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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第68回 イノシシの語ること 2017年6月12日

この間テレビで見たこと。福島原発の避難指示が解除になったので帰ってみるとイノシシが子供を連れて悠々と歩いている。あまりにでかいので危なくて近よれない。5年近く空き家となった家はキツネやアナグマなどの動物も入りこんでいてとても住めない状態である。回復可能な家は鉄柵を建てて動物から守る、主役と見物人が逆になった動物園みたいだ。同じような状態はチェルノブイリ、朝鮮半島の38度線、知床半島でもおこり、身近な例でも神戸や長野のような町中にまで動物が出没するようになるのである。もし、あのイノシシが歴史学者だったら「もともとワシらの地にニンゲンが入ってきたのじゃ。そのあと追い立てられて大変な苦労をした。最近いなくなったので出てきたのだ、何が悪い」とのたまうと思う。

動物と人間が混住または共存している地域は今もある。その一つがオーストラリア北海岸のアボリジニのムラである。カンガルーやエミューがときに迷い込んでくると、大好物の食料なので大騒ぎになる。ある時、放し飼いのイノシシみたいなブタが私の家(テント)をむちゃくちゃに壊した。怒り狂って家を壊されたとボスに訴えると、「ああ、破れ目を縫って直せばいい」といとも簡単に言い放った。狩人と農民の末裔のシティボーイである私とは動物への思いがこれほど違うのかとむしろ感動をおぼえた。

日本の歴史を動物との関係でみると、縄文時代の前期(5000年前)から人口が増えはじめ、それ以来、植物食(農業)への依存度が高まっていった。食べるのに精いっぱいの状態は明治時代まで続き、混住していた動物は害獣として駆逐されて奥山に押し込まれていった。集落―田畑―里山―奥山という日本特有の生態システムはその中でできたのである。しかし、それは安定したものではなく、自然災害や土地開発などによってバランスが崩れた時、動物は里に出てくる。その結果、人身事故や食害などが起こることは多くの記録が語っているとおりである。もう一つの弱点をあげるなら、この生態系は頂点の捕食動物であるオオカミを絶滅に追いやったことで自浄システムを失ったことであろう。

最近テレビや新聞の社会面で野生動物の記事をよく見かける。クマの襲撃、シカやサルによる農作物の被害、町に跋扈するイノシシなどのマイナス面が多い。食糧難の時代に育った私は「撃ち殺せ」、「犬を放て」、「肉を食え」など旧来のやり方を叫びそうになるがそれはもう通用しないようだ。テレビや雑誌には、地球上の各地でみられる植物と動物に満たされた豊かな自然の特集がたくさんある。動物愛護、環境保全が主なテーマでそれが世界の常識になっているのである。そんなところは見るだけでも楽しいのだが、観光コースがあるので、自ら出かけることもできる。
現在日本の最も深刻な問題は人口減少の時代に入ったことである。土地に目を向ければ、これまで目いっぱいに使っていた土地に余裕ができる。そこで、野生動物との共存を真剣に考えねばならない。もう一度、縄文人になってこの問題を考え直そうと思っている。

奈良公園の鹿
カリフォルニアからきた友人を奈良公園に連れて行ったら群れて歩くシカを見て「野生動物が自由に街を歩いている、考えられない」と言った。「何しろ長い付き合いだから」と説明したのだが、とても驚いていた。

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プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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