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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第81回 酷暑の夏 2018年8月9日

何なんだろう、この暑さは。連日40℃近い温度になり、夜も30℃を切らない日が続く。テレビにあらわれる日本列島は焼き立ての赤いサツマイモみたいにみえる。私のいる近畿地方は、まず大きな地震があり、そして集中豪雨、それを追っかけるようにこの異常な暑さが続いている。気を立て直す暇もない状態で、何にもする気が起こらない。気象庁は「命にかかわる」暑さで、熱中症に注意、運動を控え、冷房をつけ、こまめに水と塩分をとりなさいと警告しているが、各地で熱中症の患者が、病院に運び込まれたり、死亡したりというニュースが後を絶たない。
先日、友人が「うっかりエアコンをつけるのを忘れて寝てしまったら、頭痛で苦しんだ」とメールをよこしたので「お歳ですね」と返したが、お歳は考慮するとしても、今や日本の気候はそこまで来ているのだ。しかし、夏休みはスポーツとレジャーのシーズン、人々が炎天の甲子園や祭りやレジャーランドにあつまっている。この異常気候は従来の私たちの行動(習慣)を考え直す時期に来ていることを示しているのかもしれない。東京オリンピックを心配する声さえ出ている。

エアコンが普及したのはここ20~30年ぐらいのことである(まだつけていない小学校もあるらしいが)。私は瀬戸内海沿岸で育ったのだが、もちろんそんなものはなかった。あそこは夕凪で蒸し暑く寝つけない夜が続くと、井戸の水をかぶったり、ブラブラ街を歩いたり、台所の板の間に兄弟が並んで寝たものだ。ひどかったのは運動部で「練習中は水を飲むな」と言っていた。そんな日本精神だけでは無理、どう凌いだのかよく思い出せないが、今そんなことをしたら社会問題になるだろう。熱帯にある北オーストラリアのアボリジニのムラに通っていたころは、(夜は思いのほか涼しい)日中はみんな木陰で寝そべってすごす。ある時、電話だよーと呼ばれたので駆けだしたら「走るのはバカだけ」と笑われた。ゆったり暮らすのが正しい意見だと思う。

日本列島に人が来て以来、こんなにひどい夏はなかったのかしらと考えた。あったと思う。
15000年前頃に始まった地球温暖化は、大型動物から植物への食料の大転換を呼び起こし、日本では土器の発明もあって縄文文化が花開いた。気候変化は環境を変え、そのためヒトは食べ物だけではなく衣服や住居など生活のかたちを整えなければならなかったのである。その後さらに北半球全体が温暖化したために気温が平均で2℃くらい上がり、氷床がとけて流れ出し、海面が10m近く上昇したとされ、日本では縄文時代早期から前期にかけて縄文海進がおこった。7000~5000年前の気候最適期(クライマテック・オプティマム)とよばれている頃である。三内丸山に人が住み始めたのはちょうどこの頃なので、それまで基本的には寒地適応していた人たちはきっと「暑い暑い」と騒いでいたと朦朧とした意識のなかで考えている。

夏空の厳しい日差しの下、元気に三内丸山縄文夏祭りを楽しむ子どもたち。

 

大型掘立柱建物とほぼ同じ高さからの眺め。右奥には八甲田連峰が見える。

プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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