これまで、縄文人の様々な植物利用を見てきて、その度に「おどろき、びっくり」の連続だったわけですが、「樹皮」の利用というものも忘れてはならない「おどろき、びっくり」の一つでしょう。
現代の私たちが「樹皮」の利用と聞いてまず頭に浮かぶのが秋田県仙北市角館の有名な伝統工芸「樺細工」でしょう。あの暖かみのある小豆色の樹皮を、茶筒や小筺、小物入れなどに貼り付けたものです。レンズ型をした皮目が特有の紋様になっています。先日、東京でのある展示会で樺製の手提げかごも見ました(図1)。
「樺皮」はまた、細長いテープ状にして曲物などの「綴じ紐」としてもよく使われています。色つやがよくて装飾性にすぐれているのはもちろんですが、組織に柔軟性と非常な粘りと硬さがあることから丈夫さを兼ね備えた機能的素材であることが分かります(図2)。
こういった樺皮の利用は、何も角館だけに限ったことでは無く、全国津々浦々にあり、非常に古くからずっと使われてきた生活具や道具の基本的な素材のようです。
- 図1 展示会で見かけた桜皮の手提げかご
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図2 宮城県大和町の手箕(てみ) (小林和貴氏撮影)。
本体部分は桜皮とネザサの稈(かん)でできている。
さて、この「樺細工」、なんの樹皮なのでしょうか?「樺」というからにはシラカバなど、カバノキ属の樹木かというとさにあらず。ヤマザクラなど、サクラ属の樹皮なんですね。樺皮では無くて桜皮。桜なのになぜ樺というのか、ネットで調べてみるといろんな説があるようですが、私の話にはあまり関わりの無いことなので興味のある方は御自分でお調べ頂くとして、樺皮と桜皮という言葉がごちゃ混ぜになって使われているのには植物学的なことも原因の一つでしょう。なぜかと言いますと、わが国には非常にたくさんの樹木の種類がありますが、その中でバラ科サクラ属とカバノキ科カバノキ属だけの樹皮が非常に良く似た構造と性質を持ち、「樺細工」に使えるからなのです。
またまた大学の講義調になってしまい申し訳ないのですが、樹木には形成層という組織があり、それが細胞分裂して内側に新たな木部を、外側に新たな篩部(しぶ)をつくり、その結果、樹木は毎年太っていきます(図3)。

図3 木材の組織の模式図(能城修一氏作図)。
形成層より内側が木部、外側が樹皮。樹皮の外方には周皮が形成される。
つまり、木材の方は中心側ほど古く、形成層に近い外側ほど若い組織なのですが、樹皮はその反対で、形成層に近い組織ほど新たにできたもので、外側にあるものほど古いわけです。内側に新たな組織ができて外側に押し出され古くなった篩部はやがて篩部としての機能を失います。こうした部分で新たに体表を覆って樹木を保護する周皮が形成されます。周皮の大部分はコルク細胞の層で、中が空っぽで丈夫な堅い細胞壁を持った細胞(コルク細胞)がびっしりと隙間無くつくられます。周皮ができるとその外側の樹皮の組織は死んでしまいますのでその部分を外樹皮、周皮より内側は生きていますので内樹皮と区別します。商品としての「コルク」は南欧のコルクガシというカシの木のコルク層です。熱も空気も水も通さないことから防音装置やワインの栓など様々に使われているのは皆さんよくご承知のことです。どんな樹木にもこのコルク層がつくられるのですが、その形態、性質とつくられる量は樹種により様々です。多くの樹種では最初の周皮がつくられたあと、暫くするとその内側に新たな周皮、そしてまた内側に、ということを繰り返しますので、一つ一つの周皮のコルク層は薄く、またコルク層とコルク層の間には他の組織が混ざっています。ところがカバノキ属やサクラ属では最初にできた周皮がそのままずーっと活動を続け、厚い(と言っても数ミリメートルですが)コルク層をただ1層のみつくります(図4)。この厚いコルク層が「樺細工」に利用可能なのです。
ということで、国産の樹木ではカバノキ属とサクラ属だけが利用可能なコルク層=桜皮、樺皮をつくりますが、現在、一般に使われている桜皮、樺皮は既に紹介しましたようにサクラ属だけで、カバノキ属の樹皮利用というのはアイヌの人たちの民俗例を除いて私は知りません。サクラ属の中でもヤマザクラ、オオヤマザクラ、カスミザクラといったところが主で、その他の樹種はあまり使われていないようです。
このように樺皮と言ってもカバノキ属の樹皮は使われていない、というのが現状のようですが、縄文人の植物利用を見るとそうとは言い切れないことが分かってきました。

図4 オオヤマザクラの樹皮を剥がしたところ
桜の樹皮(コルク層)利用遺物の一番古い出土は筆者の知る限りこれまでのコラムで何度も登場している福井県鳥浜貝塚で、縄文時代前期のかご編物の把手と思われる部分です(図5)。また、樹種は調べられていませんがこの遺跡では縄文時代前期の樹皮巻きの弓が出土しており、この樹皮も私の見立てでは桜皮のようです(図6)。縄文時代前期から桜の樹皮が「巻き紐」として利用されてきたと言えるでしょう。桜皮の巻き紐としての利用はこれ以降の縄文時代の様々な遺跡からも出土が知られていますので、この時代を通して利用され続けていたと言えるようです。

図5 福井県鳥浜貝塚から出土した縄文時代前期のかご編物の把手(福井県立若狭歴史博物館蔵)
芯材を巻き付けているテープ状のサクラ属樹皮

図6 鳥浜貝塚樹皮巻きの弓(福井県教育委員会1987)。テープ状の樹皮がきっちりと巻かれ、赤色漆が塗られている。樹皮の樹種は調べられていないが、表面の観察からサクラ属であると考えられる。
一方、カバノキ属の「樺皮」というのはどうなのでしょうか?
実は三内丸山遺跡の第六鉄塔地区からカバノキ属の樹皮製品が出土しているのです。鳥浜貝塚の弓同様、断面楕円形に削りだした「棒」にテープ状の樹皮をしっかりと巻き、それに赤色漆が塗ってあります(図7)。第六鉄塔地区からは同様の樹皮巻きの朱漆塗り弓の破片の他、どんな製品であったのかよく分からない赤色漆塗りの樹皮も出土しています。これらの切片を切って調べた結果、いずれも「カバノキ属の樹皮(コルク層)」でした(小林ほか2015)。

図7 三内丸山遺跡の第六鉄塔地区から出土した縄文時代中期の朱漆塗樹皮巻き弓
(青森県教育庁文化財保護課蔵)。
私たちがこういった結果を発表するまでは樹皮製品は単に「樹皮」として扱われ、それがなんの樹皮であるかはほとんど検討されないままできました。サクラ属とカバノキ属の樹皮の区別もなされていなかったのはもちろんのことです。私たちが桜皮と樺皮を区別するようになって、いろんなことが分かってきました(鈴木2017)。
その後、山形県高畠町の押出(おんだし)遺跡から実に面白い遺物が出土していることを知りました。見るからに樹皮と分かる素材を厚く束ねたものを二つ折りにして両脇を「縫って」袋状にしたもので、何に使ったものかは分かりませんが、私たちはこれをしげしげと眺めて「石斧を入れる袋じゃないか」などと話しあったものです(図8)。同じつくりの遺物がもう1点出ていて、そちらの方は部分的に壊れていましたのでその破片を顕微鏡で調べたらなんとカバノキ属の樹皮でした。表に見える皮目もなるほどシラカバに良く一致します。

図8 山形県高畠町の押出遺跡から出土した縄文時代前期の樹皮製袋製品(山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館蔵)
福島県三島町の荒屋敷遺跡から出土した縄文時代晩期の「組紐」は何でできているか不明のままでした(図9)。これの芯とそれを巻き付けている紐を調べた結果、いずれもが樺皮であることが判明しました。その他、青森県西目屋村の川原平(1)遺跡から出土した大量の樹皮素材はまさにシラカバの樹皮でした(図10)。
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図9 福島県三島町荒屋敷遺跡から出土した縄文時代
晩期の「組紐」(三島町教育委員会蔵)。
芯は樹皮を束ねて折り込んだもので、
それを太さの揃った撚りのある紐で
きっちり巻き付けてある。
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図10 青森県西目屋村川原平(I)遺跡から出土した
樹皮素材(青森県埋蔵文化財調査センター蔵)。
シラカバの幹から剥がし取ったそのまま、
という感じで出土した。
このように時代、地域を概観してみると、サクラ属の「桜皮」は縄文時代前期にその利用が始まり、利用地域は基本的に全国で、縄文時代以降も利用がはかられ現代に繋がっていること、それに対しカバノキ属の「樺皮」はやはり縄文時代前期に遡るものの、利用地域はどうやら東北に限られ、縄文時代の終わりとともに遺物としての出土が見られなくなるようです(鈴木2017)。ただし北海道では縄文時代以降も樺皮は利用され、それはアイヌの人たちに受け継がれてきたようです(図11)。
現代にまで続く桜皮の利用と、北海道を除いて失われた樺皮の利用、どこに分れ道があったのか、今の私たちには謎のままです。

図11 私の住む北海道標津町の伊茶仁(いちゃに)カリカリウス遺跡の復元住居。屋根、壁がシラカバの樹皮で葺かれている。面白いことにこの住居、床面にヒカリゴケが発生し、そちらの面でも有名である。
引用・参考文献
小林和貴・鈴木三男・佐々木由香・能城修一2015.三内丸山遺跡出土編組製品等の素材植物.青森県教育委員会「三内丸山遺跡42」:134-151.
鈴木三男2017.鳥浜貝塚から半世紀−さらに分かった!縄文人の植物利用−.工藤雄一郎・国立歴史民俗博物館「さらに分かった!縄文人の植物利用」:182-201、新泉社.
福井県教育委員会1987.鳥浜貝塚−1980〜1985年度調査のまとめ−.