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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第28回 女王ヒミコのくすり 2013年11月7日

イヌやネコが体の具合が悪い時に特定の植物を食べることはよく知られている。西田利貞さん(人類学者)は、チンパンジーが普通はあまり食べないアスピリアの若葉を食べることに注目し、彼らに薬草の知識があるのではないか、それを追っていけば動物薬物学ができるだろうと述べている。アスピリアはアフリカ人が膀胱炎、淋病、腹痛の薬として使っており、その葉からチアルブリンAという抗生物質が抽出されている。チンパンジーは群れごとに食料や道具に関する「文化」があることがわかっており、もし文字を持っていれば「薬草」の本ができていたかもしれないと思うほどである。

文字のない縄文時代の薬も同じようなことで、キハダやニワトコなど、今日でも生薬として使われているものが集中して出土する例は多いのだが、やはり状況証拠なので決め手にかける。弥生時代になると文字が入り込んでくるので、この点は少し楽である。

ヤマタイ国の有力候補の1つ奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡から2000個以上のモモの実が、大型建物の横の大きな穴からザル・ヨコ槌などとともに出土した。神への供え物として使われたのではないかというのだが、当時のモモは粒が小さいし、固くてマズそうだ。私は漢方薬「桃仁(とうにん)」を採るための作業の1プロセスを示すと考えている。桃仁は痰のある咳、虫垂炎、月経障害、更年期障害などに効くとされているが、青酸配糖体をふくむアブナイ薬だそうだ。ほかにも「紅花」の花粉が集中して発見されているところがあり、これも浄血、通経などに効くとある。女王ヒミコは婦人病に悩んでいたのだろうか。

魏志倭人伝によれば、このころの日本は朝鮮半島の国々と競合して、中国に朝貢している。そして埴原和郎さん(人類学者)によれば、弥生時代には100万人規模の新モンゴロイドが渡来したという。モモは外来種なので、彼らによって、たぶん薬という意識もあって運び込まれたものであろう。それならば、この大型建物には(のちの)典薬寮があり、その製薬場だったことが考えられる。

桃の字は藤原京や平城京からの木簡にも見え、延喜式の典薬寮の項にはもっとも多くの国からの貢進があり量的にも多い重要な薬だった。典薬寮とは今日の厚生労働省で、国が認める医療医薬を決め、組織化した機関だったのである。薬は主に天皇、貴族、官が、寺院関係者など一部の人たちの治療に使われたのだろうが、悲田院などを通じて庶民社会にも浸透していったと思われる。果実としても利用されたモモは身の回りにたくさんあったことも幸いしたようだ。

縄文時代の薬については、花粉分析やフローテーションなどを使った自然遺物への関心が高まっていることからみて、「薬草」に注目した研究が進められるだろう。

纏向遺跡から出土したモモの種 (写真提供:桜井市立埋蔵文化財センター)

纏向遺跡から出土したモモの種
(写真提供:桜井市立埋蔵文化財センター)

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プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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