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連載企画

縄文遊々学-岡田 康博-

第13回 「機内誌で縄文と出会う」 2009年3月11日

昨年末、機内誌を見ていたらなつかしい記事に出会いました。カナダ北西海岸の先住民の遺跡が紹介されていたのです。1995年の秋、私はカナダ北西海岸へ向かいました。この北西海岸地域にはかつて巨大なトーテムポールを造った人達が住んでいたムラが遺跡として残っており、世界文化遺産にも登録されています。


上空からみた世界遺産のある
クイーン・シャーロット諸島

 

三内丸山遺跡ではその前の年に、あの直径1mのクリの巨木を使った大型建物跡が見つかり、多くの見学者が訪れており、三内丸山フィーバーはますます盛り上がっていました。そして、あの六本柱が何であるのか、その議論も盛んに行われていました。県内部では復原の構想もあり、その議論の動向を注意深く見守っていたところでした。その中にはトーテムポール説もありましたので、一度本物を見てみたいと思っていたところ、幸運にもそのチャンスが巡ってきました。もちろん、公費出張ではなく、年休を有効活用しました。


薄霧のなかニンスティンツの海岸に
沿って並ぶトーテムポール群

カナダ・バンクーバーから北西へ約750kmのところに先住民ハイダ族の集落が点在するクイーン・シャーロット諸島があります。クイーン・シャーロット諸島はいくつかの島からなり、入江も多いので、移動は船になります。一晩、船に揺られ、やや船酔い気味でクイーン・シャーロット諸島の南端に位置する、ニンスティンツを目指しました。ここはハイダ族のかつての拠点集落でトーテムポールが最も数多く残っている所として知られています。薄暗い、湿った針葉樹の森を抜けると、海沿いに枯れ木が立っている小さな入江が見えてきました。さらに近づくと、枯れ木には何か彫刻がしてあります。枯れ木に見えたのはまさしく一目見たいと思っていたトーテムポールでした。


ニンスティンツの朽ちた住居跡

長い間風雪にさらされていたためか、折れたり、傾いていたり、中には倒れているものもあり、往時の姿を留めるものはありません。表面は風化が進んではいますが、顔やワタリガラスなど厳しい表情がはっきりと読み取れます。直径は1mほどで、高さもかつては10m以上はあったのでしょう。海岸沿いに立ち並ぶ姿はやはり偉容で、何か人を容易には寄せ付けない無言の迫力を感じました。トーテムポールの後ろには住居跡がやはり海岸線に沿うように並んでいます。もちろん、半地下式の竪穴住居で、板壁が崩れ落ちたり、柱が傾いていたり、まさしく廃れ行く遺跡といった状況でした。二日間ですが、トーテムポールや集落をじっくりと観察することができました。そして、三内丸山遺跡の6本柱はトーテムポールとは考えられないとの結論に達しました。

このニンスティンツは当時大集落でしたが、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘で壊滅的な打撃を受けました。人々が村を去り数百年が経過し、かつての繁栄の跡はかすかに残ってはいますが、やがて針葉樹の森に飲み込まれてしまうことは間違いありません。世界遺産とはいえ、この運命は変えることはできません。この時の詳しい話しはいずれ紹介したいと思います。

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プロフィール

岡田 康博

1957年弘前市生まれ
青森県教育庁文化財保護課長  
少年時代から、考古学者の叔父や歴史を教えていた教員の父親の影響を強く受け、考古学ファンとなる。

1981年弘前大学卒業後、青森県教育庁埋蔵文化財調査センターに入る。県内の遺跡調査の後、1992年から三内丸山遺跡の発掘調査責任者となり、 1995年1月新設された県教育庁文化課(現文化財保護課)三内丸山遺跡対策室に異動、特別史跡三内丸山遺跡の調査、研究、整備、活用を手がける。

2002年4月より、文化庁記念物課文化財調査官となり、2006年4月、県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡対策室長(現三内丸山遺跡保存活用推進室)として県に復帰、2009年4月より現職。

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