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連載企画

みっちゃんのおどろ木、びっ栗、森のくらし

第7回 縄文人のカゴつくり(その3) 2017年12月4日

前々回前回と縄文人の編みかごの話でした。佐賀県東名の縄文人は現代からは考えもつかないようなムクロジ、イヌビワという木のへぎ材でかごを編んでいました。しかしこれは「日本列島標準規格」でも「縄文時代標準規格」でもないのです。ムクロジ、イヌビワのかごはこの時代、この地域特有の現象だったのです。
時間軸は東名遺跡の8000年前から縄文時代晩期の約2500年前までと、実に6000年くらいの幅はありますが、縄文時代早期以降晩期まで、日本列島のそれぞれの地域で何の植物で編組製品をつくっていたかを概略的に示したのが図1です。まだまだデータは少ないのですが、何の素材を使うかの地域性がおぼろげながら見えてきました。

図1 縄文時代の編組製品の素材植物の地域性(佐々木2017を改変)。

九州は既に紹介しましたように東名遺跡ではムクロジ、イヌビワのへぎ材、それにツヅラフジ、テイカカズラといったツル植物の茎が主だったのですが、150点もの編組製品が出土した福岡県久留米市の正福寺(しょうふくじ)遺跡(縄文時代後期)に、福岡市の中村町(なかむらまち)遺跡(縄文時代前期〜中期)、大分県杵築市の龍頭(りゅうず)遺跡(縄文時代後期)、熊本県宇土市の曽畑(そばた)遺跡(縄文時代前期)など、更にその他の九州〜四国の縄文遺跡から出土した編組製品類の素材データも加えて見てみますと、この地域ではムクロジ、イヌビワ、カシ類(コナラ属アカガシ亜属)のへぎ材とツヅラフジ、テイカカズラ、さらにウドカズラというブドウ科のツル植物なども使われています。図1の元図を書いた佐々木由香さん(植物考古学)はこれに「常緑広葉樹木本植物多用地域」と名付けました。私はこれらの素材植物がいずれも温暖な照葉樹林帯に生育する植物であり、もう一段わかりやすいようにと、この図では「照葉樹林の木材とツル植物多用地域」とちょっと変えさせてもらいました。

さて、この九州〜四国の利用植物が「日本列島標準規格」でも「縄文時代標準規格」でもないことは図1で明らかです。山陰地方から北陸、東北地方南部の日本海側では「ヒノキ科とツル植物多用地域」(佐々木2017では「針葉樹とツル植物多用地域」)です。山陰〜北陸ではヒノキ(+スギ)のヒゴ材でかごを編んで、それにツヅラフジやマタタビ属(マタタビかサルナシかの区別は難しい)、テイカカヅラなどが加わっています。北陸〜東北地方南部に行くと、ヒノキ、テイカカヅラ、ツヅラフジが減り、スギが多くなり、またササ類が加わってきます。北東北〜道南ではカエデ属などの落葉樹の木材とブドウなどのツル植物が使われています。
そして関東地方はというと、これが縄文時代早期から一貫して「ササ類」なのです。植物分類学ではササ類はイネ科のタケ亜科というグループに属します。タケ亜科には竹や笹が含まれるわけですが、竹と笹というのは分類学上区別されるグループではありません。ただ、「便利」な言葉なので私たちは使わせて貰っています。今のところ私たちが「笹、ササ」と呼んでいるのは基本的に日本列島自生で、稈(かん)が直径1.2cm程度と比較的細く、また背もせいぜい3mくらいと低く、稈の葉鞘(ようしょう)がおそくまで残るものをだいたい指しています。「竹」と言う場合は、基本的にいつの時代にか中国大陸から渡来した、稈が数cm〜20cm以上と太く,背も数m〜10mを遙かに超える大きなものを指します。というわけで、縄文時代の「タケ亜科」は基本的にはササ類だと考えているわけです。

さてそれで編組製品の素材ですが、これが何と、関東地方では縄文時代早期〜晩期までずっと、基本的に100%、ササ類なのです。私が遺跡出土木材の同定を始めた頃、たまに出土する編みかごの素材同定も求められることが何度かありました。編み材をカミソリで切って顕微鏡で覗いてみると、どれもが「タケ亜科」で、そのうち、「どうせタケ亜科だろうから調べなくてもいいよ」とまで言うようになってしまいました(なんと、科学者精神に欠けていることか!)。このぼけた頭に鉄槌をおろし、目を覚まさせてくれたのが東名遺跡のムクロジのへぎ材だったのです。以後、心を改めて日本列島の編組製品の素材を調べまくった結果が図1というわけです。そして、これも「目からうろこ」の話ですが、当初は「竹笹は編組製品の素材として最も優れていて、容易に編みかごが作れる」と思い込んでいたことでした(図2)。

図2 ネパールの道端でのドッコ作り。ネパールではものを運ぶのはもっぱらこのドッコだ。おでこに紐をかけて背負う。つくるのは至って簡単。竹を切り出して割り、道端でさっさと編んで行く。

 

確かに稈は真っ直ぐで背が高くしなやかで、維管束が平行に走っているのでタテに割るのは容易で、長い素材が容易に作れます。しかし、東京都東村山市の下宅部(しもやけべ)遺跡から出土した縄文時代後期の編みかごの復元製作実験では、これが実は容易なんてものじゃないことが……。
復元のモデルとなったのは8号編みかごで、編み方がよくわかる遺物です(図3A)。

図3 復元製作実験のモデルとなった東京都東村山市の下宅部遺跡から出土した第8号編みかご(A:縄文時代後期)と復元品(B)。

 

このかごの様々な部分の素材を取りだして顕微鏡で見て、素材のサイズ、調整の仕方を調べました(図4)。ササの素材の大部分は表皮が残っていますが(図4の上の6つ、図5の1型)、中には表皮が削ぎ落とされているものもあります(図4の一番下、図5の2型)。素材の肉の厚さは髄腔(ずいくう)側を削ぎ落として調整されているのが普通のようです。こうしてできた弓形の素材がそのまま使われることもあれば、片側、あるいは両側を削って幅を調整しているようです。

図4 下宅部遺跡から出土した編みかごの素材の横断面。出土遺物から作った切片なので一部は壊れている。多くは表皮があり、髄腔側を削り落としてあるが、両面を削り落としたものもある。縁は調整されて丸くなっているものが多い。

 

 

図5 ササ類からつくる編みかご素材のタイプ(小林ほか2017)。1型は表皮を残したもの、2型は表皮を削いだもの。A型は両縁を調整しないかわずかに調整するもの。B型は片側を切断して幅を狭くしたもの。C型は両側を切断して更に幅を狭くしたもの。いずれのタイプも遺物のかごで見られる。

復元製作実験はまず、遺物から描いた「実測図」をもとに必要な素材の「量」を計算することから始まります。そして次は「素材の調達」。8号編みかごの復元は関東〜東北地方に普通に生えているアズマネザサで行われました。最初は笹藪に行って闇雲に伐ってきたのですが、後に荀が出た年の12月頃のものが硬くてしかも柔軟で編みかごの素材に適していることを知りました。採ってきたササは乾燥して保存しておき、実験を開始する数日前から水に浸けて柔らかくします。水から揚げていよいよ実験開始です(図6A)。
ササの素材作りには、4つの工程があります。割り、剥ぎ、削ぎ、そして仕上げです。最初は切り口に鉈(なた)の刃を入れて半割、4分の1とやっていたのですが、そのうち、「敲き割る」ということが発見されました(千葉2017)。板などの台の上にササを置いて木槌や棒で切り口から順次敲いていくとちょうど四分割になるのです(図6B)。節のところはちょっとテクニックが要りますが直ぐに技術を習得して、短時間で容易に割れるようになりました。そして次は「剥ぎ」です。最初は4分割、あるいは8分割したものの内側(髄腔側)を刃物で削いで、削いで、削いでいたのですが、そのうち、木材のへぎ材と同じように切り口から剥いでいくことができるようになりました(図6C)。そして「削ぎ」。基本的にすべて表皮側をそのまま残し、髄腔側を刃物で削いで必要な厚さにしました(図6D)。そののち、幅を調整したり、鋭い両縁を軽く落としたり、更に薄く削いだりして素材を仕上げました。

図6 アズマネザサの素材つくり。A:水から揚げ手いよいよ作業開始。B:木槌で敲いて4分割。C:両手、時には口も使って剥ぐのは木材の時と同じだ。D:削ぐ。刃物で剥いだ面を平らにする。

それからようやく「編組」の作業に掛かります。底を組んでそこからどう立ち上げるのか、というところが一番むずかしく、またその後々を決める大事なポイントのようです。プロのバスケタリー作家さんたちはあれやこれやと非常に苦労したようで、また、縄文人の知恵に驚いているようでした。そうして出来上がったのが図3Bです。みなさん、その「緻密さ」にまず驚かれるでしょう。そして、ササという単一素材であるにもかかわらず編み方を変えることによって見事な装飾性があらわれていることにまたびっくりです。東名遺跡のかごでは別素材を組み込むことで装飾性を発揮していたのですが、単一素材だけでもこれだけの「美」を表現できるということに製作に関わった一同、みんな感嘆していました。
こうした復元製作実験から私たちは実にさまざまなことを発見し、学び、知ることができたのですが、そうした中で一番大きな収穫は、編みかご製作作業の仕事量の大部分は「素材の製作」にあるということでした。私たちは時には20を超える人数が集まってこの実験を行いました。かごを編むこと自体はプロの作家さんたちに御願いし、私たちはもっぱら「素材作り」に従事しました。編み上げるのと同時進行の作業で、途中、「班長」から「これこれのサイズの素材をあと何本!」という指令を受けて、皆黙々と取り組んだのです。そうした中で縄文人の素材に対する思い、かごに対する思いを追体験できたように思います。

引用・参考文献
小林和貴・能城修一・鈴木三男2017.「素材の植物種と調整方法」 奈良文化財研究所紀要2017:160-162.
佐々木由香2017.「編組製品の技法と素材植物」 工藤雄一郎・国立歴史民俗博物館(編)『さらにわかった!縄文人の植物利用』:70-93.
千葉敏朗2017.「縄文のかご作りに刃物はいらない?下宅部遺跡の4000年前の編みかご」 工藤雄一郎・国立歴史民俗博物館(編)『さらにわかった!縄文人の植物利用』:130-149.

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プロフィール

みっちゃんのおどろ木、びっ栗、森のくらし

1947年福島県白河市生まれ
東北大学名誉教授


東京大学農学部助手、金沢大学教養部助教授、東北大学理学部助教授、東北大学教授(大学院理学研究科、植物園、学術資源研究公開センター)を歴任。

 専門は植物形態学、古植物学、植生史学、考古植物学。
 遺跡から出土した植物質遺物の形態、組織構造から植物種を同定し、昔の人びとの植物利用についての研究を展開。

 定年後は北海道の東の果てにある標津郡標津町にログハウスを建てて移住。研究を続けながらも大自然の中でトラウト&サーモンフィッシングと様々な北の国の植物や動物にふれる生活を満喫。釣りの腕前はいまひとつ。
 また、三内丸山遺跡発掘調査委員会委員をはじめ、(社)日本植物園協会会長、仙台市杜の都の環境をつくる審議会会長などをつとめ、現在も各地の遺跡調査指導委員会や文化財審議会委員等として活躍中。

 主な著書に、
『植物解剖学入門』(共訳/八坂書房1997)、
『日本人と木の文化』(八坂書房2002)、
『クリの木と縄文人』(同成社2016)、
『ここまでわかった!縄文人の植物利用』(共著/新泉社2014)、
『さらにわかった!縄文人の植物利用』(共著/新泉社2017) などがある。

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