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連載企画

縄文の風を感じてみませんか?-土岐 司-

第50回 縄文エッセイ まとめ編 2011年3月25日

随分と私ごときのエッセイに心を注いでくれた方々には御迷惑をおかけしたと深く反省しています。理系人間の私はまったく文系の国語的ではないし、頭の中が文系に変化したのでもない。それゆえ支離滅裂になり、行方のない流浪の民のような構成になっていたことは否めない。 (さらに…)

第49回 白神の森で絵本を読んだ2 2011年2月16日

彼らは、絵本の森の真っ只中にいることに薄々気がついているようだ。「おじさん!私ね六本柱のところに行ったよ」「ボクもおじいちゃんと行った」と絵本の主人公たちがしゃべり始めた。EcoリパのスタッフSさんが時計を気にしているが、ここで半端にはできないじゃないか。 (さらに…)

第48回 白神の森で絵本を読んだ1 2011年1月11日

暑い夏休みも残すところ3日になったある日、弘前の児童館の小学生たちがecoリパブリックのメンバーに率いられて山に来てくれた。午前中は川原ではしゃぎまわり午後の時間は森を歩くという企画らしい。自然に放牧された動物のように土手下から子供たちの歓声が聞こえることは珍しいことだ。 (さらに…)

第47回 強ければ生きられるのか?1 2010年12月27日

白神山地は、ブナを軸にした落葉広葉樹が広大な面積で残されている。広大?というものの地球の規模から見るとカケラのように小さい。それだけに人類に遺された最後の「緑の宝石箱」とも言える場所として受け止めなければ次世代に遺すことは難しい。 (さらに…)

第46回 初秋の一日 2010年12月17日

秋の短い一日、お客様の姿が少なく久々の陽光に身を委ねてみようと歩いてみました。いつもは、自分で楽しみながらもお客様の案内への心配りが優先するのですが、一人で歩く楽しみは格別です。心なしか空気まで澄んでいるようで全身で深呼吸をしてみました。野草が種をつけ、一足さきに稔りの秋を感じさせてくれます。 (さらに…)

第45回 旅の効用は大人に限らない 2010年12月1日

高速道路の通行料金が破格の安さになった。有難いのかどうかは高速道路を利用することの少ない私には実感がないのが現実だ。それでも、日本一と自負する「ひろさき桜まつり」には早々と花見客が押し寄せてきた。例年ならば旅行代理店の企画する団体旅行で混雑しているようだが、今年は県外ナンバーの車両が多いのは格安通行料金の恩恵かもしれない。 (さらに…)

第44回 世界遺産登録にスタート! 2010年11月9日

2008年の年の瀬を前にした12月16日の地元新聞は=「三内丸山」暫定リストに=と報じた。これからは世界遺産条約であるユネスコ世界センターとのやり取りが始まるのだろう。価値ある財産が単に三内丸山に限定されることなく広く「北海道・北東北縄文遺跡群」と幅広い縄文文化の捉え方をしたことに大きな意義を感じている。 (さらに…)

第43回 人が創ることが出来ない自然ンじゃン 2010年9月24日

最近の心痛める話題に、折々に樹木に傷をつけられたとか、樹木が鋸で切られたとかのニュースが見られる。傷をつけられた程度で樹木が死ぬことは無いかとは思うが、鋸で切られた新聞の写真を見る限りでは何とも痛々しい。 (さらに…)

第42回 星に 願いを 2010年8月26日

♪星の瞬きは 心のやすらぎ 明日の夢をはこぶ やさし君が笑み♪このような歌詞の歌謡があったが随分昔のことになってしまった。秋の晴れた日の星空は空気が澄んでいて格別です。都会ではお金を出しても見ることが出来ない贅沢な光景です。降り注ぐような星空には敬虔な祈りのような何かがあるようです。 (さらに…)

第41回 哲学ができる 白神の道 2010年7月23日

「哲学」?なんでお前が?と言われるのが落ちです。分かっているンですよ。
京都には「哲学の道」なんて言うのがあることは周知のことです。修学旅行で幾度か訪れたのですが、それほど心に残るような何もなかったことを薄っすらと覚えている。由来を聞けば西田幾太郎が物事を考えるときに歩いたという逸話があると聞かされた。残学者の私には何とも理解に苦しむことである。 (さらに…)

第40回 大切なもの・・・って「酒」 2010年6月30日

先の両博士の説によれば「ニワトコ」で酒を作っていたという。またMr縄文の岡田さんの縄文遊々学第8回で「お酒を飲んだ?縄文人」で醸造や蒸留の技があったとかと実に面白い事実が解き明かされている。以前、三内丸山の栗柱の掘立ハウスで縄文料理を頂く機会があったことを書いたが、4000年前のカワラケ(素焼きの杯)で考古学者でもあり俳優でもある刈谷俊介さん、ミスター縄文の岡田さんらと飲んだことがあった。 (さらに…)

第39回 大切なもの・・・って?3 2010年6月18日

何かにとページを重ねてきたが、大切なものの中で是非とも書かなければならないのは「酒」でしょう。私は大の酒飲みの一人であるようだ。(私の認識では大がつかない酒飲みだと思っているが・・・)酒は父親も好きで晩酌を欠かすことがなかったと記憶しているが、私の弟妹には酒をたしなむDNAが遺されていない。 (さらに…)

第38回 大切なもの・・・って?2 2010年5月25日

近所に大型のドラッグストアーがオープンした。店名は「ドラッグ」だが、商品は日曜雑貨から食料、酒から衣類までで扱う商品は多岐にわたる。消費が落ち込んで不況風が吹くと言われても、昔ほどの苦しさはないだろう。ただ、残念なことにリストラとかで食を失った人も少なくないが、それでも生きようと思えば何とか生きられる時代である。 (さらに…)

第37回 大切なもの・・・って?1 2010年5月12日

道具の使い方を知った人類は、その知恵で地球の多くを手に入れたような錯覚に支配されて現在に至ったが、その結果「富と貧」が生まれた。前にも述べたが人々が一様に物に不足して時代には「相互に分かち合う心」があった。物が溢れるような時代に突入してしまった社会だから、もう一度「それって必要なの?」と踏みとどまって考えることも必要ではないだろうか。 (さらに…)

第36回 仲間は同志 2010年3月12日

長い冬の寒さが緩むこの頃、私のスタッフ達の胸はすでに雪解けの季節に思いを馳せているようだ。主婦や大学講師など多種多様な人材を擁する会社です。自然が好きで白神が大好きなスタッフ達は私が作成したマニュアルに同感の意を示してくれた人たちです。彼ら彼女らは、お客様が新しい知識を得たり感動してくれたりする瞬間に命?をかけているのです。 (さらに…)

第35回 時を刻むことは生きること 2010年2月26日

日常の生活から飛び出すことが「旅」でしょう。日ごろの生活を思い出してみれば、実にシンプルなリズムの繰り返しとも言えましょう。音楽で言うなら

A,A`,B,B`のような単純な音の組み合わせを繰り返しいるのと似ている。それが悪いこととは思わないが単純な旋律で面白みがないのは間違いないでしょう。 (さらに…)

第34回 兆し 2010年2月12日

モノトーンの世界という表現は手垢がついて使いたくない言葉です。あえて表現するならば「無彩色」の方が具体的なイメージを得やすいのが北東北の雪景色です。時として吹き荒れる猛吹雪は雪景色を覆い隠し私たちを強烈に拒みます。永い年月、そのような世界に棲む人々は吹雪の過ぎ去るのを息を殺すようにして待つのです。それが雪国に住む人の日常であったのです。 (さらに…)

第33回 枯れることの意味 2010年1月29日

昨年の年末は娘がいるドイツで過ごした。以前に渡独した冬も寒いと感じたが今回の寒さは身に応える。それと言うのも体調は万全だと自信を持っていたが食当たりでもしたか嘔吐や下痢に苛まれ辟易とされた。 (さらに…)

第32回 昔も今も 自然は強いね 2010年1月15日

2008年師走の一日、時ならぬドカ雪が里を襲う。俗に言う「濡れ雪」で水分が多く樹木の太い枝やリンゴ樹を折るほどの重さを持つ雪である。ニュースは弘前公園の老松が倒れたと報じ、国道7号線では斜面の樹木が道に倒れ通行不能とも報じた。初冬の雪で多くのリンゴの樹が折られたが「雪害」は我らの知識では予測できないことである。 (さらに…)

第31回 雪が人を結びつけていた? 2009年12月25日

山ではなく日常生活をする周辺に雪が降り始める12月下旬師走ともなれば人の温もりをことさらに感じる。夏場には挨拶程度しか交わすこともない近隣の住人たちが、雪の降った早朝5時頃ともなればそれぞれに武器(スコップ、雪掻き)を持ちより雪片付けに汗を流すのです。そこには自然に片付け作業のリーダーが生まれ、その下に作業が進む。私は力がなく腰の痛みがあるのでコーヒーを準備して労をねぎらう係りに徹することにしている。 (さらに…)

第30回 師走の朝に 2009年12月11日

昨日までは寒気と氷雨で長靴や手袋で防備していたにもかかわらず、1日の朝は乾燥した空気がピンと張り詰めた空気をまぶしい太陽が津軽の山々を際立たせていた。

このような日は山に走り出したくなる。 (さらに…)

第29回 ある秋の ひと駒 2009年12月1日

お客様の来訪が少なくなる晩秋の一日、大阪・京都のお客様を案内した。落ち葉が一面に敷き詰められた道、歩くと枯葉がガサガサと心地よい音を奏でる。殊に大型の朴の葉が足元で壊れる音は日頃の憂さを晴らしてくれる様で快感です。お客様方は競って大きな枯れ葉を捜している。若いとは言えない年齢の方々が子ども還りか童心を覗かせているのが実に楽しいのです。都会生活では決して体験できない事のひとつだろう。 (さらに…)

第28回 ダム湖に眠る 縄文の国 2009年11月13日

秋が深まり、里では秋だが山は初冬の風情があり一大絵巻物のようである。一度に多くの季節を見られる喜びがある。この西目屋村には巨大な津軽ダムの建設工事が進められている。かつて、湖底には集落があり村人の営みがあり、現在の美山湖ダムの建設で移転を余儀なくされた歴史がある。年数を経たダム湖底の土砂の堆積で貯水量不足から更に大きなダムが必要になったのです。 (さらに…)

第27回 お祭りだよ! 集まれ!2 2009年10月30日

ブナの木はアイヌ語では「ピラニ」だ。ブナの木は獲物を下げることに使われたようだ。多分、これは重要な宗教的な意味を含んでいたのかも知れない。

いわゆる「祀りごと」で授かりものに感謝するセレモニーと捉えても良いようだ。このことから推して考えればアイヌの人々の「熊まつり」は「熊祀り」ではないのかとフト思い当たったが無理だろうか。 (さらに…)

第26回 お祭りだよ! 集まれ!1 2009年10月19日

三内丸山のお月見は、私のイマジネーションに油を注いでくれたようだ。日本人、否、縄文ビトたちのお祭りが好きであったのではないだろうか?

身を守るための祈りの祭り、狩猟で獲物が獲られた感謝の祭り、集団の誰かが亡くなった弔いの祭りなどと集団として執り行っていたのではないだろうか。いわゆる、「祭祀」という慣わしが村落という集団の結びつきを濃くしていたのだと推測できる。 (さらに…)

第25回 名月に 酔う 2009年10月2日

三内丸山縄文遺跡で開催された「お月見コンサート」に参加するチャンスを頂いた。時は9月5日満月の夜であった。お月見に先立っての企画に、期待に胸を躍らせて会場の一人になった。まだ出ぬ月の縄文の丘にはかがり火が焚かれ茅葺屋根の数棟がライトアップされ心を澄ます時間が流れた。 (さらに…)

第24回 津軽峠の風 2009年9月18日

標題の「津軽峠」は西目屋村と鰺ヶ沢町の境界線にある。ちなみに津軽弁では異なることを「つがる」と言う。境界線は町村の境目で一歩踏み込めば「つがる町」であり「つがる村」になる。もしかすれば、だから津軽峠なのか?なんて考えれば楽しいじゃないですか。でもお客さんに、こんな内容でジョークを飛ばしても・・・理解はしてもらえない。ザンネン! (さらに…)

第23回 パーソナルな旅行の楽しさを(その2) 2009年9月2日

訪れた国の言葉も知らない私が、なんで?と問われれば、その答えは一つです。「白神山地の素晴らしさを感じたいから」が答です。

多くの日本人は知らないうちに豊か過ぎる自然の中に埋没して、その価値に鈍感になっているように日頃から感じていた私でした。もちろん、私自身も鈍感族の一人であるのは言うまでもないことです。古今和歌集や万葉集、そして今昔物語には多くの詩歌や寓話が詠み込まれています。 (さらに…)

第22回 パーソナルな旅行の楽しさを(その1) 2009年8月21日

白神山地が世界自然遺産に登録された時分、日本の風のすべてが白神山地に向かって吹いているように多くの旅行者が大挙して訪れた。一日に大型バスが20台から30台とバスプールが足りない程で地元は浮き足立つ始末だった。風のように来て風のように帰る団体旅行が残したのは大量のゴミのみで経済的な効果は期待したほどでもなかった。 (さらに…)

第21回 北の大地は日本の復興を支えた 2009年8月7日

国破れて山河あり・・・。このような言葉を思い出すことがあるのです。

日本の敗戦で文字通り焦土と化し、人々の心まで荒廃した時代があったことを豊かな白神の森を見るときに心を過ぎるのです。幼少の私には良く理解してはいなかった時代ではあったのですが、敗戦の貧困を支えたのは北東北の森林であったのは歴史が語るところです。 (さらに…)

第20回 俺たちは本物の縄文人だ! 2009年7月21日

三内丸山遺跡で「JOMONナイト」が開催されて参観者の一人として席についた。月のきれいな2008年9月20日のことでした。大型竪穴住居に座りながら、この屋根の下で過ごしたであろう縄文の人々が何を語りながら食べていたのだろうと思いを巡らしてみた。 (さらに…)

第19回 雨の日も 風の日も 2009年7月6日

自然界のことだから・・・とアバウトに評価してしまいがちな自然です。気分的には晴天の自然を堪能したいのが人情ですが、そこは自然の事だけに人様の思いのままには行かない。 (さらに…)

第18回 旅支度に身をよせて3 2009年6月22日

「高倉森自然観察歩道コース」

西目屋村管内では、難易度が比較的高いコースです。案内地図では難易度を中程度と書かれていますが、誰を基準にしているのかは不明ですので現地の責任あるガイドに聞くのが一番です。 (さらに…)

第17回 旅支度に身をよせて2 2009年6月8日

「暗門の滝コース」と「ブナ林散策道」を同時に体験したい方には、先にブナ林に入ることをお勧めします。多くの方は滝の向こうにブナ林があるように感じられているようですが、心しておくことが肝心でしょう。 (さらに…)

第16回 旅支度に身をよせて1 2009年5月25日

白神山地(暗門の滝エリア)を訪れるお客様には、アルプスの山岳部を行くような重装備からリゾートに遊びに行くような軽装まで様々です。その理由を考えてみると情報が少ないのが一番でしょう。 (さらに…)

第15回 おなじ「いのち」を感じる時 2009年5月1日

春が来れば長い冬眠からさめる動物や山野の植物たちの姿が見られます。これは不思議なくらいに当たり前のことですが、当たり前すぎて見落としていることや、気づかないことが余りにも多いことに気がつくことがあります。 (さらに…)

第14回 森に抱かれる時間 2009年3月23日

標高650mの津軽峠から眺める山容はダイナミックで、あの山の向こうが日本海であることも忘れることがある。あたかも人格をもつように厳として立ちはだかるようだ。 (さらに…)

第13回 遊びこころ それが心のゆとりです(その2) 2009年3月9日

「遊びの美学」なんて言う言葉ってあるのだろうか。あるかも知れないが、私は知らないだけでしょう。私の中では「欲張らないこと」が美学の一部にある。

野遊びではことさらに大事にしたいことです。最近の雑誌はジャンル別に枝分かれし、アウトドア関係の書籍も多いが、さながら「道具図鑑」の趣が強いのは否めない。 (さらに…)

第12回 遊びこころ それが心のゆとりです(その1) 2009年2月23日

日常から離れて旅にでる喜びは、期待あり不安ありで否応なくテンションがあがるのは私だけではないでしょう。相応の経済的な負担を担保にして得た時間を何によって満たすのだろうか。 (さらに…)

第11回 学び旅 修学旅行が楽しい 2009年2月9日

教員生活にピリオドを打ってから6年になるが、次世代を担う生徒さんに自然を大切にする考えを伝え遺すのも私の使命の一部と考えています。修学旅行のスタイルは、日本の伝統文化を学ぶ形から、平和教育の学び旅に移行し、異文化を学ぶ旅は海外旅行に姿を変えた。 (さらに…)

第10回 雪の褥(しとね)におおわれる時 2009年1月26日

師走・・・十二月になれば機動力で山に入ることができなくなり、文字通り山は眠りに入る。けれど大雪でもない限りは穏やかな山行を楽しむことができます。わずかに積もった雪の上に残された動物たちの交錯した足跡が見られ、人間様などには解らない動物たちの躍動している様がわかります。 (さらに…)

第9回 雪の降るころ 2009年1月13日

山仕事をする人の誰もが里に戻る季節は、葉を落とした裸木の森は深閑とした景色が広がる。葉をまとった森は遠くを見渡すことができないが、景色が透けて近くに見える。人は寂しいと表現もするが中々素敵な景色です。 (さらに…)

第8回 家紋にみられる日本文化(その2) 2008年12月26日

黄葉のブナ林に彩りをなすのが、カエデやヌルデ、ウルシなど赤に染まる植物たちがレイアウトされることで、絢爛豪華な秋色の世界が展開されます。

小学校で「松をいろどる カエデやツタは 山のふもとのすそ模様・・・」と大声で歌ったのを思い出します。 (さらに…)

第7回 家紋にみられる日本文化(その1) 2008年12月16日

日本の精神文化について前述したが、「日本人の美意識」は樹木をはじめ多くの植物が人々の生活の傍らにあり、豊かな自然と共存できていたからだろう。現に家紋は1,000年余の歴史を持つ世界でも例を見ない華やかな日本の文化であることは知られるところです。 (さらに…)

第6回 こころを開くアリンコ・・・ 2008年12月1日

社会生活に疲れた人の心を解いてくれる白神の森は、若い青少年たちの心をも解き放つ力を秘めている。私は地元の子どもたちに自然体験のプログラムを提供している。彼らは街にいる時には、虫が怖い、カエルは気持ちが悪いなどと毛嫌いすることが多いと言う。 (さらに…)

第5回 小さな秋 見つけた 2008年11月17日

私たちが暑いとか残暑だとかと汗を流している頃には、白神の自然は少しずつ秋の序曲を奏ではじめます。津軽はねぷた祭りが終われば秋風が吹くと言われる。ねぷた祭りは (さらに…)

第4回 瞬間の美しさに心うごかされて・・・ 2008年11月4日

夏の太陽が高くなり、時には暑苦しい風が渓谷の水に冷やされながら駆け抜ける瞬間、歩き疲れた体に活力を蘇えさせてくれる事がある。そんな時には佇んで周りを見渡すのが良い。 (さらに…)

第3回 「いのち」が目覚める春 2008年10月20日

長い冬が、雪解けの進行とともに舞台を春に移していく。津軽の人々が寒さを乗り越えた安堵感に浸るように、白神の山々も里から高い稜線へと春が駆け上がるのです。 (さらに…)

第2回 感じてごらん!高校生たちも・・・ 2008年10月7日

当時の本業は高校理科教員。「俺ね、山でゴミ拾いをしているんだけど、お前たちも手伝わないか。山がきれいに変わるのは心が洗われる感じがするんだ」と呼びかけてみた。 (さらに…)

第1回 山よ 静かに眠りについて・・・ 2008年9月26日

世界自然遺産白神山地が世界自然遺産に登録されたのは1993年でした。

それより20年も前に白神山地は私の大好きな山域だったのです。 (さらに…)

プロフィール

土岐 司

執筆者一覧

1942年青森県生まれ

高校理科教員を38年勤め、2004年有限会社ヒーリングエコツアーPROガイド エコ・遊を設立。 教員在職中、白神山地を題材とした授業の中で、白神の自然を後世に残すという想いに目覚める。

会社設立より現在に至るまでのシーズン中(5月中旬~11月中旬)に白神を留守にしたのは片手で数えるほど。

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