりやすく伝えてきたことも評価されたことでしょう。


発掘風景
(三内丸山遺跡)

小さな積み重ねが特別史跡指定という大きな出来事につながったわけです。さて、青森県教育委員会では、三内丸山遺跡の特別史跡指定10周年を記念して11月6日(土)午後1時~4時15分までの予定で県立美術館1Fシアターにてフォーラムを開催します。

入場無料ですが定員には限りがありますりので、事前に申し込みが必要です。申込先は下記のとおりです。三内丸山遺跡の過去を振り返り、現在を見つめ、未来を考えるフォーラムですので、ご希望の方はお早めにお申し込みください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

プロフィール

岡田 康博

1957年弘前市生まれ
青森県教育庁文化財保護課長  
少年時代から、考古学者の叔父や歴史を教えていた教員の父親の影響を強く受け、考古学ファンとなる。

1981年弘前大学卒業後、青森県教育庁埋蔵文化財調査センターに入る。県内の遺跡調査の後、1992年から三内丸山遺跡の発掘調査責任者となり、 1995年1月新設された県教育庁文化課(現文化財保護課)三内丸山遺跡対策室に異動、特別史跡三内丸山遺跡の調査、研究、整備、活用を手がける。

2002年4月より、文化庁記念物課文化財調査官となり、2006年4月、県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡対策室長(現三内丸山遺跡保存活用推進室)として県に復帰、2009年4月より現職。

バックナンバー

本文ここまで