ホーム > 連載企画 > 第84回 始まりの庭

このページの本文

連載企画

縄文探検につれてって!-安芸 早穂子-

第84回 始まりの庭 2015年11月23日

絵幼いときの私は 祖父の屋敷うちだけで暮らす子どもでした。その屋敷には、いくつかの区画に分かれた庭があって、それぞれが違う趣を持って造られていたのを覚えています。徒弟の境遇から身を起こし、戦後と高度成長期を駆け抜けて財を成した祖父にとって、その屋敷と庭は特別の意味を持っていたと思いますが、小さな初孫はそんなことにはお構いなく、大世帯の大人たちの間で、苔を踏んで怒られたり、鯉にやる麩を全部食べてあきれられたりしていました。
四方を囲む高いモルタルの塀は、むしろ大人たちの干渉を受けない解放された自由な世界を保証するものでした。小さな子どもにとって、それは十分に広大で神秘的な冒険世界でもありました。私は一人で毎日、飽くことなく隅々までその庭を巡り、様々な創造にふけって遊んだものです。

思い返してみるとその時分から、私は苔と水がある場所に妙に心を奪われました。
私にとって一番退屈な庭は、丸い池のある芝生の庭でした。植え込みと池は全て石垣できっちりと人工的に区切られ、平地に芝生があるだけの西洋風の庭には、私は全く関心を持てませんでした。それに比べて、門から母屋の玄関にいたる石畳は、緩やかに曲がる小道に点在する竹や木犀、ヤツデや千両万両などが、薄暗い隅々から浮かびあがり、際立つ緑や赤い実が幾重にも重なり合い、立体的な奥行きをもって、しんと佇んでいるさまが、なんともいえずミステリアスで大好きな場所でした。

特に、苔とシダとトクサで覆われた小さな蹲の辺りは、私が最も好きな場所でした。
そこから苔むした庭が始まり、飛び石の横に美しい細工の石の亀なども置いてありました。今思えば玄関横の部屋は茶室であったのだと気がつきますが、景色に作られた植え込みと、蹲が配された、なにか日常で無い空間を、私は幼心にも感じていたのだと思います。
玄関の横には数寄屋造りの小さな塀があって、私が最も心奪われていた庭は、その塀の向こうに隠されていました。仏壇がある座敷と、その庭を囲むように廊下でつながった客間との間に、松や石灯篭を配する苔むした中庭があったのでした。

絵本で見た雀のお宿の入り口のような、数奇屋の塀と門で、日常の庭とは隔離されていたその庭には、おかまい無しに苔を踏む子どもは入れてもらえませんでした。いつも居間から見える、生活の真ん中の景色でありながら、その庭はガラス越しにしか見ることを許されない、触れることのできない別世界でした。
本当にまれに、大人と一緒のときに限って入ることが許された時、苔を踏まないようにと注意されながら歩く深い緑の土地、大きな石や根を張った立派な枝振りの木々の景色は、日常の日々からいっそう遠くにある異世界のようでした。

その庭をいかにも静寂に、異質に見せていたものは、壊すことが許されない完成された秩序とでもいうべきもの、だったように思います。テレビの音や喋り声に溢れたこちらの世界と窓のガラス一枚を隔てて、緑深い苔に包まれた、ゆるぎないもうひとつの世界が、いつもそこにあったことを私は鮮やかに思い出します。

その庭にあった秩序は、世界を形づくる秩序でもあったかと今は思います。塀に囲まれた祖父の庭は、世界観という奥行きを持った庭文化と私のファーストコンタクトの場だったと思うのです。それを認識するには、私はまだまだ幼すぎる子どもでしたが、美しく静かに、整然と必然を兼ね備えてある景色と、そこに秘められた世界の「見立て」を楽しむことは、むしろ大人よりずっとしていたはずです。

だから、子どもには、真っ平らな遊び場ばかりを与えていてはいけないと思うのです。たとえ入ることを禁じても、日本の文化が最高の技量を尽くした庭という世界で、子どもは想像力を自由に羽ばたかせて遊ぶことができるのです。そこで培われた記憶は、芸術的、理知的秩序のある、植物、水、鉱物の地上世界の記憶となって 人の心を豊かに裏打ちしてゆくと私は思います。

居間から見る中庭は、隣り合わせに同じ時間が流れながら、全く別の次元で息づく命のインスタレーションでもあり、美しい世界の小さなひな形でもありました。日常の喧騒と同じ時間を分け合い、同じ場所にありながら、透明なガラス1枚を隔てて二つの違う時空がともに存在するということの、それは発見だったかもしれません。

やがて、画学生上がりの私は、狩猟採集民の民族学的研究と縄文時代の考古学的研究の二足の草鞋をはく小山修三先生と出会いました。私が初めて描いた縄文人の家族は、オーストラリアの先住民アボリジニの一家をモデルにしていました。アボリジニは、ドリーミングという思想をもち、夢と現実を区別することなく重層的にとらえる文化を持つことを、その時私は学びました。アボリジニたちが言うドリーミングとは、幼い私が知っていたあの静寂の異空間、居間から眺めた祖父の中庭と似たものだったかもしれないと、ふと思います。

絵

安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

プロフィール

安芸 早穂子

大阪府在住 画家、イラストレーター

歴史上(特に縄文時代)の人々の暮らしぶりや祭り、風景などを研究者のイメージにそって絵にする仕事を手がける。また遺跡や博物館で、親子で楽しく体験してもらうためのワークショップや展覧会を開催。こども工作絵画クラブ主宰。
縄文まほろば博展示画、浅間縄文ミュージアム壁画、大阪府立弥生博物館展示画等。

週刊朝日百科日本の歴史「縄文人の家族生活」他、同世界の歴史シリーズ、歴博/毎日新聞社「銅鐸の美」、三省堂考古学事典など。自費出版に「森のスーレイ」、「海の星座」
京都市立芸術大学日本画科卒業
ホームページ 精霊の縄文トリップ www.tkazu.com/saho/

バックナンバー

本文ここまで