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縄文のワケ -菊池 正浩-

第2回 「縄文のお酒のワケ」 2009年6月3日

縄文人はお酒をのんだのか?

のんだとしたら、どんなお酒だったのでしょうか?

これは、三内丸山遺跡が話題になったときから、わたしたちの最大の関心のひとつでした。

民博の名誉教授の石毛直道さんは、「酒は、稲作の誕生からといわれています」といって、なかなか縄文のお酒には、慎重でした。

ところが、東京大学農学部の辻誠一郎先生は、積極的に、縄文のお酒があったと主張しておられます。その根拠は、三内丸山遺跡の第6鉄塔地区から出た大量のニワトコです。ドラム缶5本分の量になるそうです。

ニワトコの実を発酵させてお酒をつくっていたと考えています。

ひとことで、ニワトコといっても、実は、エゾニワトコという種類で、これが、酒づくりに適しているといいます。

では、縄文人は、どんなお酒ののみ方をしていたのでしょうか?

現代人のように、会社帰りに居酒屋でいっぱいとか、晩酌としていっぱいというのとは、違うようです。

この縄文のお酒の背景には、円筒土器文化の誕生というもうひとつのワケがあると、最近いわれています。

円筒土器文化というのをご存知ですか?

バケツのようなズドンとした土器です。この円筒土器文化が、青森県を中心に、北は北海道から、東北北部にひろがっているのです。

東大の辻誠一郎先生のお話によると、円筒土器文化は、5900年前に、突然出現したといいます。

いったい何があったのでしょうか?

それは、十和田カルデラの大噴火でした。その噴火による火山灰は、北海道から北東北一帯に降りそそぎました。現在の十和田湖もそのときの大噴火でできたといいますから、いかにスケールの大きな噴火だったかがわかります。

この大噴火のあと、ポッコリと円筒土器文化が登場するのです。

その代表的な遺跡である三内丸山遺跡の花粉を分析したところ、こんなことがわかりました。噴火を契機に、ブナを中心とした林から、クリを中心とした林に変わっているのです。

このことは、次のように読み取れるといいます。

噴火で、生活環境がガラリと変わった縄文の人たちは、クリ林を栽培するなどして、生き抜く工夫を重ね、新しい文化を生み出していったのではないだろうか?

それが、円筒土器文化だったのではないかということです。

では、この時期の三内丸山遺跡の土壌から、大量に出てくるエゾニワトコをどう考えたらいいのか?

辻先生は、こんなふうに推論しています。

縄文人が、さまざまな小集団を連携させ、噴火で激変した環境に立ち向かうために、お酒が大きな役割をはたしたのではないかというのです。

ここから先は、わたしのイメージした光景です。

三内丸山の縄文の丘の上に立つシャーマン。

生きているもののきずなを確かめるため、祈りをささげ、ひとびとに酒をふるまう。

さらに、亡くなった祖先あるいは、超越的な自然(あるいは神?)に、山の幸や海の幸のゆたかな実りを祈願して、酒を酌み交わす。

そんな光景が、想像できます。

このように最近の研究では、次々に興味深いことが分かってきています。

円筒土器文化が、大噴火のあとのサバイバルをかけた力の結集の産物かもしれないというのは、驚きです。

それは、現在の「道州制」をはるかに先取りしており、生存をかけたひたむきなものだったようです。

さらに、縄文のお酒が、縄文の人々の結束に、ひと働きしたかもしれないという話は、ワクワクさせます。

縄文は、なかなか奥の深い世界だと思いませんか?

次回は、20世紀末、三内丸山遺跡が一躍注目されたワケを探ってみましょう。

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プロフィール

菊池 正浩

番組プロデューサー。

NPO法人・三内丸山縄文発信の会会員。 1946年生まれ。青森県弘前市出身。早稲田大学卒業。NHK入局後、美術・歴史番組を担当。 1994年NHK青森放送局で大集落発見直後の三内丸山遺跡を紹介。

その後、東京で NHKスペシャル「街道をゆく」「四大文明」 「日本人はるかな旅」「文明の道」などを担当。

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