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連載企画

縄文探検につれてって!-安芸 早穂子-

第75回 時計と時間 2014年12月9日

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蚊やダニは我々が気づかない間に皮膚に穴をあけて管を刺し、血を吸って立ち去るという離れ業をやってのけます。小さくてすばしこい蚊の眼には人間の巨大な肉体の動きはスローモーションに見えると聞いたことがあります。反対に、静かに立っていると思える樹木は早回しのフィルムで見ると、実は生き生きと陽の光を追って葉や枝を動かし、成長していることがわかります。
小さな虫、大きな木それぞれに流れる時間は、その速さが違うということになります。

木と虫にとどまらず、あらゆる生き物にはそれぞれに流れる時間の速度があって、惑星レベルで考えれば、マントルの動きや季節風の代謝などさらにマクロな時間が流れ、宇宙に至っては時間の流れはさらに混沌とした不確かなものになると考えられます。

人間どうしでも 例えば縄文時代の時間は現代生活の時間と同じ速さで流れていたとは思えません。時計が発明される前と後とでは 時間というものの概念も大きく変わったはずです。時間が同じ長さで区切られているという観念は、アナログ時計の発明がもたらしたものとは言えないでしょうか。

「幼い子どもは過去を悔いたり、未来のことで悩んだりしない」という言葉がありますが、今この瞬間とその前と後ろに続いている時間という概念はどうでしょうか。例えば縄文人にとって 明日とは今日と同じにやってくるものだったのか。

縄文時代の夜について、私は思いを巡らすことが好きです。山野を夕闇が覆って草木や動物の存在は触れることができても見ることができない闇に消える。気を許せばどこかに永遠にいなくなってしまうような危うい存在感のなかで すぐそこにいる家族でさえが身を寄せて息遣いを確認し合う。月明かりと火の灯りが 彼らをもう一度世界に取り戻すにしても、炎に照らし出されて闇と背中合わせに揺らめく世界は、明るい昼の揺るぎない世界とはまったく違う異界への扉が見え隠れするあやふやな世界ではなかったでしょうか。

そんな闇の中では、時間はここから明日へと一定方向に流れることを止めて、いつしか夢の中へ分け入り逆行したり切り刻まれたり未来に飛んでいったりする自由を得ていたかもしれません。オーストラリアアボリジニが 夢が現実で現実は仮想の世界と考えるのは、あまりにも不自由に画一的に縛られた現実世界だけが人間の生きる世界ではないと言っているようにも聞こえます。

イラスト現代人がもし時計をもたず、グリニッジ標準時間も知らないで過ごしていたとすれば、社会生活は麻痺しても、個人の家族生活はもっと個性的に形而上的に発達したかもしれません。時計による時刻は 人間を理性的で一定な流れの上に置くことで その魂のあやふやな飛翔を抑えようとしているのかもしれないと思う時があります。

エメラルドフォレストという映画では アマゾンのジャングルで育てられた都会の少年がシャーマンの力を借り鷹になって飛びたち、鷹の目で故郷の村を上空から眺めるとやがて摩天楼の立ち並ぶ現代の街にまで飛んでゆくというシーンがありますが、古代の人々にとってこのような魂の旅は 本当にあったのだろうと思います。ただ彼らが見たものは、我々がGoogle earthで見る写真とは違う世界観に裏打ちされた揺らめきに満ちた風景だったかもしれないと思います。

22世紀の人々は ひょっとすると同じようにあやふやな時間と空間が明滅する広大な宇宙を旅することになるかもしれません。そこまで至って初めて 私たちは再び自由に羽ばたく時間と魂を取り戻すことができるのでしょうか。

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プロフィール

安芸 早穂子

大阪府在住 画家、イラストレーター

歴史上(特に縄文時代)の人々の暮らしぶりや祭り、風景などを研究者のイメージにそって絵にする仕事を手がける。また遺跡や博物館で、親子で楽しく体験してもらうためのワークショップや展覧会を開催。こども工作絵画クラブ主宰。
縄文まほろば博展示画、浅間縄文ミュージアム壁画、大阪府立弥生博物館展示画等。

週刊朝日百科日本の歴史「縄文人の家族生活」他、同世界の歴史シリーズ、歴博/毎日新聞社「銅鐸の美」、三省堂考古学事典など。自費出版に「森のスーレイ」、「海の星座」
京都市立芸術大学日本画科卒業
ホームページ 精霊の縄文トリップ www.tkazu.com/saho/

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