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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第85回 縄文の医療を考える 2018年12月13日

高熱を発して病院に担ぎ込まれた。肺炎だというので即入院、2週間を要すと。はじめの三日間はベッドに釘付けで点滴針につながれ、食事、排せつなどすべて人任せ、四日目からようやく普通に近くなった。日記を見ると、朝7時にまず顔を拭かれ、8時に朝食、点滴、体温、血圧をはかり投薬、10時に着替え、体を拭いたあとレントゲン撮影そして主治医の説明。昼食のあと風呂、6時に夕食。その間にも排せつ物の処理、部屋の掃除などしょっちゅう人が出入りするのである。

体力が戻るにつれてヒマになり考えたことが2つあった。1つは日本の医療のありかた。現在はうまく回っているが、これほど膨大な労働力の投入は将来できなくなるのではないか(おりしも政府は外国人労働者を増やす法案を出した)。
先進国だと思っていたアメリカの場合だと、入院はほとんどなく、必要な処置が終わるとすぐ返される。だから私が受けたような行為はすべて家でやらねばならない。例えば認知症になったわたしの友人は自宅にフィリピン人の介護者を雇い、あとは家族と友人がやっている。もう一人の友人は重い風邪にかかったので売薬をやたらに飲んで何とか凌いだという。病院なんか行くとどれほどカネがかかるかわからないからだというのである(保険制度の違いはあるが私の付き合っているレベルの人たちの財力ではとても無理なのだそうだ)。マイノリティ系の人たちが「家族」制度を崩せないのはその費用が大きな原因かもしれない。そういう意味では、柔らかな(金のかからない)ハリ、マッサージ、薬草などいわゆる伝統医療、とくに東洋医学系の予防的医療が注目されているのもそのせいなのかもしれない(最近の医学、とくに薬の弊害への恐れも背後にあるようだが)。

もう1つは縄文時代の医療についてである。つい最近まで日本の医療レベルも縄文時代とそう変わらなかったのではなかったか。縄文時代については、厳密に考古学的証拠だけにこだわれば、骨に痕跡が残る、怪我(骨折)や小児麻痺などがある。しかし、外傷、皮膚病、内臓疾患、痔、風邪、歯痛、など大小の疾患はつねにあったはずだ。それをどうにか凌げたのは薬と体力そして運(?)だった。薬については、最近は植物の検出が盛んになってキハダやカラスサンショウなどが検出されていることからも分かるように、漢方以前の縄文医療を明らかにできる日が来るかもしれない。

私は日頃できるだけ縄文人に近い生きかたをしたいと思っているので薬もセイロガンとかカッコントウぐらいであり、今回の経験は想定外であった。たしかに西洋医学の力はすごいし、今日の医療環境からするとそこから逃れられないようだ。それでも「病気」の次には「死」がやってくるし、私は年齢的にそのレベルにいたっている。だから、長生きだけを願うのではなく、これからをどう生きるかを考えなければならない時に来ていることを今回は痛感したのである。

ポリオに侵された人骨(史跡 入江・高砂貝塚/北海道洞爺湖町)
肢体が不自由なまま少なくとも十数年間介護を受け、生きながらえた。

 

【参考/バックナンバー】
第23回 縄文医療と民間薬
第24回 薬草について

プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

バックナンバー

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