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連載企画

世界の"世界遺産"から

第73回 茶の間を懐かしく思うモンゴルのゲルでの暮らし 2015年9月25日

最近、相撲のチケットが以前よりも取りにくくくなっているそうだ。実際、「久々に相撲を見てきた」という話を頻繁に聞く。白鵬、日馬富士の両横綱が休場した今場所は少々寂しい状況となったが、その人気の一端を支えるのはいうまでもなくモンゴル勢だ。関脇・逸ノ城も、そのひとり。

この夏、来日前のゲルでの生活を語った彼のインタビューを目にして以来、土俵にも増してモンゴルの草原に心が飛び、彼の地への思慕が募っている。移動式の住居ゲルは、「ゲル製作の伝統技術と関連する慣習」として登録されたユネスコの無形文化遺産。遊牧生活に別れを告げ、ウランバートルの高層住宅で暮らす人々は増える一方だが、休暇になるとゲルを抱えて草原に戻るケースは少なくない。

モンゴルの夏は気温が40度近くにもなり、太陽の威力も強烈だが、ゲルに入り戸を開け放しておけば、軽やかな風が吹き込んで気持ちよく昼寝ができる。日が傾くといっきに冷え込むものの、ゲルの中央に置かれたストーブをたけば、ふんわり暖か。木組みの骨格に羊毛からつくったフェルトをかぶせただけのシンプル構造ながら、実に居心地がいい。

ストーブは暖を取るだけではなく、調理の際にも使われる。左右の壁際にはベッドがあり、ときにはうどんをこねたり野菜を切ったりと、作業台にもなる。左手奥は、父親の定位置である上座。客人が訪れれば、そこに案内される。そう、「サェン バェ ノー(こんにちは)」といいながら突然訪問しても、あたりまえのように快く迎えてくれるのが遊牧民の流儀。ミルクティーや馬乳酒、ヤギのチーズなどのもてなしが待っている。夜ならば、ウォッカで乾杯。塩を効かせて蒸し焼きにした、羊料理がふるまわれることもある。

夕方、母親が料理をつくる傍らで父親が新聞を読み、遊び疲れた子供たちが戻ってきて、笑顔で1日の報告をする。ゲルでそんな光景を眺めるたびに思い出したのは、日本の茶の間だ。家族が集まり、食事を取り、テレビを見て和み、子供たちはそのまま宿題をやり……。プライバシーなんてものはないが、温もりにあふれていた空間がかつてあった。モンゴル出身の力士たちは父親をはじめ家族への愛情を語ることが多いが、その強さを支えるのは、ゲルで過ごしたやさしい記憶ではないかとも思う。

そのモンゴルまでは、直行便で約6時間の距離。しかも、時差がない。その上、ウランバートルの国際空港から1時間も車を走らせれば、あの緑の景色が広がる。午前中に飛び立てば、夕方前には草原の民になれるのだ。今すぐにでも行きたい今日この頃だが、自転車操業の日々を放り出してはなかなか難しいのが現実である。

家族が揃ってもてなしてくれたゲルでのひととき。 写真:松隈直樹

家族が揃ってもてなしてくれたゲルでのひととき。
写真:松隈直樹

モンゴルで出会う人は皆、"おやぐまき"のような顔つきで親しみがわく。 写真:松隈直樹

モンゴルで出会う人は皆、”おやぐまき”のような顔つきで親しみがわく。
写真:松隈直樹

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プロフィール

山内 史子

ライター、紀行家。1966年生まれ、青森市出身。

日本大学芸術学部を卒業。

英国ペンギン・ブックス社でピーターラビット、くまのプーさんほかプロモーションを担当した後、フリーランスに。

旅、酒、食、漫画、着物などの分野で活動しつつ、美味、美酒を求めて国内外を歩く。これまでに40か国へと旅し、日本を含めて28カ国約80件の世界遺産を訪問。著書に「英国貴族の館に泊まる」(小学館)、「ハリー・ポッターへの旅」「赤毛のアンの島へ」(ともに白泉社)、「ニッポン『酒』の旅」(洋泉社)など。2016年6月に「英国ファンタジーをめぐるロンドン散歩」(小学館)を上梓。

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