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連載企画

縄文の風を感じてみませんか?-土岐 司-

第33回 枯れることの意味 2010年1月29日

昨年の年末は娘がいるドイツで過ごした。以前に渡独した冬も寒いと感じたが今回の寒さは身に応える。それと言うのも体調は万全だと自信を持っていたが食当たりでもしたか嘔吐や下痢に苛まれ辟易とされた。

そんな中で歩いた先々だったが冬枯れの中で咲く花もあり心和む景色が見られた。大きな庭園の外側を歩くと枯れた草本類の中にロゼット状の葉に白い花が見られほっとさせられる。家々の窓辺の飾られたクリスマスの電飾が冬枯れの樹木の間からちらちらと輝くのも一景である。この季節は殊更に白いパウダーをまぶしたようなドイツトウヒが存在感を高めてくれ旅人に異国情緒を醸し出してくれるようだ。

ハイウエイを走ると牧歌的な光景に出会うが、どれも葉を落として黙しているのが眺められる。しかし、その景色は不思議と「寂しさ」を感じさせないから不思議だ。日本で同じような景色を見れば「さびしい」とか「わびしい」とかと直に感じるのだと思うが、国外ではそのような感覚にならない何かがあるのは私だけだろうか。地平線までも続くような広大な麦畑の薄い緑がレイアウトされているためだろうか、寒さの中でも何かしらの希望が隠されているようで嬉しい。枯れる・・・とは、死すことではなく新しい命の芽を懐に抱くことだと知りつつも日本人の感性は「わび」「さび」から捕らえがちになるのは何なのだろう。

華々しく生を謳歌している様だけを見れば、たしかに衰えることは寂しさを伴うものなのだろう。けれど「生きる」ことの中に包括されて「枯れる」ことや「衰える」や「死」があることを、もっと確かなこととして認識されなければ悲しいことだけがクローズズアップされてしまいはしないか。私たちには見えないが「再生の兆し」を隠し持つ植物たちから学ばせて頂いたが、寒空の中で見つけた小さな命たちに心を留められる心は失いたくないものです。

昼下がりの散歩で孫たちが垣間越しに咲く小さな花を見つけ、赤い実をつけた枝を指差し、ハコベの葉が小鳥の餌になるなど説明してくれた。冷たくなった手で、お母さんへのお土産を摘む姿から娘の子育ての一部を見た感があり心が和んだ一コマです。

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プロフィール

土岐 司

1942年青森県生まれ

高校理科教員を38年勤め、2004年有限会社ヒーリングエコツアーPROガイド エコ・遊を設立。 教員在職中、白神山地を題材とした授業の中で、白神の自然を後世に残すという想いに目覚める。

会社設立より現在に至るまでのシーズン中(5月中旬~11月中旬)に白神を留守にしたのは片手で数えるほど。

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