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連載企画

世界の"世界遺産"から

第24回 アユタヤの遺跡で日本人の心を思う 2011年3月28日

バンコクからエアコンのない古い電車に揺られ、2時間ほど。1350年から400年ほど続いた、アユタヤの遺跡にたどり着いた。王朝に決定的な終わりをもたらした1767年の戦い以外にも度々ビルマとの戦いがあったほか、王が変わるたびに跡継ぎ争いも生じ、経済的には繁栄したものの、平和な時代が続いていたとは言い難い。

1368年に建設されたブラ・ラーム寺院。

 

とはいえ、戦の焼け跡に残された数多くの仏像はいずれも、時に人なつっこさを思わせるほどの笑みをたたえていて、これまで訪れたどの遺跡にも増して、印象深い訪問に。流行りの仏像ファンというわけではないのだが、思わず見入ってしまうほど、それぞれの表情に魅せられてしまったのだ。山田長政の活躍で知られる日本人町では、旅の直前に聞いたとある日本史の先生の話を思い出す。当時、徳川幕府による統一で世情が安定したため仕事にあぶれた浪人が海外に未来を求め、東南アジア各地には数多くの日本人町が誕生したが、鎖国の指令とともにほとんどの人が帰国し、町は自然消滅したという。「日本人はごく当然のことのように、日本に帰ったようです。なぜかは、わかっていません。でも、華僑とは明らかに異なる行動なんですよね」。

3月11日を迎えたのは、タイから戻ってほどなくのこと。これほどの被害にみまわれても、暴動や略奪行為が目立って起きていない状況を、海外の報道が讃えているニュースを見て再び、日本史の先生との会話が蘇る。「今まで私たちがふれてきたどんな人たちより、この国民は一番傑出している」という手紙をしたためたフランシスコ・ザビエルをはじめ、大航海時代以降、明治の初期の頃までに日本を訪れた外国人たちは、日本人の心の美しさに感銘を覚えたのだそうだ。金銭よりも名誉を重んじる、誇り高い、向学心がある、礼儀正しいなどと。幕府の曖昧な対応に嫌気がさしていたはずのアメリカ駐日総領事タウンゼント・ハリスでさえ、庶民の暮らしを「地上の楽園」と記している。

縄文の遺跡から戦いの痕跡が見つかっていないが、これは日本人の心の根底に継がれてきたDNAの源なのかも。だとしたらそれこそが、世界遺産級の宝である。日頃から身勝手きわまりないわたくしの心に、少しでもご先祖さまである縄文人の血が流れていますように。一刻でも早く、穏やかな日常が戻ってきますようにと、東京から祈りをこめて。「微笑みの国」と呼ばれているポジティブ思考のタイ人の口癖は、「マイペンライ(大丈夫)」。

都が滅亡した後、木の根に飲み込まれた仏頭。

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プロフィール

山内 史子

ライター、紀行家。1966年生まれ、青森市出身。

日本大学芸術学部を卒業。

英国ペンギン・ブックス社でピーターラビット、くまのプーさんほかプロモーションを担当した後、フリーランスに。

旅、酒、食、漫画、着物などの分野で活動しつつ、美味、美酒を求めて国内外を歩く。これまでに40か国へと旅し、日本を含めて28カ国約80件の世界遺産を訪問。著書に「英国貴族の館に泊まる」(小学館)、「ハリー・ポッターへの旅」「赤毛のアンの島へ」(ともに白泉社)、「ニッポン『酒』の旅」(洋泉社)など。2016年6月に「英国ファンタジーをめぐるロンドン散歩」(小学館)を上梓。

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