「土器を発明した人はお茶を飲みたかったのかもしれないね」と土器の起源を調べているP.ジョーダン氏が笑いながら言った。もちろん、そのころコーヒーやお茶があったはずはないのだから。
草創期の土器を調べていて(第11回 土器の起源参照)、小型のものが多いのでシベリアの狩人のことを思い出したと言う。彼らは、小さな荷物の中に必ずコップを忍ばせていて、一仕事終えたあとは、火を起こし、茶を入れて飲むのを楽しみにしているからだそうだ。
そういえば、私もアーネムランドで、そんな狩人の性癖を感じたことがある。あれは、暑くて、長い一日だった。草原、岩山、湿地のでこぼこ道をランクル(四輪駆動車)で朝から走り回っていた。ろくな獲物がなかったので、あきらめて早々にムラに帰った。ところが、リーダーのサムは、火の用意ができてないと聞くと、斧を振り回して薪を大量に作り、盛大な火を焚いた。そして、自分だけの、砂糖をたっぷり入れた茶を作って飲むとそのまま寝てしまった。その間ずっと無言だったことからみて、よほどアタマにきたことがわかった。いつもは口うるさい女たちも、触らぬ神に祟りなしとばかり、干渉したり非難したりしなかった。
土器の効用は「熱い」、「液体」をつくれることではないだろうか。もちろん、煮沸することにより、アクや毒をとり去り、柔らかくする、いろいろ味をつけるなど、食に大きな革命をもたらせたことは言うまでもない。しかし、熱い液体が、望むらくはそこに糖分が加われば、たちまち体力は回復し、気分が和らぐ。もちろん一人でもいいのだが、火を囲んで仲間たちと語り、次の戦略を練る、情報交換するなどの時間は大切である。それは食事のように必須のものではなく、いわば無駄な「ゆとり」なのである。いま、町にたくさんの喫茶店があるのもそれに通じるといえるかもしれない。縄文人がどんな「お茶」を飲んでいたのだろうかと想像するのも楽しいではないか。