第94回 縄文の人々と世界 ―私の復元イメージの中の縄文人― 2017年3月28日

山の風 ユリイカ臨時増刊『縄文 JOMON』より 2017,3月号
縄文の狩人たちは、自分たちの暮らしを守るため、またエコで合理的な狩りの手段として、集落周辺にやってくる獣に罠を仕掛けていたそうです。 (さらに…)
第93回 ともに暮らすものたちの絵 2017年2月7日

絵はどちらも絵本「森のスーレイ」(安芸早穂子著)から
レプリカとは言え、復元された洞窟の、岩に残された数万年前の人類の絵の、その獣たちの存在感は、心を揺さぶるものでした。 (さらに…)
第92回 パリコレ発掘とニューモード博物館 2016年12月19日
パリコレというと、ランウェイを颯爽と歩くモデルが着る、最先端モードのドレスを思い浮かべますが、同じコレクションでもパリの人類博物館Musée de L’Hommeが収蔵するコレクションは、その正反対、過去の遺物の群れといってもいいものたちでした。 (さらに…)
第91回 川守り 2016年11月17日
三島に住む友人の案内で、富士の裾野にある有名な清流、柿田川を、ついに訪れる機会がありました。 (さらに…)
第90回 京都の寺院で開催した実験的展覧会と「アートと考古学」の効用 2016年9月27日
日々のニュースが伝える出来事からは、私たちが暮らす21世紀の世界が、刻々とひび割れ、崩れ、カケラとなって飛び散っていくように見えるときがあります。あちこちで、何かが壊され、バラバラになったり、再編されたりしています。 (さらに…)
第89回 JOMON若者ブレイクスルー 2016年7月6日
ブレイクスルーってなんだ? よく言うのは、壁にぶち当たってしまった若者が、それを乗り越えるっていうか、穴をぶち抜いて通り抜けるイメージでしょうか。 (さらに…)
第88回 無意識の器 2016年5月27日
町家は「無意識の器」だ、建築家藤森照信氏が言いました。 (さらに…)
第87回 ミツバチ目線、ドローン目線 2016年3月17日
ドローンは正式にはUnmanned aerial vehicle(UAV)と言うのだそうですが、そのニックネームdroneには、「オスの働き蜂」と言う意味もあるそうです。 (さらに…)
第86回 幸福の姿 2016年2月12日
「選択肢が少ないほど、人は幸福を感じる。」と、ある脳科学者が言っています。 (さらに…)
第85回 忘れないハコの物語 2016年1月5日
スターウォーズは「昔々あるところに・・・」の書き出しで始まる宇宙の騎士伝説、未来のおとぎ話ですが、文字がなかった縄文時代、物語はどのように伝えられたのでしょうか。 (さらに…)
第84回 始まりの庭 2015年11月23日
幼いときの私は 祖父の屋敷うちだけで暮らす子どもでした。 (さらに…)
第83回 アートが考古学にできること その2 2015年10月2日
京都祇園の建仁寺は、あまりにも有名ですがその塔頭のひとつ、苔、岩、水の名勝庭園を擁する両足院は花見小路の賑わいとは別世界の静寂な寺院空間です。 (さらに…)
第82回 変身のフラクタル 2015年9月2日

上:「縄文の子どもたち」朝日新聞出版より
下:オーストラリア先住民の世界観を表わす絵
焼き物は変身する
素材も色も匂いも重さも手触りもすべてが生まれ変わる
土と水とが炎に焼かれることによって (さらに…)
第81回 神が旅する都の夜 2015年8月6日

縄文の祭り(部分)
京の水景色、高瀬川はかつて寺の普請の材木や蔵元の酒を満載した舟が行き来した水運の大動脈でした。 (さらに…)
第80回 アートが考古学にできること その1 古代のものつくりに思いをはせる 2015年7月7日
オリンピックの入場行進のときに、せいぜい5人くらいで行進するアフリカの小さな国の選手は たいがい民族衣装を着ています。 (さらに…)
第79回 浸透する器という展覧会 2015年5月28日

浸透する器 大西康明
京都造形芸術大学芸術館 ―縄文と現代 vol.3―
「あ、縄文の群像だ」と その部屋に入っていって思いました (さらに…)
第78回 狩りよりも罠 2015年3月4日
・・・肉食系婚活の話ではありません。 (さらに…)
第77回 SIRIと生殖 2015年2月6日
スマートフォンがハンサムな男優だったり、ポップスターだったりするコマーシャルを見るまでもなく、間もなく我々はSIRIに恋するようになるでしょう。 (さらに…)
第76回 禁断の縄文詣で 2015年1月7日
冬になると炬燵の周りにだんだんと必要品が集まり、手を伸ばせば届くように配置されたそれらにぐるりと囲まれるモノグサ暮らしが始まります。 (さらに…)
第75回 時計と時間 2014年12月9日
蚊やダニは我々が気づかない間に皮膚に穴をあけて管を刺し、血を吸って立ち去るという離れ業をやってのけます。 (さらに…)
第74回 江戸の弁当箱と縄文土器 2014年11月4日

絵 安芸早穂子
(参考 携帯の形態 旅する形 INAXギャラリー)
江戸時代の日本人が日々の遊びとそのための道具にただならぬテイストを発揮していたことは 今も残る秀逸な工芸品を見ればわかります。 (さらに…)
第73回 気まぐれな火の神と縄文の物語 2014年10月3日

浅間縄文ミュージアム壁画
火と風の記憶部分
第72回 起死回生のアーチスト? 2014年9月15日
職業を書く欄に「アーチスト」と書きいれるのはけっこう勇気がいることです。 (さらに…)
第71回 子どもたちの里山野焼き体験 2014年8月4日
私が敬意を抱く作家のひとり、陶芸家の宮本るり子さんはもう10年来 兵庫県の「丹波の森公苑」で子どもたちと縄文土器を作り、野焼きで焼成するワークショップをされています。 (さらに…)
第70回 オックスフォード Art&Archaeology ワークショップ 2014年7月3日

Ten boundaries
「10の境界」のための地図
英国とアイルランドのお話は何度かしましたが、あのあたりに行こうとするとかなり不思議なことが起こります。当然、妖精のしわざです。 (さらに…)
第69回 近江国サンショウウオ大明神は語る 2014年6月6日
あ~また子どもが来た (さらに…)
第68回 「TANE」という先住民神話 2014年5月1日

研究者とアーチストがともに刺激を受けあうための
グループ展とワークショップの試みです
TANEというタイトルのグループ展をしました。 (さらに…)
第67回 東北・ウエールズ精霊譚 2014年3月25日

「精霊の舟」さし絵より
イギリスの地図を見ると大ブリテン島が大きく縊れている辺り、深くはいり込んだブリストル海峡とセブン川の広大な河口を見晴らす丘にアンクル=ロンは住んでいました。 (さらに…)
第66回 民芸空間の出会い 2014年3月4日

田中縄文館図録より
雪化粧した猿投山、さざ波光る矢作川、遠く木曽の山並みを望む園地に点在する白い土塀の田舎家と瀟洒な明治の洋館。 (さらに…)
第65回 小さな町のArt & Archaeology 2014年1月28日
ホコリを展示するアーチストがいます。プライドの方ではありません。チリと積もるホコリのほうです。 (さらに…)
第64回 神の器ペットボトル 2013年12月25日

神の器の発明 (縄文の子どもたち から)
縄文人がペットボトルを知ったら、神の器として崇めることでしょうね。 (さらに…)
第63回 「縄文人が残したもの観察会」
-ニュータウンで土をこねる-
2013年11月28日

縄文人が残した世界観は深い・・・
ねっとりと柔らかな土粘土の感触が心地よく指に残っています。 (さらに…)
第62回 土偶の縁むすび 子どもと粘土とY先生 2013年10月31日

小学生が作ったパワフルな現代土偶!
素晴らしい土偶展が滋賀県のミホミュージアムであったので出かけたときのことです。 (さらに…)
第61回 「魂の旅の地図」としての三内丸山 2013年10月1日

供物の丘 (PHP出版掲載より)
三内丸山という古代計画都市の真ん中を貫いてズラリと並ぶ墓の列。10メートルという道幅の両側に墓を伴い、村の中央広場から海へと続く立派に造成された道路。 (さらに…)
第60回 スナフキンを探して 2013年8月27日

「精霊の舟」より
フィンランドの童話作家による「ムーミントロール」の話は後にテレビ化もされ、「ねえムーミン・・」という主題歌も大ヒットしました。 (さらに…)
第59回 もの覚えと記憶の在処 2013年7月30日
私くらいの歳になると、「もの忘れ」は友人諸氏のもっぱらの話題で、コントのような間抜けな状況が笑いの種です。 (さらに…)
第58回 見つけないという選択 2013年6月29日

”Cutting through the time” Sahoko Aki
「ここから先は今は掘りません。未来の考古学者に残しておきます。」
現在も次々と発掘調査が続く三内丸山遺跡を歩きながら、きっぱりとした口調で岡田先生が言われたこの言葉を、つくづく思い出しました。 (さらに…)
第57回 科学の終わり 物語の始まり 2013年5月28日
「科学の時代は終わった!」と言い放つ辻誠一郎先生、唖然とする聴衆・・・先月開催されたNPO縄文発信の会主催、東京縄文塾での光景です。辻先生といえば、東大大学院で教鞭をとられる環境植生史学者、理系バリバリの科学者をしてかく言わしめた縄文人の環境管理術、それは我々凡人縄文ファンが薄々感じていたよりも、さらに偉大なものだったのですね。
毎年刈り取って植えなおす1年生の草木、稲を中心に環境とつながってきた日本人ですが、「縄文時代は100年の尺度で森を経営し、里の環境を維持していた多年生森林経営社会」という解釈を以前にも辻先生は話されました。この言葉を聞いてハッとするのは、科学のお陰で長寿になったはずなのに、日々を勝手に忙しくして1年どころか分刻みの毎日を過ごしていると、1本の木を見ても木々が生きる時間に合わせ ゆっくりと遥かに、自分がいなくなった先にも続いてゆく未来にまで 思いが至らなくなっている現代人の自分に気づくときです。
「どの木から今年の漆の樹液を掻かせてもらうかは、木と相談して決める」日々の仔細な観察を伝統の知恵に重ねて、木の体調を察しながらお付き合いすることで何世代にもわたって漆の木から樹液を摂らせてもらってきた現代の漆掻き名人の言葉。分析や分類や数値やデジタル写真で「科学的」に木を知る私たちは、自分の言い分でしか木と付き合わなくなったし、木に言い分があるなんてそもそも考えない。だから木と相談もしなくなりました。山とも風とも海とも相談しなくなって、不意打ちをくらって悲鳴を上げる「科学の子」が私たちでしょうか。手塚治虫ファンの私としては残念なことですが、鉄腕アトムは確かに前世紀のものになりました。
縄文時代の三内丸山村には、生まれ育った土地を草木や獣と分かち合いながら、何世代にも渡る駆け引きの経験を知恵として伝え暮らす人々が住んでいたのでしょう。出土した広大な栗や漆の栽培林の痕跡は、縄文人たちの膨大な自然とのおつき合い情報アーカイブ、そのほんの一部だったのかもしれません。
「ただひたすら真っ白な氷原を獲物を追って何日も旅をするイヌイットは、なぜ自分たちの家に帰りつけるのか?」辻先生はこうも問いかけられました。
「それは彼らに共有される物語があって、そこに祖先たちが積み重ねてきた位置読み取り情報がしまわれていて、子供の頃から繰り返し聞きつつ雪原を歩いていれば、道順を忘れることがないから。」
多くの狩猟採集の民が文字を持つ代わりに、この上なく豊かな口承物語を持っていることは知られたことです。木と話し合い、獣たちと駆け引きをするときに、縄文人たちが最後に判断を仰いだのは、それらとの数千年のおつき合いの歴史から聞こえてくる祖先たちの知恵の言葉、それで紡がれた物語だったかもしれません。
人と自然環境の優れた関係を探るなら、「忘れていた縄文の時間と人の潜在能力を発揮して、科学に頼るな。」辻先生は次世代の人々に向けて、そう言っておられるのかなと思いました。
何世代にも渡る経験から語られる数々の物語をデータベースとして、研ぎ澄まされた感覚器官を読み取りソフトに、環境が発する声なき声を聞き取り、分け前を分け合っていた人々。
コンピュータはおそらくアトムに変わる21世紀の「科学の子」でしょう。将棋電王戦では初めて名人が負ける結果に終わったようですが、猟場の森で狩りのゲームをしたら、縄文人は永遠にコンピュータに勝つのかもしれません。
お知らせ
『ブナ林と狩人の会:第24 回マタギサミット in 猪苗代』が6月に開催されます 主催:狩猟文化研究所・東北芸術工科大学東北文化研究センター 期日:6月29,30日テーマ『今、東北の山々で何が起きているのか』
詳しくは・・・(PDF:第24回『ブナ林と狩人の会・マタギサミット in猪苗代』しおり)
第56回 縄文の「ミク」に会いにいく 2013年3月7日

縄文の女神はどのような姿で現れたでしょうか
安芸 早穂子作
初音ミクというアイドルをご存知ですか?そもそもはコンピュータの音声合成ソフトの名称でしたが、ヴォーカルの声にリアリティを与えるため作り出された女の子のイメージキャラクター「ミク」が今や実在のアイドルを凌ぐ人気の大スターになっています。 (さらに…)
第55回 年輪の音楽を聴く 2013年2月12日
レコードは記憶のための装置だったなあと、その名前の意味を感慨深く思いました。
不思議なレコードを聴いたからです。 (さらに…)
第54回 光る森・光る雲 2013年1月7日

「夜の記憶」 アクリル、木
新年早々、寝正月の収穫といえばNHKで見た2つの番組かもしれません。ひとつは、人工衛星からハイビジョン撮影された夜の地上の街々を見る番組。 (さらに…)
第53回 土偶コスモス展スケッチ所感 ―顔のない表情― 2012年12月12日
悦びとも哀しみともとれる表情
弱々しく微笑むようであり、
雄々しく叫んでいるようでもあり、
充足して満悦げに見えるかと思えば、
悲嘆の吐息を漏らしているようにも見える (さらに…)
第52回 淡山神社の犬 ――龍神とサックス―― 2012年11月7日
大化の改新で中大兄皇子と藤原鎌足が入鹿暗殺の密談をしたと言われる淡山神社に、ひょんなことから参詣しました。縄文サロン馴染みのライブカフェ ワイルドバンチのオーナーから滅多に聴けない最高のメンツと勧められたジャズライブが、飛鳥路に近い奈良中部、伊勢街道の宿場町榛原であると勧められ、通りがかったというわけです。さっすが近畿地方、縄文遺跡では青森に遠く及びませんが、大化の改新ならついでに立ち寄れちゃうのです!

多武峰観光ホテルのテラスから遠望する淡山神社
修験道の聖地大峯山や神秘の大台ケ原へ続く峰々の入口、中世伝説の宝庫に久しぶりに行くので、ライブが始まる夜までどこか近場で物語の気を頂けそうな場所を物色していたら、桜井駅に淡山神社ありとの情報!即決で途中下車です。
吉野山や室生寺にもほど近い都人の奥座敷、多武峰と書いて「とうのみね」、歴史を我がものとしてきた人々による いかにも当て字なネーミングの山に抱かれて件の神社はありました。紅葉の季節ということもあったでしょうか、おや?というほど若い人が多いので驚いていると「縁結びの社」あり。女流漫画家による屏風絵(!?)あり。聞けばすっかり苔むしてしまった桧皮葺の本殿の屋根を吹き替える大工事の勧進中とか・・・神社もなかなか頑張っているのでした。
風情ある灯篭に囲まれ、藤原鎌足公の像も安置される神廊拝所では、漫画屏風のその上に、鎌倉時代の天女の素晴らしい壁画がありました。室町、鎌倉の豪放でありながら壮絶なリアリズムを秘めた作風を現代漫画もぜひ思い出して欲しいものです。
玉石混淆の拝所で最も輝く「玉」大賞は鎌足公の横に並んでいた鎌倉時代の狛犬さん!大概は獅子と見紛う厳つい姿ですが、ここに居るのは私達がよく知っている犬そのもの。護衛犬らしい屈強な筋肉ながら、ご主人に仕えることに無上の喜びを示す誠実な眼、お座りしながら期待に満ちて指示を待つ様子、息遣いの聞こえそうな口、そこからちょっとはみ出た舌の先からずらりと並んだ歯の一本一本に至るまで、真に迫るリアリティを持った中世の犬が2匹そこにいたのでした。
描く対象の姿をそのまま写し取るというよりは、その姿のうちにある本質的なものに迫っていくことがリアリズムと私は考えますが、これはまさしく鎌倉リアリズムの粋との出会いでした。
さて、色づき始めた紅葉の道を本殿の方へ登る途中、水音がするので歩いてゆくと、「龍神の岩窟」に出ました。大和川源流と言われる湧水から湧き出たせせらぎが大岩に囲まれた岩窟に小さな滝をなしています。その背後には 見上げるばかりの大木が生え競う森と遥かに峻険な峰々。まさしくここは雲がわく聖なる領域へ立ち入る直前の禊の場であったことでしょう。多武峰・・猛々しい当て字をもらう以前、「とうのみね」とは遠い神々の峰に思いを馳せる処であったかと思われました。
修復したてのきらびやかな彩色で端正に建つ本殿に至ると、背後の山は御神体そのものの存在感で、大木の間から雲を湧かせ社を抱いているようでした。思えば神様たちを社に閉じ込めて、便利にいつでもお祈りできるようにしたのは人のエゴですね。それまでは、神様の側に決定権があり、人は細心の注意を払って神様が今、その瞬間に降りてこられる時刻その現場に馳せ参じたに違いありません。だからこそ、ストーンサークルや日時計は彼らに大切なものだったはずです。

縄文人は犬を大切に葬った
犬は村を護り、狩りを助け、ときにはよきベビーシッターでもあただろう
いい時間になったので山深い多武峰路をバスで降りて、今宵のライブに向かいます。途中、参道のお土産屋さんの店先で一匹の犬に会いました。顔の毛が白くなった老犬でおとなしく繋がれて主を待っているふうでしたが、縄文の時代以来何千年も人間を護る友達であり続けてくれた彼らに 改めて深い感謝の気持ちが湧きました。
ライブは本当に最高でした。パンクなバリトンサックスとエレキギターの爆音が響くと思えば、ペット、トロンボーン、そしてWサックスの金管部隊が整列して進軍ラッパよろしく真っすぐな音をノスタルジックに奏で、驟雨のようなドラムソロのあとに 林栄一の枯れて艶っぽいサックスが それらの音のジャングルを一陣の風のごとく駆け抜けてゆきました。
犬たちばかりでなく、遠い峰々に住まう神々さえも、このような私たちをゆるしていつまでも護ってくれているのかなあ・・・と金色のメタルから走り出る風の音を聞きながら思った夜でした。
第51回 台地にかえった日本人?―ニュータウンを遺跡化するー 2012年10月17日
「ニュータウン半世紀-千里発 Dream―」大阪は吹田市立博物館の秋季特別展です。東洋初のニュータウンとして夢一杯に設計された千里ニュータウンが 「まちびらき」して以来50年ということで、吹博名物 市民実行委員会が企画した展覧会です。発足当時には超モダンであった団地や公共施設も半世紀を過ぎて老朽化が目立ち、生活スタイルも激変する中、千里はちょうど建替えラッシュで団地の高層化が進んでいます。古い団地は住民が立ち退いてしばしゴーストタウン化しますが、そこにはすぐに瀟洒な高層マンションが建つ といった具合です。
団地がゴーストタウン化するその一瞬をついて、博物館学芸員が、ポストや掲示板、ダストシュートのフタ、ドア横のネームプレートやトイレに至るまで 必死の収集を試みた結果、少なからぬ「古い団地の断片」が博物館入りしたわけです。半世紀展実行委員会からこれらの「収蔵品」を再構成して50年前のニュータウンの遺跡としてアートな展示にしてくれと頼まれました。
団地の断片は そこに暮らした人々の断片でもあり、1960年初頭、当時最新のモダンライフを夢見て移り住んだ人々にまつわる「出土品」とも言えましょう。
それらを遺跡として提示することは 歴史復元イメージのパラドックスというか、面白いチャレンジです。

ニュータウンの夢は遺跡からまた不死鳥のように建替わる!
主役は団地のハウスナンバー。A9号棟からぶんどって来たこの収集品は、ニュータウンに引っ越してきたばかりの人々、特に学校から帰る子どもにとっては我が家への道しるべ、同じ顔をした新しい家の中から我が家を判別するための大切な記号でした。無機質な数字が子どもたちに与えていた安心感を思うと、またひとつ既成概念を破られます。
さらに面白かったのは 玄関ドアやトイレと言った毎日必ず身体に触るもののを展示に入れたときの存在感。自宅の玄関を開け閉めするときのノブの感触や音、トイレならそこで過ごす個人的時間へのオマージュは他の追随を許さないほどの強烈な身体的思い出を喚起するようでした。

当時の公団団地では各階の玄関扉がポップに色分けされていたので表札プレートと各階扉のオブジェにしてみました
また、手軽に名前を入れ替えられる玄関ドア横の表札ネームプレートも、全く同じ色、形にNHKや共済のシールが貼られてはいますが、たくさん収集されると同じ企画だからこそ垣間見えるそれぞれの家の個性があってこれも興味深いことでした。これらは別にオブジェを作り、ズラリと並べて展示。
実行委員長の奥居氏はもちろん千里NTの住民で、しかも日本中のニュータウンを見て回ると言う 鉄ちゃんならぬニューちゃん?ニュータウンのことなら何でも知っているので、2度ほど縄文サロンでも「人が暮らす場所」的テーマでお話頂きました。奥居さんによれば、弥生時代以降低湿地へ降りていった日本人たちは、近代になっても工場や都市に縛られて そのあたりから離れられずにいたものを、働く場所とベッドタウンを分けるニュータウンの思想が芽生えてようやく再び 台地の暮らしを復活させたということです。おお!ここでニュータウンは縄文とつながるのである。
今回の仕事からはそればかりでなく、残されたモノを見る目についても少なからず洞察を深めました。私自身1970年万博の年にニュータウンに入居して、自分が知っている近所の団地やそこにいた友人らを思い出しながら、自らの思い出の断片としても団地の遺跡を展示することになったわけですから、まあ、言うなれば、縄文人が自分で三丸ミュージアム(三内丸山遺跡出土資料展示室)の展示をしたようなものです。
イベント情報
吹田市立博物館 開館20周年記念
千里ニュータウンまちびらき50年関連イベント
ニュータウン半世紀展 ー千里発・DREAMー
http://sui-haku.at.webry.info/
第50回 踊る精霊の影 ――土偶アーチストが見た京都・青森―― 2012年9月18日
話は遡り2010年イギリスでの土偶展“ENEARTHED”でのこと。
ちょうど私も出品していた当地での関連展Rebirthのオープニングパーティーで 面白い女性に会いました。ウイットがあり野性的、別れた旦那と連れ立って来ているところなども お友達になれそうな・・・・聞けば、踊る土偶アニメを手がけた作家とか、それがサラ=ベールとの最初の出会いでした。
展覧会の主催者セインズベリー視覚芸術センターはその創設から、古代と現代のアートをともに展示することで時の流れにもテーマを問いかけるという、博物館と美術館を区別しない思想を貫いています。
「踊る土偶」は、その「土偶展―人はなぜ人形をつくり続けてきたかー」で最初に出会うアート作品です。見知った縄文の土偶がそっと手や足を動かして ちょっとだけ腰を振ったりする・・・流れる音楽にも不思議な安らぎがあって、作家伝授のウイットが溢れる短編アニメーションでした。
そのサラが、念願の日本にやって来るということで、案内役を頼まれました。何度もの挫折の後、ようやく実現した旅、関空到着翌朝の京都の酷暑もなんのその!初日からテンション全開。歓迎の挨拶もそこそこに腹ペコのサラとその友人ナターシャを錦市場へ連れて行きました。さて、京の台所、見たこともない食材に溢れる市場でまずサラが目を見張ったのは うどん屋さんの前に並んだプラスチックの料理見本。「本物そっくり!! 細部まですごくリアル!」次に入ったのは何故か靴下屋さん。「駅で見た女性が素敵なシースルーソックスを履いていたのよ!」・・・市場の靴下屋さんはバイリンガルの商品説明をしっかりとつけ、日本製靴下の値段が高い訳としてマネのできない縫製技術の説明を仔細にしてくれました。
錦小路を歩くとき私は京の食材にしか目を向けませんでしたが、全てが異文化初体験の彼女たちについてゆくと、賑やかな通りにひっそりと息づいていた日本モダン工芸の技を発見することになったのでした。ロウ見本でも、靴下でも器用に工夫を凝らさずにはいられない日本人気質。縄文人が作り出したあの完璧とも言える空間構成からなる造形も、雄渾なものから繊細な小さな器まで、ひょっとすると同じ気質を語っているのかも知れないななどと思いました。
そしていよいよ三内丸山遺跡でのお月見縄文祭にサラがやってきました。まずは朝の遺跡の広々としたスケールに感嘆の声。林を育てて周囲の現代的風景から遺跡の景観を守るという方針にもいたく感動の様子。爽やかに風が渡る草むらの向こうに復元住居が見えてくると、「ずっと噂を聞いていてもね、実際に行ってみるとがっかりする遺跡がイギリスにはたくさんあるのよ。ここは本当に期待以上だわ!」とカメラを取り出して小走り。
もうひとつサラが感嘆の声を上げたのは時遊館にある三丸ミュージアムの土器展示でした。「これは実に素晴らしいライティングよ!」写真撮影自由というのも「Very kind!」
午後のワークショップでは、大型復元住居の空間で件の「踊る土偶」アニメを見ながら サラに制作苦労談などを聞いて後、木切れや葉っぱで「踊る」縄文の精霊を作りました。持ってきてもらったアニメの背景とサウンドトラックだけのDVDを映しながら 参加者が作ったそれぞれの精霊を、サラの土偶と同じ背景で踊らせようという趣向です。
はじめは恐る恐るだった子供たちの「木の精霊」も、宮崎さんが奏でる縄文パーカッションにのせられてか、次第に大胆なダンスを始め、やがて入りきれないくらいたくさんの精霊の影が画面せましと踊りを繰り広げました。
どの人も親身に親切で、お月様までが大らかに見守ってくれた三内丸山お月見縄文祭。「まるで数週間滞在したくらい充実して楽しい経験だったわ!」新青森駅でそう言ってサラたちは新幹線に乗りました。
参考
・2010年英国イーストアングリア大学セインズベリー視覚芸術センターでの土偶展ENEARTHED” http://www.scva.org.uk/exhibitions/archive/index.php?exhibition=78
・日本からの作家も参加した 同時開催縄文展 ”RE BIRTH” http://www.tkazu.com/saho/j/UK2010_japanese.htm
http://www.art1821.com/exhibitions.php
第49回 バリの女高生―ラプティの村からー 2012年8月8日
「私たちは農業をやめない。作物を作り続けながら、農村と風景を観光資源にしていきたいのです・・」つたない英語で村長は一生懸命に説明しました。 (さらに…)
第48回 縄文サロン―巨大スーパーマーケットと縄文の食事情比べの巻ー 2012年7月10日
なにわの名物縄文サロン。毎月開催10余年、なぜこんなに続くのかはナニワの謎・・今回も新しい顔が増えました。 (さらに…)
第47回 今和次郎と人の暮らし復元イメージ― ライデン大学景観考古学会議から― 2012年6月8日
日本ではシーボルトの故郷として有名なオランダの町ライデン。運河には古い街並が映えて、いかにも中世都市の風格、 (さらに…)
第46回 遺跡と家族 ―燃え続ける炉の火- 2012年5月28日
復元画を依頼されると、私はその遺跡にできるだけ足を運ぶことにしています。 (さらに…)
第45回 祭りの魂、魂の祭り 2012年3月14日
「その両側を墓に守られ、海辺から広場まで続く10メーターも幅のある道を通ってやってきたのは人間ではない」 (さらに…)