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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第32回 女性と服装 2014年2月21日

ベトナムの山岳地帯のムラでは少数民族が多く、民族衣装を着た女性が目についた。現役のフィールド・ワーカー、樫永真佐夫さん(国立民族学博物館准教授)は「あれは黒タイ族、あれはモン族」などと服装を見て一目であてる。ところが男性と子どもはシャツ、ジャンパー、ズボンで今風である。伝統社会が近代化に向かう時、男女の服装に大きなズレが生じるのが常である。日本でも明治維新から現代まで同じプロセスをたどった。男性が断髪、洋装にかえても女性は着物姿という様子は、ビゴーの絵や、サイデンステッカーが日本の近代化を論じた本に詳しく述べられている。なぜ女性だけが?

着衣のはじめは噛んでなめした生皮だったことは確かなようだ。防寒服は人類が極寒の地に進出することを可能にした。それはイヌイットの例からわかる。日本でも縄文時代早期のひどく磨耗した奥歯の例が知られているが、その後、素材は植物に変わっていったと思われる。彼らが繊維類の処理にたけ、土器に文様を描くために複雑な縄や紐をつかい、ほかに多様な編み物もあった。その知識と技術を駆使していたことは容易に想像できるが、具体例については今のところ布ではなく、アンギン(編布)の断片くらいしか出土していない。次の弥生時代には織物の技術が伝わって絹や麻布がつくられ、律令制下では麻布が税として納められたことから織布が庶民の生活にも浸透したことがわかる。さらに16世紀からは丈夫な木綿が衣類の主流となったのである。

服装に関する仕事は長く女性のものだった。草を摘んで裂き、糸につむいで織る。染めや刺繍でかざり、着衣に仕立てる。そして洗濯と保管、破れるとツギをあて、ボロ布をあつめて再生することもあった。そんな女性の姿は世界各地の昔話、童謡、記録などに描かれているが、今はほとんどかけ見なくなってしまった。現代衣料の技術と流通が確立されて、安価な衣服が市場に氾濫するようになったからだ。その結果、女性は時間的および労力的に解放された。

解放された現代の女性は「おしゃれ」に集中しているように見える。服装とは髪型、化粧から立ち居振る舞いにまでおよぶ複合的なものである。伝統的な美意識とアイデンティティがその背後にあり、単純に経済効率で論じることはできないのかもしれない。いざという時に民族衣装の着物姿であらわれる日本の女性にそのあたりの心性を聞いてみたいと思う。

お土産物を売るモン族の少女、暇があれば刺繍に励む。

お土産物を売るモン族の少女、暇があれば刺繍に励む。

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プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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