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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第11回 土器の起源(その2):土器は社会をどう変えたか 2012年3月28日

土器の使用は人間社会にどんな役割を果たしたのだろう。実用的には煮沸と貯蔵、それに加えて、自在な造形(装飾)が可能なために精神世界が表現されていることに注目してみよう。

煮沸は、最近スロー・クッキングが注目されているように、栄養分を逃がさない、穀類や小さな貝などが利用できる、デンプンがα化されて消化しやすくなる、アクやドクを抜くことができるなどの効用をもたらした。

貯蔵はムシやネズミの害を防ぎ、長期保存ができるので、「口から手へ」の生活から備蓄を(欠乏時にそなえて)計画的に使える生活への転機になった。醗酵という新しい加工技術が確立されたことも重要であろう。

精神面では、大型で異形、器壁を複雑な模様(なかにはヘビや人物などの具象像まである)で飾り立てた特殊な土器がつくられたことに意味がある。それは神への供物なのか、遠来の珍奇な食品を盛ったのか。P.ジョーダン氏はその背後に、(首長のような)社会的に突出した人物の影を見、階級社会の萌芽が窺えるという。

そう考えると、土器は食生活の安定と拡大に革命をもたらし、それが人口の多い、精神的にふかく複雑化した社会が出現する礎をつくったといえるだろう。

土器は一元的に発生し、農業をともなって世界へ伝播していった、というヨーロッパ発の定説はかつてはゆるぎないもので、日本の土器研究もそれを踏まえながらはじまった。ところがC14年代が使われるようになって、その初現は氷河時代に遡り、発明と使用は農民ではなく狩猟採集民であることが明らかになった。その事実は、世界的視点からの土器研究、とくに初現期の様相の再検討を促している。

縄文土器の年代は(今のとことろ)世界的にも古く、情報の蓄積もおおい。しかし、問題は古さにとどまらない。東日本で前期からはじまる大量の土器生産が意味するものは何か、その解明は古い命題であった農業との関わりもふくめ、さまざまの問題解決に貢献できると思う。その代表的な遺跡としての三内丸山遺跡の研究への期待は大きいのである。

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プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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