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連載企画

縄文遊々学-岡田 康博-

第45回 サケ・マス文化論 2011年2月28日

先日、北海道森町に行った際、久々に川を遡上するサケを見ました。県内では十和田市の奥入瀬川や鰺ヶ沢町の赤石川でサケの遡上を見ることができます。かつては海から離れた内陸の弘前市土手町の土淵川に架かる蓬莱橋の下でも見ることができました。


遡上するサケ(森町)

さて、縄文遺跡でもサケの骨が出土しています。著名な考古学者の山内清男先生は、東日本の縄文文化の繁栄の理由をサケ・マスなどの潤沢な食料に求め、サケ・マス文化論を提唱しました。短い期間に大量に獲れるサケは縄文人にとって非常に魅力的な資源であったことでしょう。

三内丸山遺跡でも量は少ないもののサケの骨が出土しています。また、カワシンジュガイというサケに寄生する貝も出土していることからサケも獲れたのだと思います。縄文時代晩期の遺跡でも出土していますから、重要なタンパク源であると同時に冬を迎えるための保存食であったようです。それこそサケは捨てるところがない魚と良く言われますが、身や骨はもちろん、皮も食べるほか、民族例では、靴や服に加工されていることから、縄文時代にもそのように利用されていたことが考えられます。

かつて9月のサハリンの西海岸で見た光景ですが、川にバイパスを作り、そこにかごをしかけ、サケで一杯になるとクレーンで引き上げ、そのまま工場へトラックで運んでいました。カナダ北西海岸では、先住民の生活を支えたのがサケと言われていますが、あちらこちらの小さな川にサケが大量に、その時はベニザケでしたが、ものすごい数が遡上していて大変驚きました。


三内丸山遺跡出土のサケの椎骨

縄文人とサケの関係を知る上で興味深いものがあります。通称「鮭石」とも呼ばれますが、石にサケの形を刻んだものが遺跡から出土しています。秋田県に多く、青森県では、それらしいものが平川市大面遺跡から出土しています。鮭石ですが縄文時代に限ったものではなく比較的新しい時代まで残っていたようで、サケが遡上する河川流域に多いとされ、サケの豊漁を記念したものと理解されています。しかし、北海道大学に勤めておられた吉崎昌一さんは、今私達が目にする大量のさけの遡上は養殖や放流によるもので、自然界ではそれほどではないのではないかとの指摘をしています。

また、北海道石狩市の紅葉山遺跡からは、旧川道に杭を打ち込んだ梁や「えり」と呼ばれる施設が見つかっており、遡上するサケをまとめて獲っていたことが推測されています。

サケは限られた期間に大量に出現する食料です。北東北には、サケ以外にもキノコや木の実など同様の食料資源があります。これらの資源を有効利用するためには、労働力の集約や組織が不可欠です。また、大量に手に入れた食料を保存、貯蔵するための施設や技術の開発も必要でした。北東北の縄文文化や社会の成熟とこの地域にある食料資源との関係は密接なものがあったと考えられます。

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プロフィール

岡田 康博

1957年弘前市生まれ
青森県教育庁文化財保護課長  
少年時代から、考古学者の叔父や歴史を教えていた教員の父親の影響を強く受け、考古学ファンとなる。

1981年弘前大学卒業後、青森県教育庁埋蔵文化財調査センターに入る。県内の遺跡調査の後、1992年から三内丸山遺跡の発掘調査責任者となり、 1995年1月新設された県教育庁文化課(現文化財保護課)三内丸山遺跡対策室に異動、特別史跡三内丸山遺跡の調査、研究、整備、活用を手がける。

2002年4月より、文化庁記念物課文化財調査官となり、2006年4月、県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡対策室長(現三内丸山遺跡保存活用推進室)として県に復帰、2009年4月より現職。

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