在来知とは、ある集団がその環境のなかで生きるために持っている知恵と工夫、あるいは地域に根差した小規模な経済活動のことをさす。それを真正面から取り上げるのは現在進行しているグローバルな経済観とは真逆の発想である。民族学は伝統的にこの問題を追及してきた。白人社会とは異なる民族への興味であった。しかし、効率的で圧倒的な力を持つ現代文明はしだいにそんな社会を変えていることも事実である。それでも多くの伝統的(未開)民族は依然として残っている。もちろん、少数民族にかぎらず、どんな社会にも在来知を培ってきた歴史があり、それによって気候変化や自然災害などの危機をのりこえてきたことは明らかである。
羽生淳子さん(カリフォルニア大学バークレイ校教授)は総合環境学研究所の客員教授として在来知を基礎に置いたプロジェクトの調査を2014年から2年間おこない現在まとめ中である(羽生ほか編『在来知と環境教育』)。チームは考古学、歴史学、民俗学だけではなく、農学、生態学、社会学、経済学など広い領域の研究者からなり、総合人類学としてのアプローチである。調査地は、岩手県宮古市の北上山地、閉伊川(へいがわ)、海岸部で、他の都市や外国の例も視野に入れている。具体的には川のサクラマス、焼畑の作物、ウルシ工芸をとりあげている。これらは今はほとんど消えかかっているものだが、人々の記憶は鮮明だった。とくに主食となっていた焼畑の作物はヒエ、アワ、ダイコンなどが中心でコメがほとんどなく、それにトチやシダミ(コナラ)などが加わる食料の構成はきわめて縄文的であることに驚いた。また、インフォーマントの年齢にもよるが、ダム、河川改修、道路、護岸工事や、港や工業団地の建設などがおこなわれるに伴い自然環境が劣化していったことがわかるのである。環境にはリジリエンス(回復力)があり、まだ再生の可能性は残しているので、彼らの話が単にノスタルジーだけでなく、在来知は生きていたのである。
在来知は、現在かまびすしく議論されている地方創生のキーワードになると思う。統計によると(増田寛也 編著『地方消滅』 2014)、日本の人口は現在1.2億人だが、2050年までには9000万人にまで減る、しかも人口が東京に一極集中して地方都市の50%以上が消滅するというのである。これに対する政府の反応はすばやく、地方創生担当大臣を置いて予算を投じ「まち、ひと、しごと」の創生をめざしている。もちろん、当事者である地方政府も熱心である。その結果、多くの試みが出されているのだが、行政の意図するマクロな経済効率だけを狙うものは(平等原理や既得権の問題もあって)空回りしがちで、地元民の声をしっかり反映した案は成功するものが多いという。
宮古市のような在来知を今、どう立て直して生かすか、具体的には産物のなかに市場価値のある産物を見つけることができるか、あるいは誘客力のある観光地としてつくるか、自律的に持続する生活の場をつくることに将来がかかっていると思う。

青森ねぶたの歴史やねぶた制作を案内する「ねぶたガイド隊」
祭りには地域の在来知が詰まっている。