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連載企画

北の縄文、海と火山と草木と人と

第8回 八戸・是川の縄文集落生態系 2019年2月4日

東北北部から北海道にかけて栄えた北の縄文は、縄文時代前期中頃に突然現れた円筒土器文化においてすでに里地・里山・里川・里海という集住域と資源利用空間が連続一体となった人為的な生態系を創り出していた。三内丸山遺跡では、生産と消費にかかわる資料分析が積極的に推し進められ、人間とそれを取り巻く環境から成る人間主体環境系という集落生態系の復原が試みられた。そうすることによって文化景観の実像が描き出されたのだ。私たちはその後、八戸に調査地を移して、集落生態系の復原に取り組み、「観る」という調査・分析をとおして生態系の空間構造を捉えること、そして、「描く」という絵画や画像として描きだすことに挑戦した。

八戸は縄文遺跡のメッカである。中でも是川石器時代遺跡(※)は縄文時代前期から晩期まで集住域を少しずつ変えながらも長期にわたって営まれた集落遺跡であり、すぐ近くの後期を主体とする風張遺跡とともに、是川・風張を知らずして縄文を語るなかれとさえ言われてきた遺跡である。わたしたちはこれらの遺跡群に8年以上もの年月を費やして、集落生態系の復原に取り組んだ。その結果、縄文時代前期後半から中期にかけての一王寺遺跡では、三内丸山遺跡で確認されたことが検証され、クリ林が育成された里地、有用木材資源が育成された里山、淡水漁労と交通路である里川、そして海洋資源の漁労場である里海が連続一体となっていたことが予測できた。後期から晩期の中居遺跡では、これまでに蓄積された木材資源利用、果実資源利用、淡水・海洋資源利用、および景観復原資料にもとづいて、みごとに集落生態系が描き出された。そこでも里地・里山・里川・里海が一体となった集落生態系が描き出されたのだ。
(※堀田遺跡・一王寺(1)遺跡・中居遺跡の総称)

中居遺跡の調査からわかった集落を中居ムラと呼んできた。縄文時代晩期の中居ムラの集落生態系を「観る」「描く」ことにしよう。集落生態系は縄文人の居住域と生活資源の生産・供給の場からなっている。土器や石器の資源は別として、生活資源の大半は生物資源が占めている。里地では、居住域周辺にクリ林、谷筋にはトチノキ林やオニグルミ林が作られ、食料・建築・燃料として利用された。アサ畑からは繊維・油が、ヒエ・ゴボウ・ダイズ畑からは食料が供給された。少し離れたところにウルシ畑が作られ、漆が採取された。里地を取り巻く里山は、縄文人が環境とかかわりあって作り上げた生物多様性社会である。落葉広葉樹の二次林は建築・土木・道具・燃料として、また、ノウサギやムササビも食料・衣料に利用された。林縁のツル植物や低木の果実は酒の原料となり、ツルは編組製品の材料になった。里川はサケ・マス類などの淡水資源を供給し、里海は多種多様な海洋資源を供給した。食料だけでなく、道具・衣料としても利用されたであろう。中居ムラの生物資源利用体系は集落生態系そのものであり、縄文人と環境のみごとなまでの共生・共存のすがたが見て取れる。

三内丸山遺跡で描き出された集落生態系は、八戸においても確かめることができた。三内丸山遺跡と同時期の一王寺遺跡、後期から晩期の中居遺跡、これらいずれの遺跡においても里地・里山・里川・里海から成る集落生態系が形成されていたということだ。それは円筒土器文化以降、縄文人が意図して作り上げた集落生態系が踏襲されていったことを意味している。そうなると、北海道も含めて北の縄文に共通することであったのか、そして縄文時代以降も継承されていったのかを検証してみたくなるのは自然の流れであろうか。

図1 八戸市の中居遺跡における縄文時代晩期の景観復原図(吉川・吉川2016を改変)

 

図2 景観復原図を基にして描いた縄文時代晩期の中居ムラの集落生態系鳥瞰図

 

図3 中居ムラの生物資源利用モデル
3図とも「平成29年度秋季企画展図録 是川縄文ムラを観る・描く」から引用

プロフィール

北の縄文、海と火山と草木と人と

1952年滋賀県生まれ。国立歴史民俗博物館教授、東京大学大学院教授を歴任。東京大学名誉教授。
理学博士(大阪市立大学)。専門は地質学、植物学、生態学だったが、いまは無く、あえていえば歴史景観生態学を創出しつつある。

世界ではさまざまな巨大災害が起こっている。巨大噴火、巨大地震、これらは私にとっては環境変動の一つ。巨大なものばかりが注目されるが、ささやかなこともたくさん起こっている。およそ3万年前から現在までの、大小さまざまな環境変動が人社会や生態系にどのように働きかけ、どのような応答があったのか。そんなことを研究している。最近では、独自の技法を開発しながら、その様子をイラストや絵にしている。一方では、縄文時代の集落生態系の復原に取り組み、色鉛筆画にしつつある。

著書は中途半端なものばかりで薦められないが、まじめなものに編著『考古学と植物学』(同成社2000)がある。最近、『隙間を生きる 植生史から生態系史へ』(ぷねうま舎、非買本)を発行。可能な範囲で差し上げる。

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