三内丸山遺跡の発掘調査が進むにつれ、新しいことが次々と明らかになってきたけれど、わからないこと、疑問に思うことも次第に多くなっていった。一番大きな疑問は、拠点集落と言われるほど規模の大きな集落ではあるが、ここに生活した人々はこの遺跡の中だけで生活していたのではないだろうということだった。どのような活動をしていたのかを考えるようになって、遺跡の範囲をはるかに越えたとても大きな活動域があったにちがいないと思うようになった。当然のことだが、食料や建築・土木用材、燃料などといった生活資源をもとめて活動したはずである。ムラのかたちは、居住域だけでなく、そうした活動域すべてを含めたものでなければならないと考えるようになった。
居住域と集住あるいは集会する人々の生活を支える活動空間を私は集落生態系と呼ぶことにした。そして、遺跡の範囲はもちろんのこと、それを取り巻く空間の当時の景観を復原することが三内丸山集落生態系を描き出すことになると確信した。そこでさまざまな分野の研究者に呼びかけ、遺跡とその周辺、とりわけ平野の地質・地形の調査、さまざまな生物化石群の分析を行い、それらを総合して縄文時代前期から中期の三内丸山集落生態系の復原に取り組んだ。20年以上も前のことだ。
遺跡の範囲内、すなわち居住域で明らかになったことは、遺物・遺構がほとんど見つからない空間の大半が実はクリ林であったことだ。考古学ではほとんど関心のない空間が、人々が作り上げたクリ林によって占められていたのだ。居住域の端っこにはウルシ畑が作られていたこともわかってきた。縄文時代中期になると、谷筋に沿ってトチノキ林が作られていた。このようにして、建物群や送り場と目されるいわゆる盛り土場などの施設以外は、人々が作り上げた林や畑であることがわかり、まだ用途不明の場所は残されているものの、居住域での大方の土地利用図を描くことができた。
同時に進めていた平野の地質調査と生物化石群の分析によって、当時の平野と海の景観が見えてきた。平野と海は現在と大きくは違わない古地理が復原された。沖館川は緩やかに蛇行しながら平野を下り、内湾の海に注いでいた。居住域で検出されたたくさんの魚貝類はほとんどすべてが内湾・外洋に生息するもので、干潟に生息する魚貝類は皆無であった。人々は緩やかに流れる当時の沖館川を行き来して、内湾漁労をしていたのだろう。平野には沼沢地がたくさんあり、水鳥が集まり、淡水魚が生息する場所も多かったにちがいない。それらも狩猟・漁労の対象になったことは、動物遺体群から示唆されていたことだ。このようにして、当時の青森湾という内湾と平野の沼沢地も集落生態系に含まれることが明らかになった。
動物遺体群や植物遺体群、さらに木製品群からは居住域周辺に広大な二次林が作り出されていたこともわかった。クリの木材は、建築・土木用材として、また燃料としても大量に利用された。クリ以外の用材や燃料に利用された木材はほとんどが二次林の要素で、ヤチダモやハンノキといった平野の湿地林の要素もたくさん含まれていた。ウサギやムササビの遺体がたくさん検出されたこと、里山に生息する昆虫遺体もたくさん検出されたことは、居住域周辺に里山が形成されていたことを裏付けた。
以上のような復原の結果を総合すると、三内丸山集落生態系は、居住域の里地、それを取り巻く平野から丘陵地の里山、交通路であり淡水漁労の場であった沖館川という里川、そして青森湾という里海から成り立っていたことがわかる。三内丸山集落に居住した人々の活動域、すなわち集落生態系は、里地・里山・里川・里海が連続一体のものとなり、広大で変化に富んでいたのである。このような集落生態系が円筒土器文化で初めて創り出されたのか、また、その後どのように変化していったのか、わくわくする研究課題である。

図1 花粉分析の手法で描き出した三内丸山遺跡、大矢沢野田遺跡(青森市)、
そして八甲田山中の田代平(田代湿原)の3か所における花粉化石群の変遷。
二つの遺跡では十和田火山の巨大噴火の直後に円筒土器文化が始まり、同時にクリ林が作り出されたこと、
クリ林が千年以上にわたって維持されたことがわかる。
4,600年前、縄文時代中期になるとトチノキ林も加わったことがわかる。
(吉川昌伸ほか2006年を改変、辻 誠一郎2007年JT生命誌から)

図2 青森平野の古地理変遷。
[1:山地・丘陵地 2:八戸火砕流堆積面 3:扇状地 4:河川および自然堤防 5:砂州 6:湿地]
三内丸山集落がまだ無かった8,000年前、縄文海進はピークを迎えた。
その後、三内丸山集落ができたころは、海は後退してすでに広大な平野が形成されていた。
人々は里川である沖館川を下って、内湾漁労をしていただろう。
(久保純子ほか2006年から)

図3 三内丸山集落生態系の鳥瞰模式図。
赤く塗りつぶしたところが居住域(里地)。
三内丸山集落生態系は、里地・里山・里川・里海が連続一体となった広大な活動域であった。
(辻 誠一郎2011年を一部改訂、色塗り図とする)