東京国立博物館の特別展「縄文―1万年の美の鼓動」は大変な人気を呼んだ。図録のなかの「縄文のビーナス(長野県茅野市棚畑遺跡)」の写真を見ていて、縄文人は金の存在を知っていたのではないかとふとおもった。これまで何度かこの土偶の復元品を見たり、自分でもつくったりしていたので気にはなっていたのだが、全身がきらきら光る雲母(とくに顔から胸にかけて)で飾っているのは明らかに意図的である。関東地方の縄文時代中期には胎土に雲母を入れる土器様式があるが(阿玉台式(おたまだいしき)など)、これほどまでに濃密な例は知らない。特別に釉(うわぐすり)のように使ったのだと思う。
縄文時代中期から土偶は、それまでのアミュレット(お守りや呪詛(じゅそ)品)のような小型のものばかりではなく、30cm前後の大型で足元をしっかりさせた、精巧な作品があらわれる。薄暗い住居のなかに棚をおき、焚火の明かりで浮かび上がるようにおかれた神像と考えられる。もちろん(金属器以前の彼らは)真の黄金像はつくれなかったことは明白だが、それでも年代的には殷(商)代と同じなので「情報」としては知っていた可能性はある。ただし、単に金色を表現しようとしたと考えることもできるかもしれない。縄文人が使えた色は限られていて、厳密にいえば赤と黒くらいである。ところが、まわりの自然には色があふれている。海や空の青、山野の緑や紅葉、色とりどりの花、それに舞う蝶々。ヒスイや貝殻などもある。金色だって朝焼け、夕焼けがある。

私のふるさとの瀬戸内海の浜辺はインスタ映えスポットとして評判をよんでいる
金については今回思いついたことなのでもっと調べなければならないが、分からないことが多い。それでも、黄金の国ジパング、インカ帝国の滅亡、ゴールドラッシュなど、文明社会に大きなインパクトをあたえたことは確実であり、とくに権力と宗教においてあれほどの力を発揮したことは不思議でさえある。それは歴史的な文脈ではなく、人類に共通する本性に基づくと考えてもよいだろう。
そう考えてみると、まっとうな考古学者は(美術史家もそうだが)現状を重視しすぎるきらいがあるのではないだろうか。たとえば古い仏像は金箔が剥げ、顔はまだらになっている。それが素晴らしいと私たちは考えがちだが(興福寺(奈良県奈良市)の阿修羅は色が落ちたためにヒゲが目立たなくなりチャーミングな女性に見えるので人気があるのだが)、つくられた時はそうではなかったはずである。それは何千年も土中にうずもれていた縄文時代の土器や土偶にもいえることだ。作成時には鮮やかな色彩に彩られていたのではないか。私は古びた遺物としてよりも、つくられた時のナマの姿を見たいと思う。歴史的文脈を超えて、岡本太郎や河井寛次郎の作品の力はそのせいではないだろうか。最近の縄文アートの動き(アカデミー的に言えば素人臭い)や芸術家たちの仕事はその意味で縄文人に近いのだと思う。
(文献) 東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション、
朝日新聞社 2018『特別展 縄文―1万年の美の鼓動』