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連載企画

みっちゃんのおどろ木、びっ栗、森のくらし

第4回 縄文ポシェット顛末記 2017年8月28日

クリが縄文人の生活の基盤食料であり、基盤生活物資の資源でもあったことを紹介してきましたが、もちろん縄文人はクリだけで生きてきたわけではありません。
縄文人は実に多種多様な植物の、それも今では考えもつかない部分を、極めてリーズナブルにしっかりと利用していたことが徐々にわかってきました。おどろくべき縄文人の知恵と技、私たちが知ることができているのはそのほんの一端ですが、まずは青森市三内丸山遺跡の出土品を代表すると言ってもいい「縄文ポシェット」で見てみましょう。

実はこれは私の「恥の塊」のような話題なのです。この縄文ポシェットの素材同定にあたって2つの大きな失敗を犯してしまったのです。
三内丸山遺跡の第六鉄塔地区から「小型編組製品」、いわゆる「縄文ポシェット」(図1)が現地表下約4mの縄文時代前期中葉(約5,500年前)の地層から見つかったのは平成5年(1993年)のことでした。この当時は私は未だ現地に行ったことが無く、縄文ポシェットの「破片」は仙台の私の研究室(東北大学理学部)に届けられました。

 

図1. 今は重要文化財となっている「縄文ポシェット」(能城修一氏撮影)

試料はテープ状に平べったくなったもので、私はさっそく剃刀(カミソリ)で切片を作り(図2上)、顕微鏡で覗きました。すると黒褐色の植物組織がループしており、これは元々リング状であったものが潰れたように見えました(図2下)。つまり素材は丸い「茎」で、外周だけ残して中身は完全に失われていると考えたのです。
実は図2下の写真でこのリングの内側にぽつんと植物組織らしきものがあるのですが、これは「ゴミ」が入りこんだものと思ったのです。そしてその当時の私のつたない植物解剖学の知識ではこれは一体何であるのか皆目見当が付かず、苦し紛れに(イグサ科のような)「単子葉(たんしよう)の茎?」という間違った同定をしてしまったのです。これが第1の「重大ミス」! 言い訳は幾らでもあるのですが、とにかく浅学非才の身でとんでもない間違いをやらかしたわけです。その結果、「縄文ポシェットはイグサの茎を編んだもの」ということになってしまい、イグサで復元制作されるようになってしまったのです。

図2. 届けられた試料から作った切片のプレパラ−ト(上)とその顕微鏡写真(下)。
環状の組織の中にぽつんと「ゴミ」のようなものが。これが維管束(いかんそく)。

さて、時は流れて、私もそれまでの木材一辺倒から縄や籠編物など様々な遺物の植物素材同定も手がけるようになりました。
富山県小矢部市の桜町遺跡の縄文時代中期の縄の素材を調べていたときでした。「あれっ?これと同じようなものを以前どこかで見たよなあ〜」と思いをめぐらせると、「そうだ!三内丸山の縄文ポシェットだ!」と思いつき、さっそくそのプレパラート(図2上)を取りだし、こんどはしっかり観察しました。すると桜町の縄とぴったり一致、しかもゴミだと思っていたのは維管束で、両方合わせて観察すると全体像が浮かびあがってきて、何とこれはシダ!リョウメンシダというシダの葉柄(ようへい)であることがわかったのです。「単子葉の茎」なんて全くの嘘っぱち、きちんと同定できなかったことは全くの「浅学非才」、赤面の至りです。
この結果を受けて「イグサの茎を編んだもの」という半ば常識化してしまったものを早急に訂正しなければならないと考えたのですが、ここは1993年当時とは違い多少とも歳をとったこともあって、「ちょっと待てよ。リョウメンシダの葉柄ではどうやってもあんな籠を編むことはできないぞ!縄文ポシェットが本当にリョウメンシダなのか、確かめてから訂正した方がいいぞ!」と考えたのです。それで青森県に頼み込んで既に重要文化財となっていた「実物」を見せて貰いました。展示物としてガラス越しに何度か眺めてはいたのですが、まじまじと手にとっての初対面でした。ポシェットが収蔵されていた県立美術館にデジタルマイクロスコープという最新の機材を持ち込み、しげしげと観察しました。思ったとおり、これはどうにもリョウメンシダということはあり得ない、何なのか? 虫眼鏡やデジタルマイクロスコープで表面をいくら見てもどうにもらちが明きません。それで再度青森県の三内丸山遺跡保存活用推進室に縄文ポシェットの確実な「破片」が無いか探し回って貰いました。そしてついに保存処理をしたときに出た小さな破片が収蔵庫の奥深くから見つかり、それの組織プレパラートを作り、見て「びっ栗!」、なんと針葉樹、しかもヒノキ科(おそらくはヒバ)の樹皮ではないですか!(図3) そうだとすると、先日のデジタルマイクロスコープでの観察結果と良く一致します。
こうしてようやく「縄文ポシェットはイグサでは無く、ヒノキ科(おそらくはヒバ)の樹皮製です」と発表することができました。

図3. ようやく手に入った新たな試料(左)とその顕微鏡写真(右)。
空色に染まった断面長方形の繊維細胞が横一列に何層もある。繊維細胞層の間の組織は潰れて壊れている。これがスギを含むヒノキ科の樹皮の特徴。

それでは2つ目のミスとは何だったのでしょうか? 研究者というものは研究材料は自分で取るのが原則です。今回のようにそうでない場合は、それが間違いなく対象としているものに由来したものであることを充分に確認しなければなりません。それを怠って不確かな試料に基づいて結果を出してしまったのは私の完全なミス。ホント、穴があったら入りたい、とはこのことです。

さて、ヒノキ科の樹皮(“おそらくはヒバ”とわざわざ言うのは、樹皮の構造ではヒバ、アスナロ、ヒノキ、スギなど区別ができないのでこう表示せざるを得ないのです)ということで、バスケタリー作家の皆さんと「正しい素材」で復元製作実験(図4)を行うことになりました。
まずは黒石市の材木会社で丸太からヒバの樹皮を剥がさせて貰い、これを薄く細長く剥がして素材とし、実物を見ながら製作して貰いました。ヒバの樹皮は薄く剥ぐと非常に柔軟で編みやすいとのことだったのですが、なかなか縄文ポシェットと同じ編み方、同じ大きさ、形になりません。ようやく編み上がったのは2日目の夕方で、作家さんたちは縄文人の巧妙で計算し尽くされた編み技法にほとほと感心していました。
現在、このような復元製作品は三内丸山遺跡縄文時遊館のあちこちで見ることができます。実物の縄文ポシェット(さんまるミュージアムに展示)と共に是非ごらん下さい。

図4-1. 「縄文ポシェット」復元製作!
黒石市の木材会社でヒバの樹皮を取らせて貰う。

 

図4-2. 素材の調整。我々現代人はやはり鉄の刃物を使わないと素材の調整ができない。手でできるだけ薄く剥がし、刃物で幅をそろえ、更に薄く剥ぐ。

 

図4-3. 底を組む。これの出来不出来がその後のすべてを決めてしまう。

 

図4-4. かなり編み上がったところ。単に同じ編み方の繰り返しでは無く、微妙に変えて模様を作り出すなど、縄文人の技巧にびっくりしながらの作業。

 

図4-5. でき上がった復元品(左2つ)と重要文化財のポシェット(中央)、右は編み方理解のためのモデル。遺物の口縁部は壊れているので縁仕舞いは推定で行った。同じ素材、同じ編み方をしても作家により微妙に違う。
(図4-2~5/能城修一氏撮影)

 

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プロフィール

みっちゃんのおどろ木、びっ栗、森のくらし

1947年福島県白河市生まれ
東北大学名誉教授


東京大学農学部助手、金沢大学教養部助教授、東北大学理学部助教授、東北大学教授(大学院理学研究科、植物園、学術資源研究公開センター)を歴任。

 専門は植物形態学、古植物学、植生史学、考古植物学。
 遺跡から出土した植物質遺物の形態、組織構造から植物種を同定し、昔の人びとの植物利用についての研究を展開。

 定年後は北海道の東の果てにある標津郡標津町にログハウスを建てて移住。研究を続けながらも大自然の中でトラウト&サーモンフィッシングと様々な北の国の植物や動物にふれる生活を満喫。釣りの腕前はいまひとつ。
 また、三内丸山遺跡発掘調査委員会委員をはじめ、(社)日本植物園協会会長、仙台市杜の都の環境をつくる審議会会長などをつとめ、現在も各地の遺跡調査指導委員会や文化財審議会委員等として活躍中。

 主な著書に、
『植物解剖学入門』(共訳/八坂書房1997)、
『日本人と木の文化』(八坂書房2002)、
『クリの木と縄文人』(同成社2016)、
『ここまでわかった!縄文人の植物利用』(共著/新泉社2014)、
『さらにわかった!縄文人の植物利用』(共著/新泉社2017) などがある。

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