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連載企画

Jタローの縄文遺跡旅

第3回 「貝塚」がいっぱいの、二ツ森貝塚へ行ってみた 2015年8月7日

みなさん、ごきげんよう。オレ、Jタロー。
今日は、まず、オレの営業活動報告を聞いて欲しい。

オレの主である土偶女子のこんだあきこが、先日、奈良県橿原市にある
「歴史に憩う 橿原市立博物館」
でトークショーをしたんやけど、主は何を思ったのか、そのトークショーにオレも連れて行ったんや!
机の上にオレを置き、ずーーーっとトーク。
もちろん、青森の遺跡の話をベラベラとしゃべるわな。
そして最後、やおら立ち上がったかと思うと、
オレを掴み上げて、こう言ったんや。
「えー、これは、青森県の縄文遺跡の世界遺産登録推進のキャラクターであるJタローと言いまして(以下略)」
オレ驚いたわー。奈良県で開催されたトークショーで、普通オレの話をするー?
ドキドキしながら客席を見渡すと、これが意外や意外。好意的だった。で、トークショーが終わると、オレ、みんなに取り囲まれて、写真をいっぱい撮られた。オレを手にはめる人も居た。嬉しかったなー。
これで、橿原市の一部には、オレの存在が知れ渡ったと思う。うはははは。
オレの営業報告、終わり。

でだ。
今回は、その際に主が話をしていた「二ツ森貝塚」に行った時の話をしよう。

何も無い

どう?この遺跡の写真。原っぱが広がってるだけやろ。厳密に言うと、復元住居が2つあるだけ。
みんなはこの貝塚のこと、知ってる?オレは青森県生まれやから知ってるけれど、正直、全国的にはあまり知られていない。だからこそ、ここで取り上げて、オレはみんなに知ってもらいたいと思ってる。

二ツ森貝塚は縄文時代前期から、中期にかけての大きな貝塚(東西に2ヶ所ある)と、縄文人が暮らした集落跡が見つかった場所なんや。

復元住居

ここには、450戸の住居があったと考えられていて、それはそれは大きな集落だったらしい。
もちろん、住居の跡だけでなく、食べ物を貯蔵しておく貯蔵穴もあって、中には死んだ子犬をていねいに埋葬していた穴もあったんやって。
なんか、縄文人の心が感じられるよな。
もちろんイヌだけでなく、縄文人のお墓も見つかってる。

貝塚って言うぐらいやから、貝の殻が大量に捨てられた場所なんだけど、今でもこの遺跡を歩くと、貝殻がいっぱい見つかるんや。
主はえらく感激してたな。
みんなもここに来たら、夢中で貝殻を探すと思うで。だって、想像してみて。この貝殻は、縄文時代の前期から中期の間に暮らした縄文人が食べた貝殻なんやで。どんだけ長い時間、この地にあったん?って思うと、なんか胸が熱くならへん?
って、捨てられた貝殻をこんなに熱く語るのもおかしいけどな。

聞けばこの地区は、「貝塚」っていう地名が付いていて、この周辺に暮らす人の多くの名前が「貝塚」さん。
もう、貝塚まみれやん!
そんな場所、他にある?これって、二ツ森貝塚と共に、この周辺の人は生きてきた証やろ?凄いことやなってオレは思う。

オレの親戚

って、良いこと言ったのに、オレの親戚と一緒になんかしゃべってる人がいた……。彼も頑張って世界遺産登録のために活動してるみたいやわ。

最後に、この遺跡は何もないから良いって、主が話してた。オレも本当にそう思う。人間には「想像する」という、ありがたい力が備わってるんやから。

みんなも一度、二ツ森貝塚で縄文の原風景を感じてくれよな。

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プロフィール

Jタローの縄文遺跡旅

1975年11月10日生 39歳 岐阜県出身
フリーのライター


2010 年に出版された『奈良で「デザイン」を考えてみました』取材中に奈良県観音寺本馬遺跡から出土した土偶に出会い、造形の素晴らしさに衝撃を受ける。 2014年8月『はじめての土偶』(世界文化社)、新刊 2015年7月『にっぽん全国土偶手帖』(世界文化社)上梓。現在トークイベント、ブログ、SNSなどで土偶、遺跡の楽し み方を発信中。

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