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連載企画

北の縄文、海と火山と草木と人と

第2回 多雨と多雪、縄文時代の豊かさの象徴 2018年7月24日

縄文時代になってから、日本列島はにわかに多雨と多雪に見舞われる環境へと変わっていった。これは地球全体に起こった温暖化の影響である。南下していた梅雨前線や秋雨前線は日本列島を縦断するように北上し、多雨をもたらした。日本海への対馬暖流の流入と北上は、日本海側に多雪をもたらした。九州から北海道にかけて徐々に、針葉樹林から落葉広葉樹林へと置き換わっていった。1万1千年前ころには見事な変化劇が起こった。それまでは逃避地にひっそりと生き延びていたブナたちは、日本海からもたらされる多雪によって、生き返るように各地に広がり、9千年前ころになると津軽平野の台地や丘陵はブナ林ですっぽりおおわれるようになった。ブナにとって多雪は、冬の厳寒から身を守ってくれるものであり、融けた水は年輪を積み重ねていく命の水であり、葉をつけ花を咲かせるエネルギーを作り出していたのだ。

雪も雨に換算してみると、本州での年間の降水量は平均して1,500~2,000ミリに達する。長雨をもたらす前線が停滞すると一月に1,000ミリを超えることもある。多雨は森林を潤すばかりか、川の生物を豊かにし、海の生物をも豊かなものにした。多雨と多雪がもたらす生態系は、植物食料、多様な樹木の木材、保水を保証し、植物を食料とする多様な動物の資源の宝庫となったのである。縄文人は、気候変動と生態系の激変に適応しながら、縄文文化という新しい生活スタイルを獲得していった。人間だけの生態系などありえないからである。人間は、変わりゆく環境からの働きかけに適応し、また、環境への働きかけをしながら、生きざまを柔軟に変えていったのであろう。土器を作ることはもちろん、植物資源の獲得や加工・貯蔵、植物の育成・管理など、これらにも多雨と多雪が深くかかわっているにちがいない。

雨と雪の降り方は季節によって変化する。これを降水の季節配分と呼んでいる。私たちは日常生活においてこの季節配分をあまり意識していない。日本の季節感は、中国中南部で顕著に見られる「四季」感が定着してしまっている。これは古代に中国の影響を強く受けたからかもしれない。降水の季節配分に着目してみると、本州では「六季」が普通であり、ところによっては「八季」も認められる。雨の多い季節と少ない季節が交互にやってきて、冬、春、梅雨、夏、秋霖(しゅうりん)、秋を繰り返すことになる。「八季」では、春の前に菜種梅雨、冬の前に山茶花梅雨が入る。多雨な梅雨と秋霖は農事に深くかかわり、秋の収穫を保証する。梅雨から秋霖までの高温多湿な環境に適応するため、食文化や建築文化などに独特の生活文化を創出してきたのだ。人間の無理・無駄な開発が、長年育んできた生活文化を壊しつつあり、各地で災害をもたらすようになってきた。多雨のせいにしてはいけない。

東北地方は南北に長く、西は日本海に、東は太平洋に接していて、雪と雨が私たちの生活文化にどのようにかかわってきたかを考えるには格好の地域である。日本海側には白神山地、森吉山、出羽三山など、ブナ林とともにスギ林で特徴づけられるところでもある。縄文人はブナ林の中で生活文化をはぐくんできた。太平洋側の北上山地はブナ林が乏しく、ミズナラやクヌギなどナラ類が多い落葉広葉樹林になっているが、これは縄文人の活動によってブナが乏しくなったと私は考えている。なぜなら、縄文時代の約5,000年前ころまで、ブナ林が確認されているからだ。日本海側では水田面積が広く、畑地面積は狭い。太平洋側は逆である。森林や水田・畑に見られる違いは、縄文時代までさかのぼれば、どのようなことと関係してくるのだろうか。多雨と多雪をキーワードに、縄文の生活文化を考えてみたい。

針葉樹林時代からブナ林時代への生態系の急変を記録する青森県つがる市出来島(できしま)の泥炭層。
中央の白い横筋に見えるのは、十和田火山の巨大噴火がもたらした「八戸テフラ」。
このテフラの直上で針葉樹林は一気に衰退する。タイムカプセルのような泥炭層を見てみよう。

 

つがる市出来島の泥炭層に埋没した2万8千年前の針葉樹林。
縄文時代が始まるまでは、針葉樹林しかなかったことを示す重要な証拠である。
現地には説明版があり、トイレもある。

 

青森県内で見つかっている埋没林からみた森林変遷。
1万5千年前の「八戸テフラ」までは針葉樹林、その後はブナ林に置き換わったことが鮮明に読み取れる。
地球温暖化と縄文時代の始まりを実証的に示す類まれな事例だ。

 

プロフィール

北の縄文、海と火山と草木と人と

1952年滋賀県生まれ。国立歴史民俗博物館教授、東京大学大学院教授を歴任。東京大学名誉教授。
理学博士(大阪市立大学)。専門は地質学、植物学、生態学だったが、いまは無く、あえていえば歴史景観生態学を創出しつつある。

世界ではさまざまな巨大災害が起こっている。巨大噴火、巨大地震、これらは私にとっては環境変動の一つ。巨大なものばかりが注目されるが、ささやかなこともたくさん起こっている。およそ3万年前から現在までの、大小さまざまな環境変動が人社会や生態系にどのように働きかけ、どのような応答があったのか。そんなことを研究している。最近では、独自の技法を開発しながら、その様子をイラストや絵にしている。一方では、縄文時代の集落生態系の復原に取り組み、色鉛筆画にしつつある。

著書は中途半端なものばかりで薦められないが、まじめなものに編著『考古学と植物学』(同成社2000)がある。最近、『隙間を生きる 植生史から生態系史へ』(ぷねうま舎、非買本)を発行。可能な範囲で差し上げる。

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