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連載企画

縄文遊々学-岡田 康博-

第39回 森の勇者 2010年12月2日

例年になく「人里にクマ出没!!」のニュースが報道されています。今年は森に木の実などの食料が非常に少ないため、食料を求めて人里に降りてくるらしいとのことです。東北森林管理局の調査では、福島県を除く(福島県は管外)東北5県では、ブナの実の結実状況が皆無となったことが報告されています。


熊形土製品 青森市三内丸山(5)遺跡
縄文時代後期
青森県埋蔵文化財調査センター 蔵

ブナなどの木の実にはデンプンが豊富に含まれているため、クマをはじめとして森の動物たちにとっては重要な栄養源となるわけです。ドングリやブナなどの木の実はたくさんなる年もあれば実りが非常に少ない年もあるとされています。

今年は猛暑の影響と不作の年が重なってしまったのかもしれません。また、ナラなどが枯れる被害が日本列島全域に拡大していることとも関係している可能性も考えられます。人里に現れたクマは、何事もなく再び山に帰るものもいれば、人間への危害を懸念され、捕獲、駆除されるものも少なくありません。


熊形土製品 弘前市尾上山遺跡
縄文時代晩期 県立郷土館 蔵

それだけ人間にとっては脅威ということなのでしょう。現代の日本列島では天敵が見当たらないことから最強の動物と言ってもいいのかもしれません。さて、縄文時代ですが、自然とともに生きた縄文人にはクマはどのように写っていたのでしょうか。土偶は粘土で人間を表現したものですが、動物を石や粘土で表現したものが作られています。

その中には、クマ、イノシシ、イヌなどがあり、中でもクマは他の動物に比べて多く作られたようです。といっても縄文時代全般に見られるわけではなく、縄文時代後期以降に多く、亀ケ岡文化で知られる晩期に顕著となるようです。分布範囲も北海道~北東北に多いようですので、この地域の共通の文化的要素と見ることができ、縄文時代の後半にはクマが特別な動物として取り扱われていたことが考えられます。

さらに、北海道や北東北では縄文時代以降もクマの意匠が頻繁に使われています。北海道では弥生時代以降も稲作農耕が行われていなかったことから、縄文的な生活や文化が継続したものと考えられており、続縄文時代と呼んでいます。


熊付土製品 六ヶ所村上尾駮(2)遺跡
縄文時代後期 青森県埋蔵文化財調査センター 蔵

このことはクマが引き続き特別な動物として位置づけられていたことを示しており、信仰の対象となったのかもしれません。アイヌ民族ではクマは神の使いとして特別な動物でしたし、自分たちの先祖として信仰の対象となった例も見られます。

縄文時代、森の中でクマは最強の動物であり、その力に畏怖の念を持ったことでしょう。また、神の使いとして神聖視され、森の豊かな恵みを支配するものと映ったのかもしれません。

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プロフィール

岡田 康博

1957年弘前市生まれ
青森県教育庁文化財保護課長  
少年時代から、考古学者の叔父や歴史を教えていた教員の父親の影響を強く受け、考古学ファンとなる。

1981年弘前大学卒業後、青森県教育庁埋蔵文化財調査センターに入る。県内の遺跡調査の後、1992年から三内丸山遺跡の発掘調査責任者となり、 1995年1月新設された県教育庁文化課(現文化財保護課)三内丸山遺跡対策室に異動、特別史跡三内丸山遺跡の調査、研究、整備、活用を手がける。

2002年4月より、文化庁記念物課文化財調査官となり、2006年4月、県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡対策室長(現三内丸山遺跡保存活用推進室)として県に復帰、2009年4月より現職。

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