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あそこのおかあさん縄文人だから -山田スイッチ-

第20回 三内丸山縄文大祭2 2009年12月8日

三内丸山遺跡から出土した土器には、祭祀に使われたと想像されるものが多数出土している。きっと縄文人は祭祀を中心とした社会を築いていたのだろう。しかし、「祭祀」って一体、何をしていたのだろうか?

縄文の炎
(撮影:片山康夫)

三内丸山縄文大祭で開かれた、田口ランディさんの講演「大陸と結ばれた縄文のこころ」では、その祭祀というものを解き明かそうとする、なんだかすごい講演だった。

だって、講演の中、実際にシャーマニズムが近代まで行われていたという、アルタイ共和国のシャーマニズムの映像を、見せて頂いたのだ。

現代人の考えでは、とうてい思い浮かばないようなシャーマニズムの儀式。2日間に渡って歌い続けるというアルタイの英雄叙事詩。響き渡る倍音と民族楽器の響き……。

アイヌの熊送り(小熊を数年間大切に育て、大きくなったら殺して熊にきれいな飾りを施し、熊の魂を送るという儀式)に、とてもよく似た馬送りの儀式など。近代までシャーマニズムが残っていたというアルタイ共和国の、貴重なビデオを見せて頂いた。

踊る雪雄子さん
(撮影:片山康夫)

実際に見るシャーマニズムの儀式は、衝撃的だった。田口さんは三内丸山遺跡の人達が、「一体、どんな神を信じて、どんな宗教を持っていたのか?」に、非常に高い関心を持っている。そこを深く掘り下げた講演を聴いていた私は、そのシャーマニズムの世界に飲み込まれたような気分になっていた。

三内丸山縄文大祭の構成は、私と田口ランディさんが一緒に考えたのだが。私たちは言葉に出さずとも、一つの同じ祈りを持っていたように思える。その祈りとは、私たちの意識が、参加した全ての人々の意識が、世界と一緒になること……。それを叶えるための儀式が、私たちの祭祀であり、三内丸山縄文大祭だったのだ。

ほんの一瞬でもいい、自分達の意識が。その場所で繰り広げられる音に、舞いに、炎に、一陣の風に全てを持って行かれ、「よくわからない一瞬」が訪れるのを、私は望んでいた。恐らくは、田口さんもそうだったのではないかなあ……と思う。

そのよくわからない一瞬に、私たちは賭けていたのである。

遺跡にはキャンドル・ワークショップで作られた光と水のキャンドルが、夜の三内を幻想的な雰囲気に変えていた。そこに、まるで本物のシャーマンのように、夜の遺跡に舞踏家の雪雄子さんがスーッと立ち、両腕を神に捧げるように拡げた。石坂亥士さんの生み出す音は静かだった。バックには晴れ渡った星空と、かがり火に焚かれた炎、清涼な遺跡の空気。

その動きを見ている私に、ふいに変な感情が湧いてきた。その感情は、世界がひどく、自分を愛してくれていると思えてしまう、本当におかしな感覚なのだ。

空が私だけのために動いていて、雲の一刻一刻の動きがこわいくらい美しく感じる。何もかもが自分と繋がっていて、これから起こる全てのことが、奇跡だと思えてくる。そんな感覚。

そこに、ねぶた囃子が響いてきたのだ。体が跳ねる。ねぶたの太鼓の音は、天空に響いている。

全国から集まった人々が、踊りの輪の中に飛び込み、思い思いに跳ね、空中を駆けるように舞った。この日、三内丸山遺跡で踊ることを心待ちにしていた人々だ。

踊れ、アラハバキ
(撮影:片山康夫)

ラッセーラー! ラッセーラー!と、ねぶたの威勢のいいかけ声がかかる。

自分で企画したことなどすっかり忘れ、ただひたすらに音に踊らされ、体ごと跳ねて、人と抱き合い、私は渦の中に飲まれていった。

それから数日間。私の体からは、感謝の思いが溢れかえっていたのである。

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プロフィール

山田スイッチ

1976年7月31日生まれ。

しし座のB型。青森県在住コラムニスト。 さまざまな職を経て、コラムニストに。 著書に「しあわせスイッチ」「ブラジルスイッチ」(ぴあ出版刊)、「しあわせ道場」(光文社刊)がある。

趣味は「床を雑巾で拭いて汚れを人に見せて、誉めてもらうこと」。

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