ホーム > 連載企画 > 第6回 大森勝山遺跡と岩木山

このページの本文

連載企画

だびょん縄文

第6回 大森勝山遺跡と岩木山 2018年11月26日

10月20日に三内丸山遺跡縄文時遊館で「さんまる縄文学講座」が行われた。その中で、「大森勝山遺跡(弘前市)は、岩木山北東側の台地上に位置する遺跡です。国内では希少な縄文時代晩期前半(3000年前)の環状列石を有する遺跡として価値が認められ、平成24年9月19日に国の史跡に指定されました。」と話された。最初の発掘は昭和34年からで、当時の発掘写真を見せてくれた。モッコで何かを担いでいる人、クワで発掘している人、今は埋め戻され見ることができない迫力満点の環状列石、旧式のジープの前での記念撮影等古い写真がこの遺跡の歴史を感じさせる。平成18年に46年ぶりに再調査が行われたが、第1回の調査の正確さに驚かされたということを何度も口にしていた。70種類以上の組石を配置し作られたという環状列石に興味がそそられた。出土した円盤状石製品を「おやきみたいでしょう?」と。昼近くだったので、お腹がキューとなり、おやき好きにとっては本物をどうしても見たくなってきた。

家に帰ると縄文のPR番組で大森勝山遺跡が放送されていた。亡くなった人の供養の場所であり、冬至の日没が岩木山の頂上に沈み、縄文人は神秘的な力を感じていたのかもしれないと話されていた。ますます行きたくなってきた。
次の日、青森県立郷土館の特別展「コロコロSTONE-あおもり石ものがたり-」へ出かけた。展示されている1枚のパネルに目が留まった。それは岩木山の噴火についてのパネルで、3000年前に山頂溶岩ドームができたと。えっ! 3000年前だと大森勝山遺跡と同じ時期? もしかして環状列石を作っている頃、岩木山はでき立ての岩がゴロゴロして、噴煙も上がっていたの? おやき、神秘的力、噴火、もう行くしかない。

国道7号線から見える岩木山は紅葉で山が真っ赤になっていた。遺跡に向かう道路の両側はリンゴ園が続き、赤いリンゴがたわわに実っている。農家の庭先にはリンゴを入れる木箱が7~8m程の高さで大量に積み上げられている。人力で積み上げたのだろうか、リンゴ農家のこだわりなのか、こんな風景を楽しみながら、遺跡への期待もふくらむ。
遺跡に立って、岩木山を見上げると、太陽が眩しくて目を開けていられない。遮光器土偶のように目を細めて見る。それにしても強い光だ。環状列石が眠る場所に手を置いて、色々想像してみる。
辻誠一郎先生のコラム「十和田の巨大噴火と円筒土器文化」で円筒土器文化は十和田巨大噴火の直後に形成されたと書かれている。ここも岩木山噴火の直後につくられたのかしら。それなら地震、噴火、山火事も経験しているかもしれない。今は緑豊かな台地でも、実は草木も生えていない場所だったのではないのか。下北半島の恐山のような荒涼とした風景がイメージされる。恐山は今も亡き人の霊を弔う石積みがあちこちで見られ、大森勝山遺跡の環状列石と重なってくる。噴火したばかりの頂上の巨大な石と強い太陽の光に再生のエネルギーの強さをこの場所で感じとったのではと考えてしまう。

大森勝山遺跡と岩木山。太陽の光に包まれ縄文人に思いを馳せる。

 

形も厚さもおやきにそっくりの円盤状石製品(展示:裾野地区体育文化交流センター)

 

遺跡までの散策路に降り積もる落ち葉

11月18日、青森市から見た岩木山の頂上に雪が積もっていた。大森勝山遺跡から雪の岩木山を見たくてまた出かけた。リンゴの収穫も終わり、遺跡の木々もすっかり葉を落としていた。頂上に雪を頂いた山はことさら美しく、晩秋だというのにまだ太陽が眩しくて目を開けられない。この光に向かって両手を広げて、大きく息を吸ったら、寿命が2~3年伸びたような気がしてきた。

 

大森勝山遺跡と雪の岩木山。この日も光が降り注いでいた。

プロフィール

だびょん縄文

主婦 三内丸山応援隊ボランティアガイド歴23年
青森県立郷土館協議会委員 じょうもん検定上級合格者

三内丸山遺跡でガイドをして縄文遺跡に魅せられ、
全国各地の遺跡を訪れ、ますます魅せられ、
正真正銘の縄文ファンとなる。

「青森県民は三内丸山遺跡で元気をもらい、今ももらい続けています。
だから100年200年後の人たちに世界遺産という大きいリボンをつけて贈ることが今の私たちの任務だと思い、日々活動しています。」

本文ここまで