昨年末、宗像大社を訪れた1ヶ月後に、広島の厳島神社へと向かう機会に恵まれ、神々のお導きかしらと喜んだ。というのも、世界遺産という共通項に加え、宗像大社と同じタゴリヒメノカミ、タギツヒメノカミ、イチキシマヒメノカミが祀られているからだ。厳島神社がある宮島へは、10分ほどかけてフェリーで渡る。出発からほどなく、海上に浮かぶ朱色の大鳥居の前を舟が横切る際には、思わず涙がにじんだ。それほどまでに、大鳥居を要とする眺めは美しかった。その感慨とともにあらためて、平清盛の美的感覚と独創性に思いがいたったのである。
厳島神社の歴史のはじまりは推古天皇の頃といわれるが、ご存じのように清盛の指揮のもと、今の基盤がつくられた。海上の神社は、当時、類のない極めて斬新な発想。しかも、緻密な計算の上に成り立っている。これまで幾度となく台風などの影響で修復が必要になったが、本殿内陣をはじめ清盛の時代から受け継がれてきた主要社殿はほとんど被害がなく、創建以来、水没もまぬがれてきた。暴君のようにとらえられがちだが、立地をはじめ職人たちの意見を取り入れる懐の深さが清盛にはあったのではないか……。本殿を歩きながら、旅の前に目を通した考察を思い出し、感慨が深まる。
さらには、静かに波打つ水面を目にして、「崖の上のポニョ」へと心が飛ぶ。舞台になった鞆の浦は、同じ瀬戸内海。家の灯りや街灯が夜の水面にカラフルな光の帯を描いた様子は、忘れがたい記憶だ。グランマンマーレ(ポニョのおかあさん)が登場するシーンを彷彿とさせたその景色は、静かな海ゆえのもの。だからこそ彼の地の人は、北の荒海を見て感動するという話も印象深かった。青森の人と瀬戸内の人とでは、心のなかの海の景色がまったく異なるのですね。
話を宮島に戻せば、ここには縄文時代から人が住んでいたという。波穏やかな海域と島々が点在する環境を思えば、小さな舟でもたやすく移動できたことが推測できる。対して、縄文の人々が青森から北海道に渡る際は、少々の勇気が必要だったかもしれない。とはいえ、今でも天気が良ければ、道南の姿を青森から望める。ましてや、現代人よりも視力が良かったであろういにしえの人々にとっては、もっと身近だった可能性もある。先が見えるのは、足を踏み出す上でなによりの心のよりどころだ……。などと、広島から青森や縄文へと思いがいたったのもまた、神々のお導きなのか。
フェリーが着く桟橋から厳島神社へと至る参道には、広島の特産品であるカキ料理屋が数多く並んでいた。生で、焼いて、揚げて……いずれもがぷっくりぷくぷく絶品。ふくよかな広島の酒が、また旨い。カキと絶妙に合う。神さまに感謝しつつ、昼間からほろ酔いになったのは言うまでもない。

現在の大鳥居は、明治8年再建。
写真:松隈直樹

潮が引くと、こうなります。やがて鳥居の下も歩ける状態に。
写真:松隈直樹