新しい生命を宿し、育み、祈り、祝う。そのとき、さまざまなかたちで連続一体となる人々にとって、酒は、それがどのようなものであったとしても、欠くべからざるものであったに違いないと私は思う。三内丸山遺跡の本格的な発掘調査の2年目、円筒土器文化が始まった時期において、その酒が大量に造られていたことを示す「ニワトコ主体植物遺体群」が発見された。まどろっこしい名前だが、まだまだ酒の実体や製造法、用途が果てしなく広がっていきそうで、さまざまな角度から検討されなければならないので、このように内容が分かるように呼んでおきたい。
突然だが、ウィスキーや焼酎、ブランデー、ウォッカ、ジンといった蒸留酒の起源は比較的新しく、まず間違いなく薬として造られた。精神を落ち着かせ、心の病を治すもの、あるいは熱さましにと、薬用と言っても幅広い。邪悪な菌を除去したり殺したりするのに、それらに高い濃度で含まれるアルコールは薬用として役に立っているのだ。蒸留器はアルコール度数を高め、薬効を高めること、そして長く保存するために発明されたものだ。だとすると、蒸留器が発明される以前の醸造酒も薬として造られていたことは想像に難くない。醸造とは言えない発酵と言えるものであっても、心の安らかさ、もっと言えば健やかさを維持するためのものであったに違いない。一方では相互に心を結び付け、社会性を高めるという健やかさをもたらすものであったと私は思う。酒は、人々が共通経験を通して健全な愛情を深めるクスリなのだ。現代社会においてもその意義は基本的に変わっていない。
三内丸山遺跡で発見された「ニワトコ主体植物遺体群」は、植物の種子・果実だけが、塊というより厚さ10センチメートルほどの層をなしていて、畳にすると3畳分以上の範囲に敷き詰められたように広がっていた。第6鉄塔地区と呼ばれた発掘調査区を担当していた職員や作業員など、これを実際に見届けた人はきわめて限られている。幸いにも私は、県の担当者の小笠原さんに、これ何ですか、砂の層に見えるんですけど、とたずねられた。実際にその層をトレンチの壁で確認したときには、凄いと言ったかどうか覚えていないが、ただびっくり仰天だったことはよく覚えている。

三内丸山遺跡で発見された「ニワトコ主体植物遺体群」
上段左は第6鉄塔地区のトレンチの壁面。上段右は壁面中央部を拡大、
中央部の白色部が厚さ10センチメートルの植物遺体群の層。
下段は種子・果実だけからなる植物遺体群の拡大写真。
この植物遺体群は、大半がニワトコ種子(植物学では果実が正確)だったが、ヤマブドウ、ヤマグワ、サルナシ、マタタビ、ヒメコウゾ、キハダ、ミズキといった植物の種子・果実も含んでいた。異なる層を見ても、この組み合わせは変わらなかった。私の頭の中を酒という言葉が暴れだしたのだ。ニワトコは、その後、東北北部から北海道、サハリン南部まで分布するエゾニワトコが大半であることがわかってきた。本州に普通にあるニワトコに比べて果実が大きく、粒揃いがよく、そして実が真っ赤になるという特異なものだ。何と言っても集落の中や周辺にしか生育していないのは人間との関係性の高さを示している。今では利用されることがなくなってしまった植物だが、縄文時代では密接な関係をもっていた。というより人間が開発した栽培品種だった可能性さえあるのだ。
ヤマブドウやヤマグワなど果汁の糖度が高いものは、相性のいい良好な酵母に巡り合えればアルコール発酵が進む。私が重要だと思うのはエゾニワトコが主体だということだ。実際にやってみるとわかることだが、エゾニワトコだけではアルコール発酵は望めない。なぜエゾニワトコが主体なのだろう。それは真っ赤な果実だからだ。赤は新たな生命の象徴であり、生命を育む女性そのものである。熱というパワーを発する根源である。エゾニワトコが赤でヤマブドウなどが黒だとしたら、赤と黒の一体化あるいは合体は新しい生命を生み、育む象徴的なコトである。たとえアルコール度数がわずかであったとしても、それはやはり酒であり、まつりにおける祈りや祝いに不可欠なものであったに違いない。

枝もたわわに実ったエゾニワトコの真っ赤な果実
(サハリン南部にて)
三内丸山遺跡で発見された特殊な植物遺体群は酒の搾りかすと見られた。その後、秋田県大館市の池内(いけない)遺跡でも、円筒土器文化始まりのころ、つまり同時代に、同じ植物の組み合わせの搾りかすが塊で発見された。細かな繊維を敷き詰めてアンギンと呼ばれる編み物で液体を絞ったのだろう。時代はずいぶん後になるが、八戸市の是川中居遺跡においても、縄文時代晩期の層から、同じ組み合わせの種子・果実からなる植物遺体群が発見されている。縄文の酒造りの伝統はずっと引き継がれていったのだ。

池内遺跡で発見された「ニワトコ主体植物遺体群」。
色塗り部分が廃棄された搾りかすの塊。

池内遺跡の搾りかすの塊の表面。
細かな繊維が敷き詰められていて、種子・果実が抜け出ないように工夫されている。

縄文まんが家のさかいひろこさんに描いてもらった縄文の酒造工程。
出典: 『青森県史 別編 三内丸山遺跡』 青森県, 2002