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連載企画

みっちゃんのおどろ木、びっ栗、森のくらし

第6回 縄文人のカゴつくり(その2) 2017年11月2日

さてさて、佐賀市の東名(ひがしみょう)遺跡で出土した縄文時代早期(約8000年前)のかご編物というのはどんなものだったでしょうか?
前回に地図で示しましたように、縄文海進時、有明海の奥まで海が入っていた頃のことです。海に注ぐ小河川の河口近くでは縄文人が川底に穴を掘って、ドングリをぎっしり詰めたかごを埋め込み、あく抜きあるいは保存を行っていたようです。ドングリ用のかごは下ぶくれのアボカドのような形で高さが1m近くもある大きなもので、川底に掘った穴の中に潰れた状態で出土しました。この遺跡からは大小の破片も含めて総数731点ものかごが出土したのです。貯蔵用ばかりでなく、形、大きさ、編み方、素材が違ったいろいろな目的のためのかごがありました。

私たちはこれらのかごが何でできているのか調べ始めました。今の私たちがよく目にする竹製の編みカゴは「竹」だけでできていますが、それでもタテ材、ヨコ材、口のところ(口縁部)などは違った形に調整した竹材や違った編み方で編まれていることがよくあります。東名のかごは、本体を形作っているタテ材とヨコ材、口縁部、胴の中央から少し上の別素材が入った部分(これを私たちは帯部と呼んでいます)、口縁近くでつり下げ紐のように素材が飛び出している部分(これを耳部と呼んでます)など実に複雑です(図1)。それで、1つのかごからそれぞれ違った部分の素材をサンプリングして、切片を作成し、顕微鏡で覗いて植物種を同定しました。

図1 東名遺跡から出土した編みカゴ(佐賀市教育委員会2009より) 前回、一つの土坑から3つの大形カゴが折り重なって出土した、と紹介したが、実はこれ、正しくは5つのかごが折り重なっている。そのうち形が良く残っている2つのかごの素材を見ると、左上のかご(SK2154編物①)のタテ材はムクロジ、ヨコ材と口縁部はイヌビワ、帯部、耳部(つり下げ紐みたいな部分)はツヅラフジ、右下のかご(SK2154編物③)はタテ材,ヨコ材ともムクロジ、帯部、耳部、口仕舞はツヅラフジである。

その結果(表1)は実に驚くべきものでした。まさに「おどろき、びっくり」です。かご編物の大部分はそれまで全く知られていなかった「新素材」ともいえるムクロジとイヌビワという木のへぎ材で、現在最もよく使われるタケ、ササが全く無いのです。表1は研究途中時点での集計ですが、860点の編みかごの素材試料のうち、半数近くがムクロジの板目のへぎ材です。それにイヌビワの板目へぎ材が11.2%。この両者がかご本体を作っている素材です。そして私たちが帯部、耳部と呼んでいる部分などはほとんどがツヅラフジです。それにテイカカズラが3.5%あり、これら4種類で殆どを占め、東名遺跡では縄文人はこの4種類の素材を使ってかごを作っていた、と言えるでしょう。

表1 東名遺跡の編組製品の素材の植物種

ムクロジとイヌビワという樹木の木材がもっぱら使われているというのが「びっくり」だったわけですが、それではなぜこれらの木が選ばれたのだろうと考えました。両者ともツヅラフジなどと同様に暖温帯に生育する樹木で、イヌビワ(図2)はイチジクの仲間で九州〜関東地方まで広く、また普通に分布しているのですが、ムクロジ(図3)はそうではありません。「ムクロジ」という木、ほとんどの人はどんな木か御存知ないかと思います。ムクロジ科ムクロジ属のムクロジ、と言われてもねえ。歳がいった方は「羽根つきのはねの黒い玉」といえば思い当たるでしょう。こどもの頃、正月の遊びと言えば羽根つきでした。羽子板にカーン、カーンと当たる音の正体です(図4)。植物図鑑などには「九州〜関東、北陸地方まで分布」とありますが、東日本では滅多に見かけません。九州では比較的多いのですが、例えば東名遺跡の北には背振(せふり)山脈がありますが、さてそこの山に入ったらムクロジはあるのでしょうか?恐らくはあるとしてもそう簡単には見つけられないくらい少ないでしょう(実際に行ったことがありませんのでこれは不確かです)。今から8000年前には遺跡の近くにムクロジがたくさん生えていたのでしょうか?あるいは縄文人はこの木を求めて山の中を探し回ったのでしょうか?

図2 イヌビワの実と伐採中の幹
イヌビワは幹の太さ15cm、高さ5mほどになる落葉低木で、実は小さいけれどイチジクと同じかたちで熟すと食べられる。復元製作実験の素材にするため、幹の真っ直ぐな部分を伐る。

 

図3 ムクロジの大木と実(中国浙江省杭州植物園) ムクロジは西日本、中国〜ヒマラヤに分布する落葉高木。ヒマラヤでは青い実を砕いて衣類の洗剤として使う。

 

図4  乾いたムクロジの実と羽根つきのはね
実(下左の2個)の中に黒い丸い種子(下右の2個)が一つ入っている。この種子をはねの玉にする。

さて、そのことはさておき、なぜこの2樹種がかご編み素材に選ばれたのでしょうか?私たちは東名遺跡から出土した編みかごの復元製作実験を行うことにしました。
まず、素材のムクロジとイヌビワの木を大分県、宮崎県の山中から伐り出しました。幹の太さ10cm以下で枝分かれのない、できるだけ真っ直ぐなものを長さ1.2mくらいに伐りました。これを8等分くらいに縦にミカン割りにして、中心と外側を捨て切り口が台形になったものから年輪に平行(板目)に刃物を入れ、あとは口と手と足で剥ぐのです。素人のわたしたちにとてもできる技ではなく、秋田県角館市のイタヤ細工の伝統工芸士の佐藤さん達に作ってもらいました(図5)。佐藤さんの話ではイヌビワ、ムクロジはとても剥ぎやすいとのことでした。図6にイヌビワの伐ったばかりの木口とムクロジの顕微鏡写真を載せました。いずれも年輪に平行に柔組織の帯がたくさんあります。この部分は他の組織より柔らかいので、この帯のところで容易に、しかも薄く剥ぐことができるのです。8000年前の縄文人がこのような木材の特質を見抜いてこれらの樹種を選択していたということに改めて「おどろき、びっくり」です。

図5 へぎ材作り(左)と出来上がったへぎ材(右)
ミカン割りし、中心と外側を捨て去った「大割り」をさらに柾目方向に割って目的の幅にしてから板目に刃物を入れ、口、手足を使って剥いで行く。出来上がったへぎ材の上の黄色い方がムクロジ、下のやや茶色がかった方がイヌビワ。色調の違いばかりでなく、ムクロジの方がやや硬く弾力があり、イヌビワは柔らかくて腰がない、などの違いがあり、これがかごを編むうえで違いとなって現れてくる。

 

図6 ムクロジとイヌビワの木材
左:ムクロジ木材の木口面の顕微鏡写真(赤と青の二重染色)。ほぼ真中が年輪の境。丸いのは道管。 下半分で赤く染まった左右(板目方向)に伸びる帯は柔組織で、青く染まった繊維組織より柔らかい。右:伐ったばかりのイヌビワの幹。樹皮からは乳液が出る。年輪界は目立たなく、たくさんの同心円の輪が見えるが、これもムクロジと同じく柔組織の帯でこの部分は柔らかい。

そしてこれらで編むかごに彩りを添えているのがツヅラフジです(図7)。ツヅラフジは日本列島の暖温帯に生えるツヅラフジ科の木本性ツル植物で、名前は「葛籠(つづら)藤」!まさに編みかごの素材そのものです。

図7 ツヅラフジの枝と採集されたツヅラフジの蔓
左:木などに巻き付いて高く上がった蔓に葉を付け、目立たない小さな花をつける。右:大分県日田市初島林園で採集されたツヅラフジの蔓。木に巻き付いて立ち上った蔓は硬くて編物素材にはならない。林床を這っている葉をつけない蔓を採集。ところどころ出ている根ははさみで切り落とした。

出土したかごを見ていた当初は、ツヅラフジが帯部や耳部に加えられているのは、白っぽいムクロジやイヌビワでできたかご本体に見た目の装飾性を加えるためだろう、と思っていました。ところが復元製作実験(図8)をやってわかったことは、これも「おどろき、びっくり」です。太さ40cm、高さ1m近いかごをムクロジあるいはイヌビワのへぎ材で編んでいくと、底から立ち上がり、だんだん上に行くと編みかご自体が「ぐにゃぐにゃ」してきて形が保てなくなってしまうのです。このままではチャンとした形で編み上げられない、と思うところにツヅラフジの帯が入ると、形がしゃっきりとなるのです! 耳部もドングリを入れたかごのこの部分を持って持ち運びできる十分な強度を持っていたのです。帯部のツヅラフジの挿入の仕方はかご毎に微妙に違っていますが、これは強度を確保した上で、やはり一つ一つのかごに違った装飾を与えているようです。縄文人は土器にあれだけの装飾性を持たせているのですから、かごにも装飾性を持たせることは彼らにとってはいわば当たり前だったのかも知れません。

図8 遺物の実測図と復元製作したかご
ほぼ全体の形が残っていた二つのかごの復元製作実験をした。SK2160編物②はイヌビワで、SK2138編物②はムクロジでできていたので、それぞれ、イヌビー、ムクローの愛称が与えられた。色の濃い素材がツヅラフジで、黒緑色の表皮の色が残り、アクセントになっている。アラカシのドングリを2/3ほどのところまで入れたところ、イヌビーは35リットル、約26.5kgが、ムクローは46リットル、約35kg入ったという(西田2017)。かなりの重さだが,復元品はこの重さに十分に耐える強度を持っていた。

何回かのかご編物復元製作実験で、私たちは遺物と同じ植物の素材を得て、鉄の刃物やはさみなど「現代の利器」こそ使いましたが、遺物と同じように素材を調整して遺物と同じ幅、厚さ、長さの編み材を作り、遺物と同じ本数、段数で編み組みしてできるだけ遺物と同じものを作るようにしました。そうしたことから今まで述べたことのほか、実に沢山の「縄文人の技」を知ることができました。底からの立ち上げや胴を膨らませる時にタテ材をどう増やすか、上にすぼまるようにはどう減らすか、何本に1本入れて(あるいは減らして)、段毎に数を変えて、というのは現代のバスケタリー作家にとっても恐ろしく難しい算数だったようです。縄文人はこの「算数」をきっちりとこなしていた、というのも大発見でした。

前回お話ししましたように編組製品自体は縄文時代草創期から既に存在していたのですが、遺物としての出土はこの東名遺跡(約8000年前)が最も古いものです。しかし出土した編みかご類は製作技法、機能性において既に高度に完成したもので、さらに芸術性も備えています。一般にこういった生活具類は長い時間をかけて改良されて出来上がってきたものと考えられますから、東名の前の縄文人の長い生活の歴史が感じられます。そして、東名でこれだけの編みかご文化が出来上がっていたわけですが、南北に細長く、地方ごとに気候も風土もそれぞれ違う日本列島、所変われば品変わるの言葉もあるように他の地域の編みかご文化はどうだったのだろうか…、という話はまたまた次回に。

〔付記〕今回に限らず、このシリーズ、あたかも筆者が全部自分でやったように書いたりしていますが、とんでもないことです。実に沢山の方からご教示を受け、ご協力を頂いています。角館市の伝統工芸士の佐藤定雄さん、智香さんご夫妻と本庄あずささんにはへぎ材作りについて沢山のことを教えていただき、そしてへぎ材を作ってくださいました。私たちは出土遺物を調べて素材植物を採集し、調整して素材を用意したのですが、実際にかごを編んでくれたのはバスケタリー作家の高宮紀子さんと本間一恵さんらです。素材植物の採集には日田市にある初島林園の神川建彦さん、宮崎県立博物館の斎藤政美さん、製作復元実験には佐賀市教育委員会の西田巌さんと「あみもの研究会」*のたくさんの仲間たちのおかげです。感謝、感謝の毎日です。
*あみもの研究会については工藤雄一郎・国立歴史民俗博物館(編)『さらにわかった!縄文人の植物利用』(新泉社2017)の工藤さんの「おわりに」に簡単な紹介記述があります。

引用・参考文献
佐賀市教育委員会2009『東名遺跡群Ⅱ』第5分冊.
西田巌2017「8000年前の編みかごから何がわかるのか」 工藤雄一郎・国立歴史民俗博物館(編)『さらにわかった!縄文人の植物利用』:94-113. 新泉社, 東京.

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プロフィール

みっちゃんのおどろ木、びっ栗、森のくらし

1947年福島県白河市生まれ
東北大学名誉教授


東京大学農学部助手、金沢大学教養部助教授、東北大学理学部助教授、東北大学教授(大学院理学研究科、植物園、学術資源研究公開センター)を歴任。

 専門は植物形態学、古植物学、植生史学、考古植物学。
 遺跡から出土した植物質遺物の形態、組織構造から植物種を同定し、昔の人びとの植物利用についての研究を展開。

 定年後は北海道の東の果てにある標津郡標津町にログハウスを建てて移住。研究を続けながらも大自然の中でトラウト&サーモンフィッシングと様々な北の国の植物や動物にふれる生活を満喫。釣りの腕前はいまひとつ。
 また、三内丸山遺跡発掘調査委員会委員をはじめ、(社)日本植物園協会会長、仙台市杜の都の環境をつくる審議会会長などをつとめ、現在も各地の遺跡調査指導委員会や文化財審議会委員等として活躍中。

 主な著書に、
『植物解剖学入門』(共訳/八坂書房1997)、
『日本人と木の文化』(八坂書房2002)、
『クリの木と縄文人』(同成社2016)、
『ここまでわかった!縄文人の植物利用』(共著/新泉社2014)、
『さらにわかった!縄文人の植物利用』(共著/新泉社2017) などがある。

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