ヒトはいつ、どのように現れたのか。聖書には天地創造の時カミがつくったとあるように、それはどの民族の神話にもみられることである。これに真っ向から対立するのがダーウィンの進化論だ。何十億年も前にあらわれた生命体(多分小さな細胞)が発達してさまざまな生き物が生まれ、その頂点に人類がある、というものである。このカミをも恐れぬ考えは現代社会の思想の基層となっていると言えるだろう。
考古学を中心とした学者たちはその道すじを解明しようと努力を積み重ねてきた。
ヒトの祖先はまず、何百万年も前のアフリカにあらわれるが、脳容量はヒトの半分ぐらいで石器らしいものを使い、直立歩行していた。姿はサルに似ているので、猿人(オーストラロピテクス・アフリカヌス)と呼ばれている。その後も脳の大きさが増え続けて世界に広がっていく。これがホモ・エレクタス(原人)で、アジアにも北京原人やピテカントロプスがいたし、日本でも(原資料が失われてしまって証明できなくなったが)明石原人がいたという説もあったので私たちにはなじみ深い。次にアフリカからヨーロッパにかけては脳の大きいネアンデルタール(旧人)があらわれたあと、現代人の直接の祖先であるクロマニオン人(新人)がうまれて現在に至るのである。こうして人類の発達が系統樹として描きだされた。わかりやすいのだが、世界に散らばる片々たる事実を強引にまとめたものなので矛盾やヌケが多い。
しかし、学問の進歩は大きな様変わりがおこる。その1つがDNA遺伝学である。DNA研究はiPS細胞の利用による医学や遺伝子組み換え農業生産物などにみられるように今の社会では無視できないものになっているが、人類学でも化石(骨)からDNAをとりだす手法が使われるようになった。一般に知られるようになったのは1970年代末であり、ヒトのDNA情報(ゲノム)がすべて解読され、全体で25,000の遺伝子で構成されていることがわかったのはようやく2003年のことだった。実際のサンプルごとにDNA内の塩基の配列をよみとりそれを数式化して他のサンプルと比べて相似たグループをみつけるという方法は基本に数理式に基づき電子顕微鏡とコンピューターがなければできない。一般人には縁の遠い手法だが、現在のところ、他の観察と比べて正確なものであると考えてよいだろう。
具体的な成果としては、女性に特有のミトコンドリアDNAの分析によって、20万年前にアフリカから世界に拡散した人類は1人の女性からはじまるというR.キャン(分子人類学者)らのイブ仮説がでたとき驚くとともに感心したおぼえがある。最近では男性のY染色体に特有の遺伝子型が発見されて、交配を繰り返しながら拡散していった経路について新しい意見も出るようになった。これを日本に引っ張っていえば、列島にやってきたヒトはどこからきたか、縄文時代から弥生時代にかけて人口増は大量の新しい移入があったのかどうかの謎が明らかにされることが期待できそうだ。しかし、DNA問題といえどもやはりあくまでも仮説にすぎないことを忘れてならないと思う。実際は民族学や考古学でこれまで観察された事実をどう説明できるかが重要だからである。
最近、尾本恵市さん(分子人類学者)と山極寿一さん(人類学者)は対談のなかで、これからの日本の人類学は考古学、民俗学、民族学、形質人類学の分野の研究者が協力して、もっと広い視野を持つべきだという論が印象的だった。(東大での)はじまりがそうであったし、第二次大戦後にもそんな動きが何度かあったのに、最近はそれぞれの分野で特化している傾向があるのは残念だと述べている。わたしは考古学にそれがとくに強いと感じている。それは考古学が、歴史をあつかう文系の学問としているからで、遺伝学などの「理系」の発想や仕事は範囲外のことと切り離しているからだ。現在の大学における考古学のカリキュラムには「理系」的基礎知識が含まれていない。それが発掘や保存などの実務に影響していると思う。例えば、発掘において骨をとりあげるときは素手でさわってならない、コンタミネイション(汚染)がおこるからである。そうならないためには現行の教育システムそのものをかえていく必要があるのではないだろうか。
(文献)
太田博樹 2018 『遺伝人類学入門』ちくま新書
尾本恵市・山極寿一 2018 『日本の人類学』ちくま新書
斉藤成也 2015 『日本列島人の歴史』岩波ジュニア新書

This image shows the coding region in a segment of eukaryotic DNA. / Smedlib
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)