ホーム > 連載企画 > 第1回 北の縄文の幕開け

このページの本文

連載企画

北の縄文、海と火山と草木と人と

第1回 北の縄文の幕開け 2018年6月26日

私は考古学者ではないので、多くのファンが関心をもっている土器や石器、建物や墓のことにあまりこだわりはない。一番の関心事は縄文人の生きざまだ。人は胎内にいるときから母親の胎内環境に取り巻かれながら心を形成していく。胎外に出てからは、はじめて触れるさまざまな環境にさらされて大きな心を形成していくという。そうして出来上がり、また、変容していく心こそが、その人や取り巻く人々の生きざまを形成していくと私は考えている。北の縄文の幕開けは、幕を開けようとする人々の生きざまが噴出するときだったにちがいない。

縄文時代の始まりはおよそ1万5千年前とするのが定説のようになってきた。この年代は、青森県外ヶ浜町の大平山元遺跡から出土した小さな土器片に付着していた炭を測定して得られたものだ。名古屋大学の中村俊夫さんがタンデム加速器質量分析法という精度の高い年代測定法によって得たものだ。同じ地点から採取された木炭を私がアメリカのベータ社に依頼して得た年代が、なんとほとんど同じ1万5千年前だったので、二人で報告書を書き上げた。この年代が最古の土器の年代となっているのだ。

最古の土器が縄文土器であるかはまだはっきりしていないが、いっしょに出土した石器群から、十和田火山の巨大噴火によって噴出した「八戸テフラ」より前であることがわかっている。テフラとは火山灰のこと。この巨大噴火の初めは大量の軽石を噴出したが、そのあと大規模な火砕流を噴出した。その量は想像を絶していて、現在は十和田湖になっている巨大なカルデラができたほどだ。軽石は東北北部をすっぽり覆うほど広い範囲に降り注ぎ、火砕流は八方に流れて谷筋を埋め尽くした。この巨大噴火は東北北部の生態系を壊滅的なものにした。植生は針葉樹林からダケカンバなどの落葉広葉樹林になった。この年代は中村俊夫さんによっておよそ1万5千年前と測定された。

「八戸テフラ」の分布図を作成しているうちに、眼が北海道に北上した。渡島半島の駒ケ岳のすぐそばに「濁川(にごりがわ)カルデラ」を発見。40年ほど前、このカルデラを調査したことを思い出したのだ。最新の研究を調べると、なんとおよそ1万5千年前に巨大噴火を起こし、大量の軽石と火砕流を噴出してカルデラとなったのだ。私は最新の研究成果を少し過大視して「八戸テフラ」の分布図に書き加えた。爆発だ!心が躍った。

「八戸テフラ」の噴出後、縄文草創期の隆起線文系の土器が登場する。1万4千年以上も前のことだ。まだ出土事例は少ないというものの、これよりのちは各地で縄文土器が確認されている。放射性炭素年代測定法とテフラのおかげで、最古の土器と明らかな縄文土器の年代がこれほど分かっているところは日本でこの地域だけだろう。巨大噴火が新たな文化を生み出した可能性がある。噴火が文化、なんて言っている場合ではない。北の縄文の始まりをしっかり調べ歩かなくてはと意気込んでいる昨今である。

十和田火山東麓の八戸テフラ火砕流
大量の木材が火砕流に飲み込まれて蒸し焼きの木炭になっている。

 

手書きのテフラ分布図
赤色が「八戸テフラ」、青色が「濁川テフラ」、
濃い色が火砕流、 淡い色が降下した軽石。
VEIとは火山爆発度指数で、5~6は巨大噴火、
地震でいえばマグニチュード7~8の規模を指す。

プロフィール

北の縄文、海と火山と草木と人と

1952年滋賀県生まれ。国立歴史民俗博物館教授、東京大学大学院教授を歴任。東京大学名誉教授。
理学博士(大阪市立大学)。専門は地質学、植物学、生態学だったが、いまは無く、あえていえば歴史景観生態学を創出しつつある。

世界ではさまざまな巨大災害が起こっている。巨大噴火、巨大地震、これらは私にとっては環境変動の一つ。巨大なものばかりが注目されるが、ささやかなこともたくさん起こっている。およそ3万年前から現在までの、大小さまざまな環境変動が人社会や生態系にどのように働きかけ、どのような応答があったのか。そんなことを研究している。最近では、独自の技法を開発しながら、その様子をイラストや絵にしている。一方では、縄文時代の集落生態系の復原に取り組み、色鉛筆画にしつつある。

著書は中途半端なものばかりで薦められないが、まじめなものに編著『考古学と植物学』(同成社2000)がある。最近、『隙間を生きる 植生史から生態系史へ』(ぷねうま舎、非買本)を発行。可能な範囲で差し上げる。

本文ここまで