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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第87回 豪雪と円筒土器文化 2019年2月21日

この冬の天気図は北日本の日本海側が雪、西日本は晴れというパターンが多かった。それが円筒土器文化圏とほぼ重なるのが気になる。円筒土器文化の隆盛は雪と密接にかかわっていたのかどうか。
瀬戸内海沿岸の温暖な気候の地で育った私には、寒くて冷たい、動きにくい雪に悩まされる環境にはほとんど実感がなく、今でもそんな感じが抜けきっていない。カリフォルニア大学(デイビス校)で縄文時代の人口について博士論文を書こうとしたとき、主任教授のバウムホフ博士からどんな見通しを持っているのかと聞かれて暖かい西日本が中心になるでしょうと答えた覚えがある。ところが、予想とは逆にピーク期の縄文時代中期には、雪深い中部山岳部と東北に人口が集中する結果になって驚いた。西日本に人口が増えるのは稲作がはじまった弥生時代以降のことであった。

雪の生活と言えば鈴木牧之(すずきぼくし:江戸時代後期の文人・商家)の『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』が頭に浮かぶ。牧之は豪雪地帯(新潟県魚沼郡)の人で、「暖国の人は雪を愛でるがそんなことはない」と言う。まず田畑が雪に覆われるので農業は9月までにすべて終わらねばならないのが痛い。その後は雪中生活8か月、建物の補強や水路の確保など準備が大変だ。真冬になると家の窓は雪でふさがれ一日中暗く、屋根や道の雪除けに忙しい。それでも、なだれや雪中洪水などに襲われ危険がいっぱいだ。シカやイノシシまで逃げ出してしまうので飢えたオオカミに襲われる家族のことなどの悲劇を事細かに書き出し、その生活の苦しさは暖国の100倍以上だと述べている。ところが一方で「(出稼ぎで)町に出た人も10人に7人は帰ってくる」と言う。そんなに大変なら逃げ出せばいいのにと、暖国の人は思うのだが、雪に適応した文化が栄え過疎地になることもなかったのである。

現在の青森は日本屈指の豪雪地帯にある。円筒土器文化期の中心部に位置していた。なかでも三内丸山遺跡には、人口が集中し都市的な様相を帯びていた。円筒土器文化は気候の温暖化とともに栄えるのだが、そのピーク期の気温は現在より2℃ほど高かったとされている。温暖化が針葉樹林を落葉樹林に変え、海面の上昇によって海が近くなるなど環境の豊かさがもたらしたことは明らかである。しかし、積雪量はどうだったのか。出土品を見るかぎり「豪雪」にかかわるものはほとんど見当たらない(遺構としては掘立柱建物群や貯蔵穴の多さがそれだと考えてよいかもしれないが)。近い将来、辻誠一郎さんを中心に気象学者を入れて天気図の時代変化をシミュレーションしてもらいたいと思う。

考古学からは社会的な要因を考えるべきだろう。寒冷化がすすむ縄文時代後期から縄文社会の様相が変わった。三内丸山のような大遺跡はなくなり小ぶりなものに変わっていく。それにともない土器も小型化し精巧なものがつくられるようになった。後・晩期の村の全体像はまだはっきりとはしないが、その在り方は豪雪に対応できるような人力による生活に変わっていったのだと思う。環状列石などの墓制があらわれるのは一度拡大化した社会が連帯を保つために作った冬以外の季節に祭りを行う場だったと私は考えている。

左)2019年2月1日の天気図(気象庁ホームページより)
西高東低がはっきりしている
右)円筒土器出土遺跡図(三内丸山遺跡年報19(青森県教育委員会2016)を加工)
遺跡が集中している道南と北東北のエリアが円筒土器文化圏

 

2月の年平均最深積雪(cm)
(メッシュ平年値図:気象庁ホームページより)

プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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