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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第64回 ジャガイモかクワイか 2017年1月12日

「3800年前のジャガイモ発見、カナダの先住民が栽培か」という記事がYahoo!ニュース(AFP=時事)でネットに入ってきた。胡散臭い気もしたが、最近は遺跡から思わぬ栽培物がよく出土するのでゆっくり考えようとフェイスブックにシェアしておいたらコメントが殺到。始めが吹田市民からのもので「原文にはSagittariaとあるんだから、あれはジャガイモじゃなくてクワイorオモダカの祖先じゃない?」とのこと。吹田くわいが特産品のマチだけあってさすがに素早く鋭い。ほかに、専門家からは「湿地でジャガイモの栽培は無理」とか、とぼけたドイツ人からは「ドイツ人の遺跡だろー」というコメントがあった。

結論を言えば、記事にあった「インディアン・ポテト(アメリカホド:マメ科アピオス属)」をジャガイモと誤訳していたことがわかった。私もオーストラリアでアボリジニが似ても似つかぬものをブッシュ・アップルとかブッシュ・ターキーとかよんでいるのを思い出した。

ジャガイモであれクワイであれ、根茎類はでんぷん質をタップリ含んでいるので重要な食材なのだが、保存や運搬が困難なのでほとんど主役にはなることなかった。例外はジャガイモで、19世紀のジャガイモ飢饉でアイルランドに人口崩壊がおこり、アメリカやオーストラリアに大量に移民したことからもわかるように、ヨーロッパの人口増加と拡散について世界史に大きな影響を与えた。そして現在ではコメ、コムギ、トウモロコシに次ぐ生産量を誇り、世界の人口を支える食材となっている。

縄文時代の食文化のなかで根茎類がどのように利用されてきたかについて考古学はその探求を続けてきた。ところが種子や堅果類のように本体が残りにくいし、明確な形もないという問題があった。振り返ってみると、農耕論が真剣に論議されたのは1960年代だった。しかし、当時の考古学者は目に見えるものでの実証に固執しすぎて、根茎類の食材としての利用を確立するにはいたらなかった。湿地帯には手がかりはあったはずだが、当時の発掘技術では及ばなかったことがある。それでも探求の努力は、比較文化論や現在の技術革新に支えられて止んだわけではなかった。

最近とみに感じることは考古学に興味を持つ人が増えたことだ。縄文人の生活に興味をもてば、植物や食べ物についていろいろな分野の専門家が加わることになる。考古学者として、やさしく一般の人や子供たちに説明するというレベルをはるかに超えてしまっているのである。それはこの学問が持つ骨董趣味の狭さから、本来あるべき総合科学になったことを示している。それは喜ばしい限りなのだが、そんな人たちと対等に討論できるようにもっと勉強しなければと、身の引き締まる思いがするのである。

参考文献
石田英一郎、泉靖一(編) 1968 『日本農耕文化の起源:シンポジウム』 角川書店

参考写真

狩猟・採集・漁労民が栽培を始めた段階のもの。掘り棒で圃場整備をしていた。原文ではwapatoと表記されている。(Northwest Coast Archaeology(2010) 「Wapato, Camas, Tyee」,
< https://qmackie.com/tag/wapato/>より)

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プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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