ホーム > 連載企画 > 第3回 縄文人はクリをどう利用した?

このページの本文

連載企画

みっちゃんのおどろ木、びっ栗、森のくらし

第3回 縄文人はクリをどう利用した? 2017年7月28日

初回、第2回と、あまりにもまじめに取り組みすぎました。元大学教員というのはすぐに「講義調」になってしまうのは、もう、これ根っからで、自分でも時々「臭いなあ」と思うのですが、でもついつい「教訓」垂れてしまって、ますます嫌悪感に陥るのです。で、第3回目、ここは自由に翔んでみましょう(と思ったがやはりムリそう)。

さてさて、クリは約1万3000年前、日本列島の地において縄文人と出会い、そして、お互い、共存共栄、互恵関係の固い約束を交わしました。それは、縄文人はクリの恵みをあますこと無く活用すること、そのために縄文人はクリを「産めよ増やせよ地に満てよ」状態にし、クリの子々孫々の繁栄を図ること、クリは極端な不作などを起こして縄文人を飢えさせたりしないこと、というような内容だったろうと私は勝手に考えています。しかし、この「契約」、よくよく考えてみると極めて重いものであることに気づかれるでしょう。人類のこれほどまで過大な望みを叶えてくれている作物は他にあるでしょうか?

ヨーロッパの文明はムギから、アジアの文明はコメから始まった、というような言い方がされたりしますが、クリはコメよりも1万年も前から始まったのです。約3000年前、社会システムの変更によりクリは主役の座をコメに譲りますが、それまで、ずっと縄文人の生活を支えていたんですね。
どうやって生活を支えたのかと言えば、もちろんその第一は「食料」。クリの実はデンプンの塊であることは皆さんよく御存知。しかも粒が大きい。縄文時代の食料は「野生採集」とよく言われます。クリは縄文時代草創期〜早期においては確かに「野生採集」がほとんどだったのではないでしょうか(縄文時代前期以降には既に紹介したように「栽培」していたのでしょう)。
「野生採集」にかける労働力で言えば、粒が大きくまとまってとれるのが一番。ドングリより遥かに「楽」に集められたことでしょう。そして、その優位性は食べる段階まで続きます。最もすぐれているのは「アクが無い」こと。これは食料としては極めて重要な性質ですね。消化は悪いけれどそのままでも食べられ、熱をかけると消化しやすくなり、またおいしくなります。どんなにおいしい食料でも収穫できるのがホンの短い一時期だけのものは重要な食料とはなりにくいものです。クリも実が落ちるのは秋の短い期間ですが、縄文人はクリに限らずドングリなども様々に工夫して貯蔵し、「食いつなぎ」をして生き延びてきました。

1960年代のエネルギー革命(自然再生産エネルギーから化石エネルギーへ)以前の日本の山間部の農村ではコメだけでは食料が足らず、様々な雑穀・豆類に加え、自然の恵みであるドングリ、クリ、クルミなども重要な食料であったことが様々な民俗調査の報告などで知られています。ただ、そのなかでクリは「甘くて飽きがくるので常食にはならない」という話が時々聞かれます。それでまずくてまずくてしょうがないドングリの料理を無理矢理喉に押し込んで命を繋いでいた、とあります。これが私にはどうにも腑に落ちなくて、このことは拙著『クリの木と縄文人』(同成社、2016)でも取り上げました。はたして「甘くて飽きがくる」から「生きるための最低限のカロリーを得るため」にも「食べない」、という話が成立するのでしょうか? 地方によっては「甘くて飽きがくる」ので、塩で味付けして食べた、という話もあります。縄文人は飽きがこなかったのか、あるいは何らかのうまい方法を編み出していたのか、知りたいものです。

ともかく、縄文人はクリをたくさん食べていたようで、遺跡から出土する炭化したクリの実や、貝塚ならぬ「クリ塚」を形成するほどの剥かれたクリの皮(果皮)などからうかがい知れます。そして、クリは実だけでは無く、木材も大量に使われました。縄文時代晩期になると住居の柱にもナラやクヌギなどの木が使われるようになりますが、基本はやはり「総栗造り」。こうしてクリは縄文人との約束を守り縄文人に食料と住まいを与え、縄文人はクリに「住みよい」環境をつくって積極的に増殖し、共存共栄は続きました。

図1. 新潟県胎内市野地(やち)遺跡の縄文時代晩期の「クリ塚」のクリ果皮。剥かれた果皮がびっしりと層をなしている。(吉川純子氏提供)

やがて、その蜜月関係も終わりを迎えます。「コメ」の登場と、縄文社会とは違った社会システムへの変化です。しかし日本列島で1万年にもわたって大きな役割を果たしてきた「クリ」です。完全に消え去ることは無く、その後も連綿と人びとの生活に役割を果たし、今日に至っています。
クリは今ではほとんど「お菓子」ですが、この独特の食感と甘みを持って親しまれるクリ、消滅してしまうようなことは無く、品種改良が図られ、生産の増強が図られると共に、長年の日本人の食の歴史の中で実に多様な食され方をされるようになっています。

図2. クリの生産量は茨城県が一番!
(引用ホームページ:茨城県農林水産部販売流通課「茨城をたべよう」(新しいウィンドウが開きます)

図3. クリの菓子は様々あるが、筆者のもっとも好んでいるのは「栗かの子」!
(引用ホームページ:長野県小布施町「桜井甘精堂」(新しいウィンドウが開きます)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

プロフィール

みっちゃんのおどろ木、びっ栗、森のくらし

1947年福島県白河市生まれ
東北大学名誉教授


東京大学農学部助手、金沢大学教養部助教授、東北大学理学部助教授、東北大学教授(大学院理学研究科、植物園、学術資源研究公開センター)を歴任。

 専門は植物形態学、古植物学、植生史学、考古植物学。
 遺跡から出土した植物質遺物の形態、組織構造から植物種を同定し、昔の人びとの植物利用についての研究を展開。

 定年後は北海道の東の果てにある標津郡標津町にログハウスを建てて移住。研究を続けながらも大自然の中でトラウト&サーモンフィッシングと様々な北の国の植物や動物にふれる生活を満喫。釣りの腕前はいまひとつ。
 また、三内丸山遺跡発掘調査委員会委員をはじめ、(社)日本植物園協会会長、仙台市杜の都の環境をつくる審議会会長などをつとめ、現在も各地の遺跡調査指導委員会や文化財審議会委員等として活躍中。

 主な著書に、
『植物解剖学入門』(共訳/八坂書房1997)、
『日本人と木の文化』(八坂書房2002)、
『クリの木と縄文人』(同成社2016)、
『ここまでわかった!縄文人の植物利用』(共著/新泉社2014)、
『さらにわかった!縄文人の植物利用』(共著/新泉社2017) などがある。

本文ここまで