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連載企画

Jタローの縄文遺跡旅

第4回 史跡大森勝山遺跡に行ってみた お勉強編 2015年8月20日

みなさんごきげんよう。オレ、Jタロー。
実はみんなにお知らせがあるんや。
今回の「お勉強編」と次回の「探訪編」で、オレの登場は最後となる!
みんな泣かんといて!オレもつらいんや。
だから、残りの2回は張り切ってレポートするわな。

今回オレがお邪魔したのは「史跡大森勝山遺跡」遺跡や周辺遺跡から発見された物が展示されている
「裾野地区体育文化交流センター」
ってところ。

あー、主、抜けてるわー。
建物の写真がないから、みんなに伝わりにくいやんかー。
主に成り代わりまして、謝るわ。すみません。
さて、
建物に入ると、ガラス張りのロビーが気持ちよくてな。その左脇にあるのが

展示コーナー

これ。展示コーナー。正直、ちょっとびっくりする。唐突にある感じがして(関係者の皆さんすいません、リアルにお伝えするのが信条なんです、オレ)

そこで、こんな解説パネルを発見した。

全景

大森勝山遺跡が、どんな遺跡なんかってことが、わかるようになったパネルや。
なんでもこの遺跡は、全国でも数少ない縄文時代晩期前半の環状列石を中心とする遺跡なんやって。
みんな、写真の右下見てくれるか?
これさ、めっちゃ大きくない?ちゃんと整地した台地の上に、円い丘状になるように土を盛ってあるらしい。長径48.5m、短径39.1mで楕円形に石が組まれているんや。長いほうは50m競争が出来るぐらいの長さっちゅうことや(あれ?余計、イメージしにくいか?)
でな、全部で約1,200個の石を使ってるそうや。
次に、左下を見てほしい。
これもでかいやろ。大型の竪穴建物跡らしいわ。
環状列石の南西約100mの場所にあって、3,000年経っても土で埋まりきらんかったって!発掘調査が入ったときは、大きなくぼ地だったらしい。
どれだけ大きなもんやったのかがわかるエピソードやな。
ちなみにこっちは直径13mのほぼ円形の跡。

その他にも環状列石の周りには石組みの炉があったり、埋設土器があったり、捨て場の遺構が作られてたんやって。

はー、今日はみんな、しっかり勉強したなー。

息抜きに、そろそろゆるいの、いっとこか。

土偶

どうよ、このゆるさ。これは十腰内2遺跡のもの。ちゃんとおっぱいもある。ちょっと縦長の目もあるし、横に引かれたのは、口か?

蓋?

これも十腰内2遺跡から見つかった「蓋」。この蓋、よーく見ると、ひ、ひとがくっついてるー。剥がれてはいるけれど、身体の様子も見えるし、りっぱなボインもある。これが蓋にくっ付いてるって、縄文人たちは、何がしたかったのかね。

完成品

この猪の土製品は女性にとても人気がある。オレ、ちょっと羨ましいもの。
「えー、こんなのも縄文時代に作られてたのー。かわいいー」
ってあいつが言われてるの、良く聞く。……オレも言われたい。

でさ、この猪が見つかった時の写真が掲げてあった。

出土

うそやん!顔、こっち向いてるやん!!鼻の穴、大きいやん!!!
……でも、確かにかわいい。悔しいけど。
この猪、重要文化財なんだって。凄いよなー。そりゃあつぶらな瞳にもなるわ。

他にも土器などの遺物が展示されていて、なかなかなもの。
もう一度おさらいになるけど、こんな資料が展示されているのは、
「裾野地区体育文交流センター」だから。
遺跡に行っても、展示されてないから、注意してくれよ。

さ、次回は最終回。大森勝山遺跡に行くことにしよう!

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プロフィール

Jタローの縄文遺跡旅

1975年11月10日生 39歳 岐阜県出身
フリーのライター


2010 年に出版された『奈良で「デザイン」を考えてみました』取材中に奈良県観音寺本馬遺跡から出土した土偶に出会い、造形の素晴らしさに衝撃を受ける。 2014年8月『はじめての土偶』(世界文化社)、新刊 2015年7月『にっぽん全国土偶手帖』(世界文化社)上梓。現在トークイベント、ブログ、SNSなどで土偶、遺跡の楽し み方を発信中。

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