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連載企画

ジョウモンのカ・タ・チ

第4回 「イエのカ☆タ☆チ」 2011年10月6日

イエ=住居の歴史は古く、縄文時代より前の旧石器時代にはウクライナなどではマンモスの骨や牙を利用したイエの跡が見つかっています。日本でも約2万年前のイエの跡が確認されています。縄文時代になり、ムラの出現や発達とともに地面を掘り下げて床を作る竪穴住居が急速に普及し、現在では必ずといっていいほど教科書にも紹介されるほど、縄文文化を代表するイエとしてよく知られています。イエはムラを構成する基本的な施設であり、縄文人の生活の拠点です。そこでは家族を中心とした生活が営まれ、団らんや憩いの空間でもありました。
発掘調査ではイエの跡は数多く見つかりますが、イエのカタチを知る手がかりは決して多くはありません。建築部材の出土も少なく、また、弥生時代には比較的多く見られるイエを描いた絵などもほとんどありません。わずかに、鹿児島県大園原(おおぞんばる)遺跡から高床風の建物と見られる絵を描いた土器片が、また、北海道八雲町栄浜1遺跡から軽石で作られた入母屋風の屋根を持つ壁が立っている石製品が出土しているのみです。
しかし、イエのカタチは機能と密接に関係することから詳細な発掘調査の分析や平面形、柱や炉の配置から推測することができますし、世界の民族例を参考にすることもできます。全国各地の遺跡で見られる復元されたほとんどのイエはこのようにしてそのカタチが決められたものです。
また、大小の違いがあっても原則としてひとつのムラには1種類のカタチや構造のイエが復元されますので、一見して同じカタチのイエが整然と並んでいるように見えます。しかし、民族建築の専門家からは当時にはさまざまなカタチのイエが混在していたのではないかとの指摘があります。実際に発掘調査で見つかるイエの跡には平面形や柱の配置にも違いが見られ、それがカタチの違いによることも十分に考えられることから、三内丸山遺跡では土葺き、茅葺き、樹皮葺きの三つのタイプを復元しています。以前は縄文のイエと言えば直ちに茅葺き屋根とされていましたが、現在では土葺き屋根が多かったものと考えられています。さらに時代や地域によっても違いがあることもわかっています。
復元はあくまでも仮説に過ぎませんが、復元した時の学説や設計者の考えが繁栄されていますので、そのひとつひとつが個性的に見えます。
(青森県教育庁文化財保護課長 岡田 康博)

鹿児島県上野原遺跡(早期)

長野県尖石遺跡中期

岩手県御所野遺跡(中期)

八戸市風張遺跡(後期)

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プロフィール

ジョウモンのカ・タ・チ

執筆者一覧

・青森県教育委員会文化財保護課長 岡田康博
・青森県教育庁文化財保護課 文化財保護主査 永嶋豊
・青森県教育庁文化財保護課 文化財保護主幹 斎藤岳
・青森県教育庁文化財保護課 文化財保護主事 岩田安之
・青森県教育庁文化財保護課 文化財保護主事 斉藤慶吏

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