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連載企画

縄文の風を感じてみませんか?-土岐 司-

第41回 哲学ができる 白神の道 2010年7月23日

「哲学」?なんでお前が?と言われるのが落ちです。分かっているンですよ。
京都には「哲学の道」なんて言うのがあることは周知のことです。修学旅行で幾度か訪れたのですが、それほど心に残るような何もなかったことを薄っすらと覚えている。由来を聞けば西田幾太郎が物事を考えるときに歩いたという逸話があると聞かされた。残学者の私には何とも理解に苦しむことである。何も京都の名所に難癖をつけるつもりは微塵もなく「彼、西田先生が思索しながら歩いたンじゃ?」と思えば観光地だからネと一笑に伏すことができる。

私が白神山地の観光に関わった経緯には、白神山地に来られるお客様に何かを考えて感じながら観光をして欲しいとの思いがある。その「観光」の基には隠された「感交」というコンセプトある。白神山地の入り口でしかないが静寂な森で自然の音に耳を傾け、風を感じながら心を遊ばせる。かつて縄文ビトが住んだエリアを眺めることだって十分に「思索」が可能だと自負している私です。古都ゆえに名づけられ地名であり観光資源なのだろう。世界自然遺産の周辺で何かを考えたりすることも、十分な「哲学」ではないだろうか。

そうだ!「哲学の道」には有名な桜並木があったンだ。時に春を謳歌する花が咲き、葉桜の紅葉が美しい所。思索せずとも歩くだけで楽しくなりはしないだろうか。「ふン、白神だって捨てタもんじゃナィよ」(誰も捨ててないと思うけど)なんてと思うが、「知識の宝庫であり感性の生みの親」が白神なンですよ。こんなのって明らかに「哲学ですよね」。そうですよネ。

このような考えをするのは、心が自由になる空間に放されるからだろう。時折、日常に疲れて旅に出る「ひとり旅」のお客様と出会うことがあります。どう言うか、そんなお客様は私たちには直に分かることがあります。そんな時は特に注意して言葉をかけるように勤めます。一例だが「死に場所を探して・・・」というやり場のない深刻な重い荷を抱えて旅に来たと洩らす人もいるのです。私たちの仕事の領域を超えているのですが「聞いてあげる!」こと。「頷いてあげる!」これも必要なサービスと考えます。言葉を交すことは閉じ込めてい何かを吐きだすことであり、共感者がいることで心の重荷から開放されるののかもしれない。考えさせてくれ、立ち止まらせてくれる自然の力が森にはあるのかも知れない。時として自分の内面を見つめなおす空間であり、疲れた心を癒す瞬間を得られるのは「哲学をしたご褒美」ではないでしょうか。きっとそうだと思うのです。

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プロフィール

土岐 司

1942年青森県生まれ

高校理科教員を38年勤め、2004年有限会社ヒーリングエコツアーPROガイド エコ・遊を設立。 教員在職中、白神山地を題材とした授業の中で、白神の自然を後世に残すという想いに目覚める。

会社設立より現在に至るまでのシーズン中(5月中旬~11月中旬)に白神を留守にしたのは片手で数えるほど。

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